閲覧録 202203-04 (20220317-20220415)
20220317
『内村鑑三全集 2 1893‐1894』(岩波書店 1980)。村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の第一部第二部の年代設定は1984年(『1Q84』と同時進行?)。その百年前に内村は実在してたわけで、彼の思想・行動・人間性の特異さに触れると、「事実は小説より奇なり」としか言いようがない。
20220318
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)。「第一部 アジア認識の基軸」了。p34「認識を思想基軸による言語ゲームと考える」ってすごいな。基軸は四つ、文明・人種・文化・民族。第一部においては、戦前の認識を検証している。その認識、現在まで繋がっているのかしら。
20220319
『漱石全集 第三巻』(岩波書店 1994)了。「野分」。漱石の代表作とは言えなかろうが、そうそう簡単に書けるわけはない。漱石に無駄打ちなしか。その点、20世紀の村上春樹と共通かも。荷風全集も谷崎全集も並行読書中だが、習作期が思いのほか長い。自己愛的自意識のあるなしが関係するのかとも思う。
20220320
『柳田國男全集 第二巻』(筑摩書房 1997)。「山島民譚集」中「馬蹄石」。延々と馬の民俗事例が続く途中のp506「之ヲ観テモ昔ノ田舎人ガ固有名詞ニ無頓著ナリシ程度ハ測リ知ラルゝナリ。今トナリテ之ヲ比較スルトキハ、コノ歴史上有名ナル名馬ハ数ヶ処ニ生レテ数ヶ処ニテ死スト云フコトニ帰著ス。」
「固有名詞に無頓着」って、面白い。確かに、いまどきの都会に生きていたら、固有名詞に無頓着では、いささか生きにくかろう。とはいえ「何カ一箇月ヲ除キテ悉ク虚誕ナ」るものが「一定セシモノ」になることはありそう。北海道弁で言うところの「サビオ」とか(なんのこっちゃ)。
よく知らないんだけど、今『ウマ娘』コンテンツ全般、人気なんですよね。「馬蹄石」にも馬の擬人化的なエピソードが出てくるのが興味深い。「遠野物語」中の「オシラ神」には、馬と女の異種交配の話もあり、日本人はずっと馬を(で)物語ってきたということになるのかな。
とはいえ、『ゴールデンカムイ』12巻第111話には、アシリパちゃんの「カムイと人間が結婚するウエペケレ(民話)はたくさんある」というセリフもあり、人類共通の発想なのか。対して杉元「和人の昔話にも「鶴女房」って話があってね」。はっ、世界は一家、人類は皆姉畑支遁?
20220321
デュラス/サガン『太平洋の防波堤・愛人 ラマン/悲しみよ こんにちは 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-04』(河出書房新社 2008)了。「愛人 ラマン」清水徹訳と「悲しみよ こんにちは」朝吹登水子訳。出自の異なる二人のフランス人女性作家の対照性が際立つ一冊。デュラスは他作も読むとする。
20220322
『寺田寅彦全集 第五巻 科学1』(岩波書店 1997)始。「物理学の応用について」4p、『海の物理学』(日本のろーま字社 1913)、これが寅彦の最初の単著らしい。これだ: 海の物理学 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp) 影山昇『人物による水産教育の歩み』(成山堂書店 1996)「第二部 寺田寅彦と水産講習所」も見ておこう。
20220323
永井荷風『荷風全集 第三巻』(岩波書店 1993)。「夜の心」(1903)了。この時期の荷風は、近代の小説家というよりは、江戸戯作者の末裔みたいなものなのだろうか。漱石『猫』は1905年作品で、それはもう完全な近代小説と思われ。あるいは、荷風はこのまま、近代的な江戸戯作者として大家となるのか。
20220325
東京行20220325:今回も鈴木博之『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(ちくま学芸文庫 2009,原版1990)に引率いただき、お上りさん的散策。「4 台東区ー上野公園」。上野恩賜公園、ゆっくり歩くのは、初めて(一応「東京の大学」を卒業して、その前後首都圏(川崎市)に住んではいたのだが)。好天。
『東京の地霊』、4のタイトルは「江戸の鬼門に「京都」があった いまも生きつづける家康の政治顧問・天界の構想」。p73「寛永寺はまさしく「江戸における延暦寺」として、東の比叡山という意味を込めて東叡山と名づけられた」そうだ。寛永元年は1624年。開山約400年。決して短いとは言えない歴史。
その寛永寺の境内を中心に、お山全体が上野恩賜公園となったのが1873(明治6)年だと。徳川家の江戸の守護寺が接収されて、東京の天皇からの賜り物の一角に位置することになったわけか。西郷どんもおれば、彰義隊の墓所もある。江戸と東京のミクスチャーなんだね。
で恩賜公園誕生の百年後、1972年(昭和47)年には、大阪・千里に万博記念公園が開園。今からちょうど50年前だ。実は吹田市民だったこと(1993‐97にかけての時期)もあり、民博や民藝館にはよく通い、万博公園は結構お馴染みさん。今回上野の山を散策して、改めて「地霊」的雰囲気は万博公園には皆無だったんだなあと感じました。
まあ、近代的新開地を近代的デベロッパーが開発して近代的公園を作ったら、地霊の拠り所もないわな。上野恩賜公園、彰義隊の墓は1875年建立。しばらく「江戸」の町を遠望していたものが、1889年西郷像建立でその背中越しに「東京」を眺めることになった。とは、鈴木博之さんも書いていないですが。
20220326
東京行20220326:鈴木博之『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』5,6は「品川区ー御殿山 江戸の「桜名所」の大いなる変身 庶民の行楽地から時代の覇者達の邸宅地へ」「港区芝 現代の「五秀六艶楼」のあるじ 「さつまっぱら」と郷誠之助と日本電気の関係」なのだが、悪天候により探索散策は止めるとする。
御殿山、まだ原美術館でも残っていれば別だが。p110「御殿山は、私的な土地に変貌をとげた。原家では後に六郎のあとを継いだ邦造が昭和十二年、建築家渡辺仁に設計を依頼して、この土地に洋館を建てた」「現在「原美術館」となっている建物である。」現在はもうない。ので、予定変更で観劇する。
渋谷区千駄ヶ谷の国立能楽堂へ。こちらは建築家大江宏の1983年作品。三月の特別企画公演は「能・狂言を再発見する」シリーズで「狂言 袴裂/復曲能 岩船」。狂言は「天正狂言本」ベースだそうで、天正年間って1573‐1592年だもんね、日本の伝統芸能おそるべし。「岩船」はほとんどミュージカルだし。
20220327
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)始。常識なさすぎを自覚し、勉強のし直し。「第1部 現代の政治 第1章 民主政治の基本原理」。そうなんだよ、ウクライナに降伏しろとか緩衝国家になれとか言うのは、18世紀で結構と言うのと同義なんだよ。結構なわけねえだろうがよ。
20220328
『志賀直哉全集 第十三巻 日記(三)』(岩波書店 2000)了。大正12‐昭和6年まで空白日多数。志賀40‐48歳。東京から京都・奈良へと移住。全編ブルジョワ文化人の生活記録で、時局や世相についての記述がほとんどない。関東大震災から満州事変までという時期を考えると全く意外。志賀直哉、恐るべし。
昭和6(1931)年5月18日p222「夜十時頃谷崎夫婦来て泊る」。谷崎潤一郎44歳、この頃の妻は丁未子。文学はもちろん、歌舞伎についてでも、何日でも語り合えたろう。江戸・東京の文化資本の蓄積が、この二人の文学者を生んだとも言える。
同年7月22日p231「蟹工船を見る」。小林多喜二の来訪は同年秋。残念ながら日記は書かれていない。東京育ちのブルジョア文化人作家と小樽の主義者・運動家・プロレタリア作家の邂逅。小説という表現形式が持つ自由・平等の性質を思う。1933年2月20日、奇しくも志賀満50歳の誕生日、多喜二の拷問死については日記に触れているらしい。次巻で読むことになろう。
20220329
『谷崎潤一郎全集 第5巻』(中央公論新社 2016)。1917/18年頃の作品。「人面疽」「ハツサン・カンの妖術」「兄弟」「前科者」了。「習作」の期間が前巻までで終わったのか、多彩・絢爛で面白い。年譜で確認、30代成りたてか。今回の【決定版】全集は全26巻。大谷崎、怒涛の半世紀読まねばなるまい。
20220330
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。D.L.Howell『ニシンの近代史 北海道漁業と日本資本主義』(岩田書院 2007)「1859年の西蝦夷地場所の人口」表によれば、樺太の(和人)人口は2651人。そのわずか30年後、ロシアの流刑地としてチェーホフが渡サハリン。
さらにその15年後の1905年、ポーツマス条約で、南樺太は日本領に。さらにその40年後、WWⅡ終戦とともに、全島ソ連領に。極めて激しい境界変動が繰り返されている。今後どうなるのか。自分は戦後生まれの利尻島出身者なので、今の境界のままで結構という気持ち。サハリン国が出来たりするのかもね。
20220331
『民家論 今和次郎集 第2巻』(ドメス出版 1971)始。「民家論」「緒論」p35「民家建築はその土地の自然環境に支配されて特色が現われるものであり、また人種的なり民族的なりの関係、その土地の歴史、交通状態、および産業状態などによっても特色が現われるものである」という、なんとも的確な定義。
20220401
『柳宗悦全集 第一巻 科学・宗教・芸術 初期論集』(筑摩書房 1981)の鶴見俊輔「解説 学問の位置」再読。60歳過ぎて入学した大学の図書館に『柳宗悦全集』があるのを知って、在学中に読んでおこうと思ったのだった。あまりに時間がかかって、どこまで読んだのかわからなくなって第1巻からまた始めるが、借りてすぐ学内WEBで貸出状況照会すればいいと気付き、調べたら1~6と17巻を読んでた。第1巻このまま返すのもしゃくなので、鶴見俊輔の解説を再読してみたら、やっぱり素晴らしい。
第1巻と同じタイミングで借りてきたのが、鶴見俊輔『期待と回想』(ちくま文庫 2022,原版は 晶文社 1997)。こちらは、お二方の解説を収録。朝日文庫(2008)版の解説は津野海太郎さんで、ちくま文庫版は黒川創さん。双方に登場するのが「まちがい主義」という言葉。前者中の鶴見『アメリカ哲学』(世界評論社 1950)からの鶴見自身の記述、p603「われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、マチガイの度合の少ない方向へ向かって進む。マチガイこそは、われわれの知識の向上のために最も良い機会である。」。黒川解説p612「現実には、人間は「期待」の次元の混沌に向かって、さまざまな判断の「まちがい」をおかしながら生きる。この「罪」を、「懺悔」で解消させることなく、そのまま自分の前に置いておくことこそが、大切だ。「まちがい」をかさね、それでも、これを忘れずにいることによって、人はまちがいの度合の少ない方向に進めるようになっていく。それが、プラグマティズムの先人、パースから鶴見が受け取る「まちがい主義」なのだということだろう。」
「まちがい」とは言い切れないものの、思想と運動の変転こそが、柳宗悦と民藝運動を作り出して行った、というようなことを、『柳宗悦全集 第一巻』の鶴見解説で書かれているのかと、ふと思いました。
20220402
ノーマ・フィールド『小林多喜二 21世紀にどう読むか』(岩波新書 2009)了。「第三部 小樽から東京へ」。作品『工場細胞』に触れた箇所、p177「このとき専務が置かれている立場と心境は、こういうものだ。「「金融資本家」に完全に牛耳られて、没落しなければならない「産業資本家」の悲哀が、彼の骨を噛んでいた」。」が面白い。多喜二の分析・表現ともに優れたものと思われる。北海道は資本主義化と社会主義運動が同時期に興ったってことなのか。20代で死んだ多喜二が、一個の人物・才能であったのは間違いない。プロレタリア作家という枠組みを選んだがゆえの得失について、継続的に考えたい。
20220403
『新選組始末記 子母澤寛全集第一巻』(講談社 1973)始。大学図書館に全集所蔵なく、全巻自分で購入。北海道を代表する大学がそんなでいいのか。定本「新選組始末記」は「新選組始末記」「新選組遺聞」「新選組物語」をもとに再編集したもの。この巻もその内容。単著「新選組始末記」は1928年刊。
昨日紹介した小林多喜二の「一九二八年三月十五日」発表と同年。ちなみに、第一回普通選挙の年。翌1929年「蟹工船」発表。子母澤は1892年生、多喜二は1903年生、石狩湾を挟む厚田と小樽で遠く相対していた時期もあったのではと思ったが、住んでいた時期がずれていて、それはないみたい。
厚田出身の文学者のデビュー作が「新選組始末記」というのは驚異的なことだと思うんだけど、子母澤の資質はもちろん、厚田の浜で鰊場を経営せざるを得なかった(後、夜逃げ)江戸幕府御家人出自の祖父の孫への語りがいかに強烈なものであったのか。全集順番に読んでいく予定なので、いつ子母澤の厚田語りに辿り着くものやら。
さて現今の様々の新選組語りはおそらくほとんどすべてこの隊士発掘『新選組始末記』のの影響を受けているのだろう。それが、やはり北海道出身の野田サトルさんの『ゴールデンカムイ』に登場する、土方歳三や永倉新八の造形にも役立っていたりしたら胸アツなんだが。間接的にせよ。
20220404
『中谷宇吉郎集 第四巻 永久凍土』(岩波書店 2001)了。この巻については、全体として、いわゆる「文系」の人間には決して書き残せない種類の「歴史叙述」の一面がある、と感じた。「札幌における寺田先生」に触れた当方の駄文:「昭和7年秋、札幌の寺田寅彦」。ご参考まで。
昭和7年秋、札幌の寺田寅彦|TAHARA_Sapporo|note
20220405
『旧約聖書 Ⅲ 民数記 申命記』山我哲雄・鈴木佳秀訳(岩波書店 2001)。「聖書観」構築読書。身近な本という感じは皆無。今回気になったのは(多分本筋とは関係ない)p123「屍体による穢れを帯びた者の浄め」という箇所。この種の畏れは人類共通なのか、戦争がその感覚を狂わせたりするのか、等々。
20220406
『高倉新一郎著作集 第1巻 北海道史[一]』解説永井秀夫(北海道出版企画センター 1995)了。「新北海道史 概説」p361「明治維新によって与えられた移動、居住、職業の自由は、農民の封建的束縛を解き、秩禄の廃止は武士階級の失業を招いて、その活路を北海道移住に求める者は急速に増加したが、この時期になってその条件が熟してきたのである。そして渡航する者も、従来のように単なる出稼ではなく、新天地に永住を期待する移住に変っていった。」 日本(史)の中での北海道の独自性について理解が進んだような気はする。高倉先生は文章がうまい。なるほど「北海道史界のラスボス」になるはずだ。
20220407
『宮本常一著作集 4 日本の離島 第1集』(未來社 1969)始。離島出身者なのでとても興味深い。p27「私自身が島生れである。そして私の幼少の頃のことを考えて見ると、島民の生活は実にひくかった。」1907年生の宮本より50年ほど後の生まれだけど、「ひくかった」という感覚はよくわかるし共感する。
日本の離島、なにほども知らない。その地に立ったのは、礼文島・伊豆大島・沖縄本島・佐渡島・淡路島くらいしかない。北海道の天売・焼尻・奥尻さえ知らない。今年は宮本さんの生まれ在所周防大島を訪ねたい。島国の離島に生まれ育つことの意味など考えて見たい。サハリン島という大物も残っている。
20220408
筒井清忠編『昭和史講義2 専門研究者が見る戦争への道』(ちくま新書 2016)了。第20講 昭和期における平準化の進展 戦前・戦中・戦後。平準化とは社会的文明化である、と思ったりもしたのだがどうなんだろ。「強制的同質化」「意図せざる結果」「歴史のパラドクス」というキーワードが印象に残った。
20220409
『吉田健一著作集 第三巻 乞食王子 文學人生案内』(集英社 1979)。「乞食王子」1956年刊。一新聞紙上の七十九回分の短文連載をまとめた一冊なので読みやすく、エッセンス・オブ・吉田健一的なものになっている。文学者というよりか、文明批評家が書いたものという印象を受ける。もちろん優れた。
「贅沢」文、p33「マルクスの学説が日本で一般に喜ばれるのは、他のどんな理由からよりも、金持は贅沢だから怪しからんといふ、マルクスの経済学とは別段に関係がない、昔からの貧乏人根性によるのではないだらうか。」からのp35「贅沢と遊ぶといふことは同じであって、遊ぶ気持が働いてゐなければ、贅沢をしても贅沢になれないからつまらない。」吉田自身は宰相吉田茂の御曹司で、「王子」階層に近いはずが、親子揃って「エスプリ・デリエ=解きほぐされた精神」p88を追求した結果か、経済的には「王子」よりかは「乞食」に近い時期もあったように書かれている。嘘の含有量は計測不能だが。
いまどきな文章。「沖縄」文、ポオランドの独立の歴史について書いた後で、p129「我々には他所の国の軍隊に占領された経験がない。と言へば、誰でも今度の占領中のことを思ひ出すだらうが、他所の国の軍隊に占領されるといふことが、あのやうに生やさしいものではない筈である。そしてそれさへも、我々はアメリカの兵隊を前にして歯を食い縛つたことが何度もあつた」。敗戦後わずか10年ほどで、実質米国の占領がいかに寛大なものであったかという意見が記されていて面白い。ああそれなのに、悪いのはアメリカ、宇は素直に露の占領下に入れという人はいう。占領下も悪くないじゃん、な訳あるかい!
20220410
『梅棹忠夫著作集 第4巻 中洋の国ぐに』(中央公論社 1990)始。「モゴール族探検記」(1956)。昭和31年。偶々前日の吉田健一「乞食王子」も同年刊。当時、両書を読むような御仁は、文明や言語に深い関心興味を抱いていたと思われる。66年前。我々の知識教養はその後どの程度更新されたのだろうか?
20220411
『鶴見俊輔集 3 記号論集』(筑摩書房 1992)了。言語論と大きくかぶる印象。p344「かんがえることはつたえるという外面的な行為の内面化なのである」、p363「文化の飛躍的発展は、しばしばこのように高い文化を低い文化が主体的にうけつぐことをとおしてなされる」、p390「言葉のお守り的使用法のさかんなことは、その社会における言葉のよみとりの能力がひくいことと切りはなすことができない」、p464「他人の世界に同情するということは、相当の閑人でなくては出来ないことだと思うし、また相当孤独の習慣をもたなくては出来ないことだと思う」。すごい。「記号論」が何かわからないままだが。
20220412
『岩波講座 世界歴史 03 ローマ帝国と西アジア~前三~七世紀』(2021)始。刊行中のシリーズを発売順に読むので、巻数が飛び落ち着かない。帯惹句「「支配ー従属」の図式には収まらない「帝国」統治の複雑な実像とは?」って、現在でも有効な問い掛けだよなあ。二項対立の図式にしたがるの良くない。
20220413
『網野善彦著作集 第二巻 中世東寺と東寺領荘園』(岩波書店 2007)。例によって、網野先生の文章が巧みなので読まさるものの、意味内容全く入ってこず、しくしく泣きながら頁を繰っていたが、p226「聖無動院道我と学衆方荘園」に、心の友兼好(法師)が登場、俄然ヴィヴィッドな読書になりました。
清閑寺大納言法印道我は兼好の歌友。『兼好自撰歌集』にも登場。『徒然草』160段の清閑寺僧正を、道我とするか、道我の師道源とするかで学説の違いがあるみたい。ちょっと調べてみたい。大学時代の恩師安良岡康作先生は道我説(『徒然草全注釈』)、小川剛生先生は道源説(『新版 徒然草』)。
何しろ、それほど身分の高くなかった(ことを小川剛生先生が明らかにした@『兼好法師』中公新書)兼好が作歌の力で、同好とはいえ東寺の荘園経営に深く関わる身分の道我と交渉を持っていたことは確かで、実務家と芸術家の両面が中世には違和感なく一人の人間の中に存在しえたのかと考えたくなる。
兼好も、世をはかなみ僧形になった遁世者というよりは、身分制の枠外に位置することのできる出家・歌人として、むしろ積極的に社会活動をしていたようだ(と小川先生の『兼好法師』を読んで思いました)。生前の兼好は『徒然草』の作者として生きていたわけではもちろんないので。だからこそ面白い。
20220414
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第三巻』(中央公論社 1995)始。昭和15・16年分。宮は35から36歳、前年昭和14年11月15日付で軍令部出仕。1941年11月後半日記記述なしに対し、12月分は詳細を極めている。まだ1940年6月前半まで読んだだけ。宮の日記の中で、日本はどのように開戦に向っていくのだろう。
p9、昭和15(1940)年5月6日には日本民藝館を訪問し、柳宗悦(と浜田庄司)に会っている。民藝館の開館は昭和11(1936)年10月。柳の父楢悦は海軍少将、義理の兄にあたる谷口尚真は海軍の超エリート軍人。柳のリベラリズムが大目に見られていたのには、そんな背景もあったのではないか?と思ったり。
20220415
『開高健全集 第4巻』(新潮社 1992)始。1959年11月~1960年5月に発表された短編7作と1961年5月~11月の新聞連載長編1作を収録。月報で佐伯彰一が触れているが、60年安保闘争を挟む時期。自分は1958年生なので60年代後半以降の記憶しかない。ベトナム戦争についても開高の叙述に沿いつつ勉強したい。
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