烏梅、最後の生産者 月ヶ瀬梅古庵さんを訪ねました
イタリア料理が烏梅と出会った
前回ご紹介した「奈良の香りと共に味わうタリアータ」に添える奈良のフレーバーの一つとして、当店では欠かせない存在となった「烏梅(うばい)」
烏梅は煤をまぶし燻製にした干し梅です。漢方として煎じて飲む他、紅染めの色素定着剤として使われています。
その烏梅を炭火焼きの肉に少量削りかけることにより「奈良のタリアータ」が完成します。
炭火の香りと発酵や熟成のフレーバーを繋ぐ烏梅のしっかりとした燻製香、真っ黒な外観を裏切る梅の鮮烈で爽やかな酸味は、ごく少量で一気に料理に生命力を与え華やかに彩る、他の食材ではなし得ないフレーバーなのです。
この素晴らしい伝統食を最後の1軒になっても作り続けている方が、奈良市月ヶ瀬にいます。
伝統製法を守り続ける月ヶ瀬梅古庵10代目中西謙介さんを訪ねました。
中西さんが烏梅を作り続ける理由
10代目中西謙介さんは、700年変わらぬ伝統製法で烏梅作りを行っています。多数の講演やメディア出演、紅染めのワークショップや烏梅食品の製造販売などを通して、烏梅の魅力を日々発信されています。
確かな品質と丁寧な活動が伝播し伝統的な薬膳茶として利用が広がると共に、現在も伝統技法を守る数少ない染色家が使用しています。
烏梅を媒染料とした紅の色は科学染料では出すことができない色と言われており、染色家の思いを胸に、また「天神さんをお祀りするつもりで売れても売れなくても梅を焼け」という口伝を守り、中西さんは烏梅を作り続けています。
東大寺修二会で練行衆が堂内で造る、のりこぼしの造花に使われる和紙の花弁は、紅染めです。
ベニバナはあらかじめ「紅餅べにもち」*に加工されます。画像の烏梅の左端に混ざって映っている朱色の塊が紅餅です。
日本の伝統「紅染め」
紅染めのためのベニバナは、保存のためと赤い色素が多く抽出できることから紅餅に加工して江戸や京都へ出荷されていました。
当時から高品質な紅餅で名高い山形県。現在も山形県最上川流域では伝統製法で紅餅が作られています。
都の染物屋で山形の紅餅と月ヶ瀬の烏梅が出会い、染め職人の手によって最高品質の美しい反物に仕上がる、職人たちの細やかな技術の結晶が織りなす日本の伝統美。
当時女性なら誰もが憧れた紅染めの着物は、紅色が濃いほど高貴とされました。
紅工房「園生の森神社」
紅染めの素晴らしさを知ってもらいたいと、自ら栽培したベニバナを使った紅染めのワークショップも開催されています。紅染めをする場所として「紅工房」を建設中です。
入口の扉が収まったら完成です。
ふと見上げると、さり気なくも存在感のある、ご友人の書「園生の森神社」と書かれた“神額”が掲げられています。
屋根は神明造でしょうか。
建物側面、和柄の透かし彫りの建具も素晴らしく、中の意匠も釘などを使わない古式に基づいて大変美しい。住みたい。
神社を個人が自由に建てられるのかと伺ったら「知らないけれど、関わってくださった職人さんたちは水を得た魚の如く喜んでいます。こういう仕事を待っていたと」
こういう仕事ができる、もしくは発注して建ててもらい居住する、そのどちらでもないことが残念でなりません。
建設については、神社として正式に認められるには手続きなど必要ですが、建設自体は建築法を守ればなんら問題ないようです。
紅工房の周りには中西さんがベニバナの他、収穫できたらいいなと思う果樹や野菜、飾りたい花が植えられています。自作の池には既におたまじゃくしが所狭しとうごめき、カエルは岩の上で虫が通るのを待って空を仰いでいます。
にんにくの肥料は烏梅と紅餅!
到底まねのできない、生産者ならではの贅沢な使用方法です。
「効き目はわかりません」と静かに穏やかに、面白そうなことは何でも試してみる、10代目の鍛錬と懐の深さに基づく行動は痛快です。
「境内」の清らかな空気、朗らかに過ごす動植物たち、生粋の神社です。神社の中で紅花染め体験ができる、それだけで手を合わせたくなります。
入口扉の意匠も楽しみです。訪問日が納品予定日でしたが、もう少し時間を要するようです。
すぐ近くに園生姫の碑と月ヶ瀬温泉があります。
烏梅のおはなし
1300年前に遣隋使によって薬として奈良の地に伝えられた「烏梅」は万葉集、延喜式、和漢三才図絵に記載が残されています。
月ヶ瀬に伝わったのは700年前の西暦1331年鎌倉時代末期。
後醍醐天皇が落ち延びた際、共に逃げてきた女官の一人である園生姫(そのうひめ)が月ヶ瀬に滞留した際です。
村人の親切なお世話に園生姫はお礼として烏梅の製法を教えました。
「染め物に使うもので都にもっていくと高く売れます」
言われた通りにすると京の都では米より高値で取引され村の人々は驚きました。
こうして、ベニバナで染める紅染めに欠かせない色素定着剤として月ヶ瀬に伝わりました。
年貢の取り立てが厳しくなった江戸時代には田畑の少ない山間地において重要な収入源となります。
最盛期を迎える江戸時代末期には京都や大阪の問屋で飛ぶように売れ、月ヶ瀬に於いて400軒、100トンの生産量があり村人の生活は豊かになりました。そこで畑や山を切り拓いて梅を植樹したことで五月川(名張川)沿いの渓谷美、月ヶ瀬梅渓が誕生しました。
村の人々は園生姫に感謝を込めて碑を建て、今も大切にしています。
ちなみに京都府相楽郡にある月ヶ瀬カントリークラブのコース内に、園生姫(別名姫若)の塚を祀った姫若神社があるということを伺い、帰りに急で申し訳ないと思いつつも寄ってみました。
当日は、ゴルフのお客様で盛況でお参りは叶いませんでしたが、改めてゴルフ場の方に事前にお伺いして次回訪れたいと思います。
烏梅づくり
烏梅を作る燻蒸場を案内していただきました。
烏梅には半夏生の頃(7月2日頃)に樹上で完熟して自然に落下した梅を使用します。
収穫した梅を水で濡らして煤をまんべんなくまぶしたら梅が重ならないようにウメスダレに広げます。
訪れた6月末、ウメスダレは梅を待って待機中です。
ウメスダレは専門の職人さんに作ってもらいます。長時間の燻蒸に耐え何年も繰り返し使える優れもの。
しかし、職人さんの高齢化と良い竹材の減少に危機感を覚えた中西さんは、ウメスダレ造りに挑戦されたそうですが大変難しく「餅は餅屋」と改めて実感したそうです。
ウメスダレ1枚に20kgほどの梅を乗せ、一度に2枚分40kgを24時間燻します。
地面に掘られた深さ約1mの穴の底にクヌギの薪を入れて火をつけ、もみ殻をかぶせた上にウメスダレを2枚重ねます。
ムシロを被せて水を撒き温度や炊き具合を調節しながら24時間燻蒸します。
中西さんはお米も作っているので、もみ殻はなんとか調達できるものの、良質なクヌギの薪を入手することが少しずつ難しくなっているため、入手できる時にできるだけ在庫を蓄えておきます。
燻蒸に直接影響するため大切な資材である一方、最終的に森林にお任せするしかない、烏梅のみならず伝統食は人と自然の共同制作なのだと改めて感じました。
梅の収穫量によりますが昨年2023年は、ウメスダレ30枚分1200kgを3週間ほどかけて燻しました。その後1ヶ月半天日干しします。
完成した烏梅は総重量160kgだったそうです。元の梅の13%ほどです。
燻蒸前に煤をまぶすのは完熟梅の柔らかい外皮をコーティングする役割と、黒くすることで日光を吸収しやすくして乾燥率を高める効果があるそうです。
乾いて種と実が分離しカラカラと音が鳴ったら完成です。
8月末頃全ての工程が終了します。
「家族に協力してもらいますから」と笑顔の中西さん。
7月の収穫期から始まり、24時間燻蒸の工程を3週間も繰り返す。梅雨が明け夏本番、夕立など天候を気にしながら20日間続く天日干し。火と陽と共に、2ヶ月に渡る過酷な烏梅作り。
強い信念がなければ到底成し得ません。
「天神さんをお祀りするつもりで売れても売れなくても梅を焼け」という口伝、そして伝統色を守る数少ない染色家の思いを大切に、ここで今年も烏梅作りが始まります。
烏梅から思うこと
烏梅がなくなれば紅餅は不要となり、紅染めの技術を継承する染色家が途絶える、ウメスダレもクヌギも、消滅の連鎖が起こります。
一つの伝統が欠けると思ってもみない多くの技がこの世から消滅することを、昨今特に、奈良の歴史や文化、食文化を通してつくづく気付かされます。
職人さんたちの思いの連鎖でなんとか繋いでいる日本の伝統を、イタリア料理店として、日本人である私たちにできることは何か。
シェフ山嵜は、こう言います。
「料理人の私にできることは、素材の新たな一面をイタリア料理に融合させることで、その魅力を掘り起こし多くの皆さまに知り体験していただくことだと思います。
これまでの料理人生の中で、奈良に身を置き、奈良の土地の恵みを受け、イタリア料理の本質を模索してきました。
季節を大切にし日々様子が変わる食材に深く向き合う、自然と健康がつながっているマンマから生まれたイタリア料理は、日本の食文化に通ずるものがあると感じます。
しかし、恥ずかしながら私を含め、現代日本人は日本の郷土食を忘れ、気付かない内に失いつつあります。
日本はじまりの地、奈良。
国風文化が花開く以前、他国と交易のあった奈良時代の食文化は、特にイタリア料理との親和性が高いことに気づきました。
実際、様々なお料理として食べていただくと予想以上に、奈良や日本の方のほうが海外からのお客様以上に喜んでくださいます。
大変嬉しい瞬間です。
あたりまえだと思っていた日本の食材の新たな一面を見て味わい、見直すきっかけになったり、消えつつあって知らなかった伝統食を新しい、美味しいと感じていただけることを、自分の料理を通して目の当たりにすると、まだ間に合うと希望がもてます。
奈良各地の伝統食が辿ってきた歴史背景や、日本の固有財産としての魅力を、日本人である私が噛み砕き、伝統的なイタリア料理を基に新たな視点から表現することで、元来の日本らしい豊かな暮らしを提案できるのでは、と思っています。」
伝統食は、日本全国津々浦々にある日本固有の宝だと思います。
見直してみる時が来ているのだと感じます。
お買い物タイム
梅食品の品揃えも豊富です。
過度な調味や補糖がされていない、樹上完熟梅の甘酸っぱさと梅の香りが味わえる「いい塩梅」
真ん中の「烏梅コーラ」は販売前のできたてをいただきました。
これまたさすがのスパイス遣い!
スパイスの複雑さには烏梅の燻製香が一役買っています。アフターに現れる烏梅の酸味が口中をさっぱりさせ、梅の香りが爽やかに続きます。
果実の梅ではなく烏梅を使うことで、糖分に酸味が溶け込まないからでしょうか、梅の酸味が心地よい「烏梅コーラ」
見かけたら是非お試しください。
烏梅を煮出して飲む昔からの飲み方の他、スパイスを混ぜた烏梅塩、烏梅ソース、烏梅入りねり梅など中西さんのアイデアは溢れるばかり。
今後の烏梅の新たな飲み方の提案も脳内開発中とのこと。
物静かな強い信念と独創的なアイデアを織り交ぜ、まっすぐで軽やかな行動力が清々しい、烏梅継承者10代目 中西謙介さん。
日本の古き良き伝統を、中西さんその人の中にも見たような温かい一日でした。
ありがとうございました。
文:ソムリエ・エクセレンス 山嵜愛子
続編「月ヶ瀬梅林と梅畑と梅食品」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?