哲学的マックフルーリー
「1124イベントが大成功して、パッカーんするまでの日々の変化を徒然と綴る日記」
こんにちわ🙋♂️ボラスタリーダーのよしです。
今日はなぜか、マックフルーリーを食べること、マックフルーリーで人生を語ることが宿題となった。…と突然言われてもポカーンだと思う。
そう、皆が知っているであろう、マクドナルドの人気スイーツである。
なぜ、そういう普通では考えられないような事に巻き込まれたかと言うと…西田二郎氏からの宿題なのだ。
確かに、僕はマックフルーリーか好きだ。しかし、マックフルーリーに哲学を持ったことは今までなかったのではないかと考えながら、マクドナルドに足を運んだ。
マックフルーリーの超オレオを1つ、オレオ粗めで。そして、口に運びながら、僕がオレオなのか、君がソフトクリームなのか、今の僕は、オレオなのか、とか考える。
オレオは戸惑っただろう、ソフトクリームに入れられるんやから。オレオはオレオとしていきたいのかもしれんけど、ソフトクリームに委ねてみる。信じてみる。なんかわからんけど。すると、オレオはここだからこそ出せる自分の味に気づくことができた。個性の幅が広がる。個性は自分が差し出すものでなく、求められる物だと気づいた。
こんな感じで僕の頭は回想していた。
意味のないと想うところに、意味のあることがある。僕たちは錯覚の中を生きている。
身近な哲学にこそ、最大のヒントが隠れているのかもしれない。
続
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