閲覧録 202204-05 (20220416-20220515)
20220416
橋本治『蓮と刀 どうして男は”男”をこわがるのか?』(河出文庫 1986、原本 作品社 1982)了。ご本人も本書の中で触れているが、著者33歳の作品。こちらがもう63歳なせいもあるが、やはり若書きの印象が残った。同性愛にしろ異性愛にしろ、セックスのことを的確に書くには、ある程度以上の行為の回数とそれを可能にした歳月の経過が必要なのではないか。山里勇吉さん版「六調節」の「きみとあたしは硯の水よ すればするほど濃ゆくなる」みたいな性的境地は33歳の若者には書けないよな。30代はまだ、濃ゆくなった墨で何か書く年代ではなく、すりにするべき時代なんではないか。
20220417
ファインマン, レイトン, サンズ・宮島龍興訳『ファインマン物理学 Ⅲ 電磁気学』(岩波書店 1969)。第13章 静磁場 から 第14章 色々の条件下の磁場 まで。相変わらず数式は全く理解できていない。ソレノイド登場。電気エネルギーを、電磁力によって、機械的運動に変換するもの。モーターではない。
20220418
『村上春樹全作品 1990~2000 5 ねじまき鳥クロニクル2』(講談社 2003)「第3部 鳥刺し男編」了。多分、十度目位の通読。今回は、東北アジアへのこだわりは何なのかと考えた。以降の長い長編、カフカ・1Q84・団長は、ねじまき鳥の変奏曲で、原曲が一番良いのではとどうしても思ってしまう。どうだろ。
20220419
安丸良夫「一八五〇-七〇年代の日本ー維新変革」『岩波講座 日本通史 第16巻 近代1』(岩波書店 1994)。院ゼミ課題読書。p29「民衆運動の状況が権力政治の舞台をその基底部で規定していたといえる」辺が民衆史的なのか。「デウス・エクス・マキーナ」登場本は、村上春樹『ノルウェイの森』以来かも。
20220420
『内村鑑三全集 2 1893‐1894』(岩波書店 1980)。『貞操美談 路得記』1893。旧約聖書ルツ記の註訳。p263「路得記は実に聖書の女大学と称すべき者なり」の一文にいろいろなものが詰まっている。のち愛娘をルツ子と命名、その夭折によって、内村の再臨信仰が形成されることになる。苦難を呼ぶ男、鑑三。
20220421
山室信一『思想課題としてのアジア 基軸・連鎖・投企』(岩波書店 2001)。「第2部 アジアにおける思想連鎖」途中。思わぬところで思わぬ人が思わぬ形で登場して面白い。前回は国粋主義者?としての内村鑑三。今回は、p212本の目利きとしての川路聖謨、p229五稜郭戦時の榎本武揚と黒田清隆のエモい話。
20220422
『漱石全集 第四巻』(岩波書店 1994)始。「虞美人草」(1907年初出)巻。再読。初読はつい数年前、50代でだった。漱石代表作とみなされない一方、評価は分かれている模様。確かに月報中の大原富枝と平岡敏夫では捉え方が別物だ。通読完了後に自分なりの評価を書留めておきたい。藤尾をどう捉えるか。
浜松名古屋行20220423:いわゆる新卒社会人になった次女を、新入社員研修地の浜松に訪ねる。とは言え、夜の会食のみ一緒にすることにして、単独行動で未知の土地浜松を散策。静岡空港からリムジンタクシーで市内に入り、まずは浜松城。野面積み仕様の石垣が印象的。築城当時のものらしい。すごいね。→
浜松名古屋行20220423:→次女と合流。噂に聞く「さわやか」ハンバーグをと思ったが、これまた噂通り一時間超待ちということで、もう一つの名物(さらにもう一つはうなぎ)浜松餃子をいただくことに。「さわやか」、予約だけしてどっかに行く仕組みらしいが、それにしても。道産子の想像を超えてる。→
浜松名古屋行20220423:→次女とお互いの健在を確認しJR浜松駅で解散。在来線で名古屋へ移動。楽器博物館に未練を残す。豊橋乗り換えでJR名古屋駅。あっという間。東海中京、人出が多いね。活気がある。ほぼ四半世紀ぶりの名古屋、キョロキョロしながら、地下鉄桜通線で久屋大通駅近くのホテルへ。続く
浜松名古屋行20220424:在名古屋。トヨタ産業技術記念館・名古屋城(+西の丸御蔵城館)・徳川美術館+蓬左文庫「広重の旅風景 雨・雪そして人」展と巡り、香港からの留学生としてこの春北大修士課程を終え、今は名古屋市民の張さんと晩食。文化都市でも観光都市でもなく、産業都市なんだろうな。→
浜松名古屋行20220425:名古屋。午前中はWEBで見つけた新栄のブックカフェへ。人口の割に、喫茶店・カフェは多いがブックカフェは少ない都市なのかも。お昼は初体験の味噌煮込みうどん。完食するも再食は当面なさそう。中部空港から新千歳・札幌へ。名古屋と札幌、都市としての性格が随分違う印象。
20220424
田中克彦『ことばと国家』(岩波新書 1981)。今回の浜松名古屋行の合間に読了。母語と母国語の違いの指摘、「固有名詞は固有の言語をつくる」項での「ロシア語に対するウクライナ語」の例示など面白かった。「国家が学校を作ってそこで教えるようになった文法は禁止の体系である」ってのもすごいな。
20220425
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫 2016 初出2009)始。最近では日本学術会議会員の任命問題でも広く知られることになった著者の小林秀雄賞受賞作。今気付いた、文庫解説は橋本治ではないか。解説冒頭、その授賞時の選考委員の一人でこの作を強く推したとの記述。読了誓う。
旅の途中で手持ち紙本(『ことばと国家』)を読み終えてしまったので、名古屋の某ブックカフェで加藤本を、古書価が付けられているとは言えない古書だなあと思いつつ購入。旅の途中で「1章 日清戦争」まで読了。聴き手の栄光学園生徒さん達賢こという印象(そこ?こちらは63歳アホの初老、トホホ)。
20220426
『柳田國男全集 第二巻』(筑摩書房 1997)了。「山島民譚集」(1942 再版)より、p686「嫉妬は今日の社会に在つては申すまでも無く道徳上の価値は極めて低いが、人間の痛切な感情の一として割合によく諒解せられて居る。それと言ふも万人が万人多少は之を経験せぬ者が無かつたからであらう。此所謂島国的根性は人間のみか日本の天然も亦之を通有して居た。」すごい話だな。いわゆる「島国根性」なる言葉は、いつ頃から流通し始めたものなんだろう。開国して「島民」の意識に目覚めてから? 自分は「島国根性」は希薄だが「島民意識」は強いと思う。だって実際離島の生まれ育ちなんだもん。
20220427
ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-05』(河出書房新社 2008)始。1891年ウクライナ生まれ、1940年ロシアで没の作家。生前、世に出ることのなかった作品。と、訳者解説で知り面白さ倍増(遣る瀬無さも倍増)。に比して、池澤さんのネタバレ月報文、鈍感に過ぎる。
20220428
『寺田寅彦全集 第五巻 科学1』(岩波書店 1997)。「物理学と感覚」(1917)、p69「哲学者の中にはわれわれが普通外界の事物と称するものの客観的の実在を疑う者が多数あるようであるが、われわれ科学者としてはそこまでは疑わない事にする。世界の人間が全滅しても天然の事象はそのままに存在すると仮定する。これがすべての物理的科学の基礎となる第一の出発点であるからである。この意味ですべての科学者は幼稚(ナイーヴ)な実在派(リアリスト)である。」「ナイーヴなリアリスト」って言葉いいな。人文学研究においても(あるいは生きる過程のすべての場面で)そうであるべきかも。
20220429
永井荷風『荷風全集 第三巻』(岩波書店 1993)了。荷風は『ゴールデンカムイ』に言われる「パルチョーナク Барчонок=ボンボン」属性の持ち主で間違いないだろう。第三巻収録作品群は荷風外遊前の著述で、これら読むのは、軍務経験前の鯉登音之進の所業を見るようなものではないか(田原アホです)。
20220430
山崎広明他『もういちど読む山川政治経済 新版』(山川出版社 2018)。「第2章 日本国憲法と民主政治」。条文に謳われる基本的人権の保障が今現在十全になされているかというとそうでもない気がする。護憲の人達にはむしろそっち方面の憲法違反を批判してほしい。昔より窮屈な世の中になってませんか?
20220501
『志賀直哉全集 第十四巻 日記(四)』(岩波書店 2000)始。昭和8‐昭和12年まで、志賀50‐54歳。20220501、札幌ドームで大学ラグビー早明戦を観たんだけど、帰宅して本を開いたら、志賀が19330103花園ラグビー場で早稲田対同志社を観てて、なんだか面白かった。1933年は「早大勝つ」、2022年は明治。
19330222「小林多キ二捕へられ、悶死の記事あり」、同24日「夜小林多キ二の母にクヤミの手紙を書く」、同25日「<MEMO 小林多喜二二月二十日(余の誕生日)に捕へられ死す、警官に殺されたるらし、実に不愉快、一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり アンタンたる気持になる、不図彼等の意図ものになるべしといふ気する、>」。とはいうものの、同日日記の本文は「午后、若山 加納来て麻雀、夜二時頃までやる」。同年3月25日「勝負事、殊に花合わせ麻雀を少しつゝしまう(中略)時間と体力を少し使ひすぎる」。爆笑。単純かつ複雑。すでに『暗夜行路』を書いた大家だよ。
19331015「吉田十時頃来て四時まで話す」、翌16日「吉田健一ヒル前かへる」。吉田健一(1912‐1977)なんだろうね。吉田健一21歳?志賀は50歳。話が盛り上がったんだね。家族にはときに理不尽な癇癪を起こすも、才ある文学者・芸術家に対しては面倒見のいい志賀。やはり単純かつ複雑。天然の天才か。
20220502
『谷崎潤一郎全集 第5巻』(中央公論新社 2016)了。1918年作品「小僧の夢」より、p449「日本人の容貌の醜悪なのに愛憎が尽きる」「此の卑しい汚い矮小な人種が、己の同報であるかと思ふと、さうして自分もあんな姿をして居るのかと考へると、己は全く情なくなる」「己はどうして西洋に生れなかつたのだらう。欧羅巴に生れさへすれば、たとへ商店の小僧であつても、今よりはもつと幸福だつたに違ひない」、この手の西洋崇拝とその裏返しのコンプレックスは、100年後の21世紀の今現在も残っているようにも思える。自分はどうだろなあ。谷崎は関西行きを機に日本回帰を果たすんだっけ、違ったっけ?
20220503
『チェーホフ全集 12 シベリアの旅 サハリン紀行』松下裕訳(ちくま文庫 1994)。p232「南京虫とごきぶりがわんさといて」、いやサハリンにゴキブリはいないだろう。チェーホフの生地タガンログはいてもおかしくなさそう。作者の勘違いなのか、訳者の間違いなのか、校閲漏れなのか、本当にいるのか。
20220504
『民家論 今和次郎集 第2巻』(ドメス出版 1971)。「日本の民家」(初版 1922年、増訂版1954年)p147「わが国は北から南にわたっていて、そして木材に富む島々の連続している国」「サガレン(旧樺太)には校倉造り(あるいは丸太造り)のものがたくさんある」、初版には旧の字はなかったんだろうね。
20220505
『柳宗悦全集 第七巻 木喰五行上人』(筑摩書房 1981)始。柳本それなり読んだ積もりが7巻所収の著述は全く未読。文庫化などしにくい内容なのだろうが、柳を知るには不可欠な叙述と思える。2024年で木喰発掘100周年なのか。今や「もくじき」入力で「木喰」変換。※自分は「歩く人」に惹かれるらしい。
20220506
『突っかけ侍 上 子母澤寛全集第二巻』(講談社 1973)了。先月来第一巻『新選組始末記』始めるも、何度も読んでる作品なので中止、未読分多数の第二巻以降に進むことに。時代小説類はよく知らないので比較評価できないが、面白く一気読み。寝不足(トホホ)。小笠原長行、初めて知った。下巻に期待。
20220507
『中谷宇吉郎集 第五巻 立春の卵』(岩波書店 2001)。「原子爆弾雑話」(1945年10月)から「分子と分子との結合による火薬、分子の破壊による爆薬、分子の構成要素である原子の崩壊による「原子爆弾」と並べてみて、その順序をつけるのは、勿論人間の頭の中のことである。ところが本当にその順序の通りが実現するところに、自然科学の恐ろしさがあるのである。」「「原子核内の勢力が兵器に利用される日が来ない方が人類の為には望ましい」という考は、八年前も今も変わらない。今回の原子爆弾の残虐性を知ってからは、科学も到頭来るべき所まで来たという気持になった。」利用されませんよう。
20220508
『旧約聖書 Ⅲ 民数記 申命記』山我哲雄・鈴木佳秀訳(岩波書店 2001)。「民数記」了。内容は入ってこない。なぜこういう本がこういう形で残っているのか、ずっと考えている。イスラエルの民にとって、民族存続のためにガイドブック、ルールブック、リファレンスだったということなのか?どうなの?
だとしたら、野球が普及していない土地でサッカーファンが、やったことはおろか見たこともない野球のルールブックを読んでいるのと同等ではないか(喩えが頓珍漢w)。親ガチャならぬ本ガチャで被害を被っているという考え方もあるが、親ガチャは悲惨なこともあるが、本ガチャで「何これ?」はときに必要なのではと思える。特に自分のような年寄りには。アイデンティティ確立のための読書の時代は過ぎて、世界観の微調整とか不必要・不適切な認知バイアスの排除のために本を読むべきなんだよね。昔のご本を読んでます、は避けなきゃ。となると逆説的に、「旧約」読書は良い読書となるではないか。
20220509
『高倉新一郎著作集 第2巻 北海道史[二]』解説田端宏(北海道出版企画センター 1995)始。前日イスラエルの民の一種の「歴史書」、本日は比較すれば歴史浅い蝦夷地に関する歴史書。人間は多様性を内包せざるを得ない、という理解が、人間の多様性を担保するのではないか。なんてね。蝦夷地もおもろい。
20220510
『宮本常一著作集 4 日本の離島 第1集』(未來社 1969)。「歩く人」の側面が多く語られる宮本だけど、「島の人」でもある。自分はその双方に惹かれる。本書は「島の人」でなければ書けない内容なのでは。自分も「島の人」の端くれなので、「島」についてちゃんと書き残しておきたい、とは思っている。
20220511
筒井清忠編『昭和史講義3 リーダーを通して見る戦争への道』(ちくま新書 2017)始。筒井先生の「まえがき」より、「昭和史をよりわかりやすく理解してもらうために、これまでのように事件を中心とするのではなく、人物を叙述の中心としたものとした。正確な史料に基づいた信頼できる視点からの人物論的昭和史を目指したのである。歴史小説に惑わされがちな読者を正確な史料に基いた歴史叙述に引き戻す試みといってもよい。」「さらに書いておけば、最近の昭和史研究の進展が研究者をますます平板な「史料主義」の方向に走らせていることを防ぐことも本書では企図されている。」「人物を描くことは人間の複雑性を理解することだ。いくら第一次史料を博捜していても人間を見る目が熟達していなければ優れた史的人物論は書けない。今日専門家の歴史叙述が一般の人を遠ざけていることのひとつの原因は人間が書けていないことにあるだろう。こういう反省も本書にはこめられているのである。」「歴史の研究者は実は誰よりも物語を主軸にする小説や映画などからストーリーテリングの能力を学んでおかなければいけないのだが、こうしたことを含めて全体として史的人物論では執筆者自身が誰よりも試されるのである。」というストーリーなのだ。ふーむ。どないなもんでっしゃろ。
20220512
『吉田健一著作集 第三巻 乞食王子 文學人生案内』(集英社 1979)了。「文學人生案内」1957年刊。吉田健一bot
風に、「我々のうちに昔と同じ一人の青年が住んでゐながら、その青年を外から眺める余裕も出来て来るといふ風に年を取つて行くことが望ましいのであり、本当の青春といふものは、人生でも或はその時から始るのかも知れないのである。経験が我々を自由にするので、そしてこの青春は一生続く。」(夏目漱石の「坊つちやん」)。も一つ「ある瞬間が美しいのであつて、それがいつまでも続くものではない。そして美は何かの形で我々に憧れを覚えさせるものであるならば、美しいものを捨てて憧れだけを持ち続けるといふ生き方をする余地も出来てくる訳である。美を感じる心さへ失はなければ、我々は美しいものに対して盲になりはしないし、又、美に執着する心の為に不具になつたり、漂泊の人にされたりする心配もない。どう工夫して見た所で、人生が漂泊であることに変りはない。ヘツセの「漂泊の人」がそれを教へてくれなくても、人生が我々にそれを教へてくれる。」(ヘツセの「漂泊の人」)。さらに、「精神分裂症といふ言葉があるが、精神と肉体が分裂する以上にひどい精神の分裂はない。」(ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」)。40代半ばの吉田健一金言集。
20220513
『梅棹忠夫著作集 第4巻 中洋の国ぐに』(中央公論社 1990)。「カイバル峠からカルカッタまで」(1962)が面白かった。1955年10‐11月、40日間のパキスタン・インド旅行記。米国人学者二人とフォルクスワーゲンに同乗し、助手席でタイプライターを使い書かれたという。梅棹版「オン・ザ・ロード」!?
20220514
『岩波講座 世界歴史 03 ローマ帝国と西アジア~前三~七世紀』(2021)。教科書的編年体的な歴史知識を読者が充分に持っている前提で編集されているようで、自分のような初学者には付いていけない部分が多々あり。あるべき通史叙述とはとか考えて、実は『旧約聖書』がそれだったのかもなと思ったり。
20220515
ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ 池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 Ⅰ-05』(河出書房新社 2008)了。類稀な奇妙で美しい小説。作者生前に世に出ることのなかった作品だそうだ。死後、紆余曲折の末ベストセラーに。いろいろな意味での救済の物語。※p518「ケルチ鰊」って出てきてびっくり。黒海産。
『鶴見俊輔集 4 転向研究』(筑摩書房 1991)始。鶴見の仕事の中で大きな部分を占めるものと思うが、自分はまだ読んでいなかった。p34「昭和のはじめにはややたちおくれていた支配者側は、昭和中期以後急進主義者の思想運動についても、急進主義者自身よりも的確な見透しを持ち得た。」ってすごいな。
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