不朽の名著にしてはいけない! 『もっとねころんで読めるてんかん診療』

私は「てんかん診療をきちんとやれる医師」であると自負している。

これは決して「診断が正確で治療が上手い」という意味ではない。

てんかん診療を「きちんとやる」とは、専門医の判断が必要な患者さんを見つけたら、実際に専門医を受診できるようつなげることだ。

では、専門医の判断が必要なのはどういう患者さんかというと、「てんかん治療を受けているが発作が消失していない人」と「てんかんが疑われる人」である。自動車免許など社会生活に関わる問題も多いので、病気そのものの説明だけでなく、周辺事項についても触れたうえで専門医に紹介するようにしている。

さて、私が「てんかん診療をきちんとやれる医師」になれたのは、『ねころんで読めるてんかん診療』(略して「ねこてん」)を読んだおかげである。「ねこてん」が救った患者さんは多いが、そのうち一人を記しておく。

ある若い患者さんに、てんかんと診断して治療を開始した。ところが、いろいろな薬を使ってもけいれん発作を繰り返す。悩んでいたころに出会った「ねこてん」に勇気づけられた私は、患者さんと家族に専門施設での入院検査を勧めた。遠方のため患者さんも家族も渋ったが、説得を繰り返して入院にこぎつけた。長時間ビデオ脳波モニタリング検査を受けた結果、診断は「心因性非てんかん発作」。つまり「てんかんではない」ことが確認された。

自分の診断が間違っていたことにガッカリしたか? 否。専門施設で入院検査を受けていなければ、患者さんは生涯の長きにわたって無益な抗てんかん薬を飲み続け、身体的にも経済的にも負担になっていただろう。患者さんへのムダな治療を中止できたことは、とても嬉しかった。

誤診を恥じるか? 否。てんかん診断(あるいはてんかんの否定)がそんなに簡単であれば、著者の中里先生は「ねこてん」を執筆されなかっただろうし、長時間ビデオ脳波モニタリングを熱心に紹介されることもなかっただろう。間違いが見つかることを怖れて専門施設を紹介しないとしたら、それこそ「恥」である。

名著「ねこてん」は、てんかん診療に関わる医師みんなが読むべきだと強く推薦する。

おっと、前著「ねこてん」への思い入れが強すぎて、「もっとねこてん」の紹介を忘れるところだった。

「もっとねこてん」を一読した感想。

これを不朽の名著にしてはいけない!

どういうことか。

内容は文句なしに素晴らしい。

「てんかん」の多様性(まったく同じ生活背景かつ同じ発作の人なんていない!)、てんかん診療の心がまえ(患者さんの「人生」を考えよ!)、思春期トランジション問題(中学生になったら小児科から卒業して成人科へ!)、てんかんと就労(理解し、理解され、はたらこう!)、てんかんと社会保障(自立支援制度などを利用しよう!)、てんかんと運転免許(悩ましい!)等々、平易な文章できちんと説明してある。

ところが、これらがいつまでたっても「素晴らしい」ままではいけないのだ。いつの日にか、書かれている内容の多くが医師や患者・家族、社会にとって「当たり前」にならなければならない。つまり、今はまだ「当たり前ではない」ということ。

中里先生が「医師だけでなく、患者さんや家族をも対象とした本」を何冊も執筆されるのは、「当たり前でないことを当たり前にしたい!」という強い想いがあられるからだ(たぶん)。

さぁ、みんなで当たり前のてんかん診療を作ろう!


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