【閲覧録202211-12】(20221116-20221215)
20221116
マックス・ヴェーバー 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫 1989改訳)。原書は1920刊。ヴェーバーを継続して読んでみようかと。プロ倫は再読。と言っても一度目(2019?)は注をほぼ飛ばし読み。今回はじっくりと。少しは読み上手になったかな。
20221117
『民家採集 今和次郎集 第3巻』(ドメス出版 1971)了。「東海」>「尾張・日間賀島の漁家」1927、p238「息子たちが皆、北海道へ仕事にいっているので、老人と孫たちばかりで、しかも息子たちから送ってくる金でいたってのんきに暮らしている」、この時代だと北洋か鰊場か。愛知からとは初めて聞く。
20221118
『柳宗悦全集 第八巻 工藝の道』(筑摩書房 1980)。「下手ものゝ美」1926、p5「習性に沈む時反省は失せる。まして感激は消えるであらう。それ等のものに潜む美が認識される迄に、今日迄の長い月日がかゝつた。」、p8「「下手もの」は民藝である。時代の産であり民衆の作である。」。「民藝」誕生年。
20221119
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(一)』(新潮文庫 1954)。ときどき章冒頭に関根の一筆があって面白い。「第八章 無為について」、p71関根「何となく我が徒然草の書き出しの句を思わせるようなことが書かれている」→p73モン「わたしは、その取留なさその物狂おしさをゆつくりと眺めようために、それらを書きつけて見ることにした。」→兼好「心にうつりゆくよしなしごとを、そこかはとなく書きつく」。「第十四章 幸不幸の味わいは大部分は我等がそれについて持つ考えの如何によること」、p114キケロ「悲哀ハ物ノ本性ヨリ来ルニ非ズシテ、人々ノ考ヘ方ヨリ来ルモノナリト知ルベシ。」だとさ。
20221120
『父子鷹 子母澤寛全集 四』(講談社 1973)了。全集編集委員は司馬遼太郎と尾崎秀樹。巻末解説は後者担当らしい。自分は、司馬の作品上における子母澤の影響を云々できるほど、両者の小説を読んではいない。尾崎の解説は非常に参考になる。司馬作品を読む前に、勝父子の書いたものを読んでおかねば。
20221121
『中谷宇吉郎集 第七巻 比較科学論』(岩波書店 2001)了。中谷は小さな人物スケッチも素晴らしくいい。中谷以外伝え得ない寺田寅彦像はもちろんだし、この巻だと、「異魚」の渋沢敬三、「鳥井さんのことなど」の鳥井信治郎や牧野伸顕、「若き日の思い出」の実弟・中谷治宇二郎とその周辺の人々など。
20221122
『旧約聖書 Ⅴ サムエル記』池田裕訳(岩波書店 1998)。イスラエルの神ヤハウェの教えに従わず(=罪を犯す)結果困難に遭い、ときに神に罰せられ、結果再び帰依する、の繰り返し。人間、結局、「わかっちゃいるけど、やめられない」のよね。世界は一家、人類は皆スーダラ。聖典の価値や意味の所在。
20221123
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』(北海道出版企画センター 1995)。「蝦夷地」>「第四章 幕府の蝦夷地直轄と蝦夷地の発展」、利尻島がよく出てくる。p301「ロシア船はついで利尻島を襲い、停泊中の船四隻を奪い、貨物をかすめた後焼き払い、捕虜の内三人に来襲の趣旨を書いた手紙を持たせて放った後、オホーツクに帰った。」、p302「会津藩兵千六百人は分れて福山・宗谷・利尻・樺太を守り」、p304「文化七年、寒気が甚だしく、越冬中病死人が多く出るというので、利尻島の駐屯を止め」た結果、今利尻島には会津藩士の墓が複数個所に何基か(関場不二彦の祖先を含む)残っているわけだ。
東京行20221124-26
24日(木)。新千歳空港21時発のADO38便で東京へ。いつもの奇数月月末の明治古典会特選市参加が目的。25日零時、ホテル着。写真はホテルのある神保町すずらん通りのすずらん(多分)街灯。いやあ、ワールドカップ、ドイツ戦勝っちゃったよねえ、的な余韻を引きずっての東京入り
5日(金)。午前、学部大学の同窓生が社会人大学院生として立教大学に在学中ということで、キャンパスを案内してもらう。小綺麗な大学。ランチは構内の「日比谷 松本楼」で。
午後、神田小川町の古書会館で競り市。夕食は、東京勤務の次女とすずらん通りで。ホテルの窓から一枚→
26日(土)。11時、東京国立近代美術館で「大竹伸朗展」。質量ともに圧倒的な作品群。恐るべし。2023年6月に自分も個展をやるのだが、比較の対象にもならないレベルだが、いろいろ参考になった。なんでこんなことしてんだろうなあ、と自問自答しながら作っていくのが大事かと思う→
26日(土)。14時、文京区の印刷博物館で「地図と印刷展」。写禁展。まあ当然だろう。近世の日本北方地図類にはリイシリ(利尻島)の表記多数。ガン見する。どんだけランドマークだったことやら。イシカリはあっても札幌は当然ない。さすがに凸版印刷、毎回図録良し。即購入。
26日(土)。16時、大竹伸朗展の図録(複数冊でサイズ大)を東京中央郵便局から発送の後、東京ステーションギャラリーで「鉄道と美術の150年展」。ここの図録もちゃんとしてる(というか最近は手抜きの図録が少ない)。W杯疲れにめげす今回も東京ミュージアム3連観して帰着。Bravo!
20221127
『宮本常一著作集 6 家郷の訓・愛情は子供と共に』(未來社 1970)始。4・5巻の「日本の離島」を読了し、一人勝手に次巻は島を離れるのだろうと思っていたが、「家郷の訓」は周防大「島」の話だったです。まあ、日本人は「島」を離れることはできないざあますね。「世間師」というキー&パワーワード。
20221128
筒井清忠編『昭和史講義 【軍人篇】』(ちくま新書 2018)。終わらん。戸部良一「石原莞爾 悲劇の鬼才か、鬼才による悲劇か」「牟田口廉也 信念と狂信の間」、渡邉公太「今村均 「ラバウルの名将」から見る日本陸軍の悲劇」。石原・牟田口にあって今村にないもの、それは歪んだナルシシズムなのかと。
20221129
『吉田健一著作集 第六巻 舌鼓ところどころ 英国の文学の横道』(集英社 1978)。「舌鼓ところどころ」(1958)了。味音痴の司馬・トンカツマン・遼太郎『街道をゆく』シリーズ再読開始のタイミングで読んでるので余計に面白い。それぞれの率直さが好ましい。「味のある城下町、金澤」、p75「恐らく最高の文明は田園に都会人が生活することを許すもの」。「以上裏の所」、p106「用事がなかつたならばいつまでも行かなかつたかも知れないそこの土地に馴染むことになる他に、後になつて見れば各種の思ひ出が残る。」。「胃の話」、p124「白米に対する執着があんなに全国的なものになつたのは、天保の飢饉か何か以来のことだつたのに違ひない。」。「飲む話」、p182「酒は決して他力本願の飲み方を喜ばない。」。「文学に出て来る食べもの」、p213「日本では余り知られてゐない英国の作家にA・A・ミルンといふのがゐて、これがウィニイ・ザ・プウ」、って今や超有名だよね。熊のプーさんだもんね。
20221130
の飢饉か何か以来のことだつたのに違ひない。」。「飲む話」、p182「酒は決して他力本願の飲み方を喜ばない。」。「文学に出て来る食べもの」、p213「日本では余り知られてゐない英国の作家にA・A・ミルンといふのがゐて、これがウィニイ・ザ・プウ」、って今や超有名だよね。熊のプーさんだもんね。
20221201
責任編集・安村直己『岩波講座 世界歴史 14 南北アメリカ大陸 ~十七世紀』(2022)。安村直己「展望 南北アメリカ大陸から見た世界史」、p17「金が一方通行だったのに対し、モノの流れは通常、双方向的だった。(中略)これだけ大規模かつ急激なモノの伝播は史上初のこと」、p25「差を生んだのは航海技術を含むコミュニケーション能力である。個々の局面でインディオが勝利をおさめることがあっても、この能力のおかげでコルテスはカリブの島々から人員、武器、弾薬を補給し、再起できるのだ。」、p26「コルテスがインディオ社会の同時代史から多くを学び外交戦に活かしたのに対し、アステカ側は自らの同時代史を適切に評価できず、外交戦にも失敗したのだ。」。世界史上、自らの同時代史を適切に評価した国家や民族があったのだろうか、という疑問が湧く?ぱっとは思いつかない(力不足)。それをするのが歴史研究者の仕事ということなのだろうか?その仕事は有効に活かされるのだろうか?
20221202
『鶴見俊輔集 5 現代日本思想史』(筑摩書房 1991)始。「戦時期日本の精神史 一九三一~一九四五年」・「戦後日本の大衆文化史 一九四五~一九八〇年」など所収。「精神史」>「転向について」、p19「転向に対するもう一つの条件となったのは、日本の人民大衆が満州事変を熱狂をもって迎えたこと」という指摘。「鎖国」、p28「周りを海に取り囲まれているということは、大地の上に引かれた国境線によって囲まれているということとはずいぶんちがうことです。(中略)自分たちの民族としてのまとまりがそのために努力することなしに、自然からの贈物として受け取られるということです。」それな。
20221203
司馬遼太郎『街道をゆく 29 新装版 秋田県散歩、飛騨紀行』(朝日文庫 2009)了。全43巻を頭から再読してたが、今月末秋田行きを決めたので急遽先取り読書。司馬の秋田訪問は1986年で、「街道」旅開始(昭和45/1970の万博年)から16年後、在郷の戦友訪問から叙述は始まる。旅行後、再読・検証したい。
20221204
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)。1941年12月。開戦後の記述は詳細かつ海軍軍事用語に溢れ、意味が取れない・読み進めない。これほど生々しい「開戦の報」はなかなかないのでは。12月18日、p368「色々のデマ乱れとぶ。」。『徒然草』の昔から、世にデマッターの種は尽きまじ。
20221205
『網野善彦著作集 第三巻 荘園公領制の構造』(岩波書店 2008)。「荘園公領制の形成と構造」「荘園公領制と職の体系」「「職」の特質をめぐって」。p165「かつて中田薫は、西欧においては権利が不動産化するのに対し、日本では義務が不動産化する点に特徴があるとのべ、」という指摘が興味深かった。
20221206
『開高健全集 第7巻』(新潮社 1992)。「見た」「揺れた」「出会った」「生者が去るとき」「五千人の失踪者」了、いずれも1963-64年初出の作品。1964年は先の東京五輪年、自分的には宮本常一の利尻島訪問年であり、家にTVが入った年でもあり、一種の「時代小説」として歴史資料的に興味深く読んだ。
20221207
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅳ 電磁波と物性〔増補版〕』(岩波書店 2002)。「第2章 空洞共振器」「第3章 導波管」。1985年春から1997年春まで、賃金労働で電子機器とその電子回路に接する生活をして、それ無しでばこの手の本を読むこともなく。人生いろいろ。
20221208
橋本治『根性』(徳間文庫 1988)始。「根性」は著者自身がプロデュースした1984年柏市と1986年渋谷でのイベントについて書かれたもの。『桃尻語訳 枕草子』前夜、1980年代の空気が感じられて面白かった。あと、この出来事が橋本の転換点になったのでは、という印象もうけた。どうだろ。読み進みます。
20221209
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。「JAPAN AND THE JAPANESE」(1894)途中。1894年時点では「Representative Men of Japan」という題名は付与されていないのか。1908年改訂版から「代表的日本人」になるらしい。鑑三30代前半、流浪・窮乏の時代に主著が多く書かれているのが面白い。
20221210
塩出浩之『越境者の政治史 アジア太平洋における日本人の移民と植民』(名古屋大学出版会 2015)。「第4章 矢内原忠雄の「植民」研究」「第5章 南樺太の属領統治と日本人移民の政治行動」。p185「北海道では二網制、すなわち刺網によるニシン漁を認める漁業制度がとられていたから」って、なんやそれ?
20221211
『漱石全集 第八巻』(岩波書店 1994)了。「行人」(1914)。初読。一読、作中人物の主人公の兄も、作者漱石も、精神的に相当病んでいる印象を受ける。漱石には、自己治癒の方法の一つとして、小説の執筆があったのではないか。そのことを自分でも認識したのが「則天去私」ってことかも(駄法螺ね)。
20221212
『柳田國男全集 第四巻』(筑摩書房 1998)始。「青年と学問」(1928)。所収「旅行の進歩及び退歩」(1927)中に、宮本常一理解のキーワードである「世間師」が登場する。「せけんし」のルビ。p40「行商人といふものは、古くから日本の社会組織の一要素であつた。タベト又は世間師などと称して、是等が色々の外の報導を持込んだ。うそも交つては居たが、外を知らねばならぬといふ知識慾は刺戟したのである。然るに村々に小売店あり町には一切の雑貨の常店が出来ては、此からの行商は先づ一薬館オイチニの系統のものか、二度は来ぬやうな用心すべき悪者だけである。」。宮本とのニュアンスの差。
20221213
フォークナー/篠田一士訳『アブサロム、アブサロム! 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-09』(河出書房新社 2008)。おどろおどろしいぞ。南北戦争時期のアメリカ南部の事実を知るには歴史書などを読むべきだろうが、優れた作家はある時代・土地の空気を直截に伝え得るという、その実例作品かも。
20221214
『寺田寅彦全集 第八巻 随筆八 絵画・映画論』(岩波書店 1997)始。絵画論を読む。寅彦は二科展によく足を運んでたんだね。震災の揺れにも、まさしく二科展会場で遭遇、p104「あの日は津田君の「出雲崎の女」が問題になっていて、喫茶室で同君からそのゆきさつの物語を聞いているうちに震り出した」。
20221215
永井荷風『荷風全集 第六巻 歓楽 すみだ川』(岩波書店 1992)。「歓楽」(1909)。洋行帰りで世間を見る目は広がったようだが、相変わらずのナルシスト&エゴイスト荷風。一生そんななんだろうが。p101「自分は、ヴヱルレーヌの一句を思付いた。自分は日本の国土に、「あまりに早く生れ過ぎたか。あまりに晩く生れ過ぎたか。」」。p117「江戸伝来の趣味性は、九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な「明治」と一致する事が出来ず、加算を失ふと共に盲目になつた。」p57「かう云ふ人達には純粋な談話の趣味と云ふ事は解釈されないのです。言語は乃ち、相談と不平と繰言と争論」。文章は本当に巧い。