砲弾病(シェルショック)を患った日本兵 家族の記憶
戦場神経症-シェルショック
NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」で「戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢」という番組が放送されました。
番組では、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線で、兵士が「シェルショック」と呼ばれる神経症を患ったことが、当時の映像で紹介されました。
体が硬直して震え、歩くこともできなくなってしまった兵士の症状は、脳や脊髄への物理的衝撃が理由だとされたり、臆病風に吹かれた詐病だとされたりして、激しい電気ショック治療を受けて、再び戦場へ送り出された人もいたそうです。
中には軍法会議で「臆病の罪」とされ、処刑されてしまった英軍兵士もいたことも紹介されていました。
現在では、戦場という特殊な環境が引き起こす重度の神経症であることが明らかにされ、戦場PTSDなどとも呼ばれているようです。
しかし、単に戦場の記憶が蘇って、恐怖感や罪悪感に駆られたり、悪夢に悩まされるという精神症状だけではなく、身体的な麻痺やけいれんを伴う、激しい症状を呈する患者の映像がたくさん残されています。
1937年に支那事変が勃発すると、日本軍にも「シェルショック」(砲弾病)を発症する兵士が出てくるのですが、日本軍はこの事実を伏せて「日本兵士は精神力が強いので、皇軍には皆無だ」と発表しています。戦場の悲惨な現実を、国民には徹底して隠したのです。
我が家の記憶
実は、僕の親族にも、この「シェルショック」になってしまった人がいたようです。僕の親父(1928年生まれ)から一度だけ聴かされた話です。
親父が子供の頃、戦地から復員してきた叔父の一人(僕からは大叔父)は、体が麻痺したようになって、まともに話もできず、戦場で発狂したものと扱われていたのです。
親父が、その大叔父を見舞ったとき、大叔父は「あうう、あうー」と唸りながら、煎餅の缶にかじりついて、蓋を開けようとしたと言います。
不自由な体で、親父に煎餅をやろうとしていたらしいです。
親父が周りの大人に「叔父さんはどうしてしまったの?」と聞くと、大人たちは「叔父さんはね、戦争で恐ろしいことをたくさん見たんだよ・・・」と言っていたそうです。
酔っぱらった親父がその昔話を僕にしたとき、親父は「うちの家系にも気が狂った人がいたのだ。お前にも同じ血が流れていることは覚えておけ」と言いました。
どうやら、大叔父の「シェルショック」は、恐怖のため精神疾患が発病したものだと扱われ、遺伝性があると思われたようです。
消された記憶
昔のことですから、医学的な根拠も明らかでないまま、そうした扱いを受けた復員兵士のことは、家族も他人に知られないように隠し、歴史からも消されてしまいました。
その後、僕の叔父が我が家の家系をまとめてくれた図があるのですが、そこには、その大叔父のことが書かれていないようです。叔父が意図的に伏せたとは思えないので、どうやら家ぐるみで「いなかったこと」にしてしまったのでしょう。
なので、戦場で「発狂した」大叔父のことを知る人間は、もう僕一人になってしまいました。彼の名前も顔もわかりませんが、僕の家系にそういう人がいたことだけは、確かなのです。
今、ウクライナでは再び塹壕戦が行われています。
人工衛星やドローンが戦争に使われ、高度なセンサー機器が戦場に投入されている21世紀ですが、それゆえに最前線では、第一次世界大戦のような塹壕が復活し、生身の兵士は攻撃の恐怖に晒されているのです。
おそらく、ウクライナとロシアの双方に、多くの戦死者だけでなく、数えきれないほどの戦争神経症患者が生まれているはずです。いずれ戦争が終わっても、そうした人たちと家族の苦しみが癒えることはありません。