大雑把な福祉の網目からこぼれた人たちの犯生記録
2006年1月7日、JR下関駅が放火によって全焼した。逮捕された福田容疑者は「刑務所に戻りたかったから、火をつけた」と語った。彼は知能指数66、軽度の精神遅滞であった。以下は著者のインタビュー場面だ。
「ところで、どうして火をつけてしまったんでしょうか」
「うーん、店の前に置いてあった紙に、ライターで火をつけて、段ボール箱の中に入れただけ。そしたら、いっぱい燃え出した。駅が燃えると思わんかったから、驚いて逃げた」
手振りを交えて、一生懸命に説明しようとしてくれているが、これでは、答えになっていない。「どうして」というような抽象的な質問は避けるべきだったかもしれない。
「刑務所に戻りたかったんだったら、火をつけるんじゃなく、喰い逃げとか泥棒とか、ほかにもあるでしょう」
そう私が訊ねると、福田被告は、急に背筋を伸ばし、顔の前で右手を左右に振りながら答える。
「だめだめ、喰い逃げとか泥棒とか、そんな悪いことできん」
本気でそう言っているようだ。やはり、常識の尺度が違うのか。さらに質問してみる。
「じゃー、放火は悪いことじゃないんですか」
「悪いこと」
即座に、答えが返ってきた。当然、悪いという認識はあるようだ。
「でも、火をつけると、刑務所に戻れるけん」
何度も犯罪をくり返す精神遅滞、精神障害の人たちがいる。そういう人を「累犯障害者」という。仕事柄、精神遅滞の人と接する機会は多い。私がやった精神鑑定での知能検査で精神遅滞が明らかになった人もいる。
彼らの中には「刑務所が安住の地」と感じる人がいる一方で、なんと「自分が刑務所にいる」ことすら分かっていない人もいるというから驚きだ。
「おいお前、ちゃんとみんなの言うこときかないと、そのうち、刑務所にぶち込まれるぞ」
そう言われた障害者が、真剣な表情で答える。
「俺、刑務所なんて絶対に嫌だ。この施設に置いといてくれ」
悲しいかな、これは刑務所内における受刑者同士の会話である。
また、いま自分がどこにいて何をしているのか分かっていないだけでなく、言葉によるコミュニケーションすら理解できない人もいるようだ。こういう人たちから、どう取り調べをして、どんな裁判をした結果が懲役刑だったのだろうか……。
2004年に起きた宇都宮の誤認逮捕事件。誤認逮捕された精神遅滞の元被告のインタビュー。
「私も拘置所に入っていたことがあるんですよ。暑い時期だったんで、体中から汗が噴き出てました。でもいまの時期は、本当に寒いでしょうね。あそこの中は寒かったですか」
そう訊ねると、俯いたまま答える。
「うん、寒かった」
さらに、もう一度質問してみた。
「でも、建て替えで新しくなっているところもあるようですし、あそこにいたんだったら、そんなに寒くなかったかもしれませんね」
「うん、寒くなかった」
今度は、反対の答えが返ってきた。だが結局は「オウム返し」なのだ。これでは、取調べのなかで、いくらでも供述を誘導されてしまいそうだ。
こういう人に、どういった取調べが行なわれていたのか、確かに疑問だ。私自身、何度となく警察から事情聴取を受けたことがある。患者さんが起こした事件や事故に関して、その人がどういう病気でどんな薬を飲んでいたかなどを聴かれる。そのあと警察が供述調書を作成し、その中身を確認してから、印鑑を押す。書いてある内容は、たしかに私が言ったことではあるのだが、微妙なニュアンスを伝えきれていないと感じることは多い。
また、精神鑑定するにあたって被害者や目撃者の証言を読むこともあるが、みな一様に、
「こんな事件を起こした容疑者を厳しく罰して欲しい」
と言っている。そう書かれた供述調書を見ると、本当にそんなこと言ったのかなぁ、と疑わしく思ってしまう。
「目撃して怖かったでしょ?」
「はい」
「そうだよね。厳しく罰して欲しいかな?」
「はい」
こんな感じで警察が誘導しているのではないだろうかと勘ぐってしまうのだ。
さて、2004年の『矯正統計年報』によると、新受刑者総数32090人。そのうち22%にあたる7172人が知能指数69以下の精神遅滞で、測定不能の1687人を加えると、3割弱の受刑者が精神遅滞として認定されるレベルである。付言するなら、これは精神遅滞者が犯罪を起こしやすいということを示すものではない。公的福祉がきちんと機能していないことが原因の一つとして大きいだろう。
人類における知的障害者の出生率は全体の2-3%といわれている。内閣府発行の障害者白書によると、平成18年時点で精神遅滞者は45万9千人。
日本の総人口の0.36%に過ぎない。
欧米各国では、それぞれの国の知的障害者の数は、国民全体の2-2.5%と報告されているのだ。
要するに、45万9千人というのは、障害者手帳所持者の数なのである。
現在、なんとか福祉行政とつながっている人たちの数に過ぎない。
本来なら、知的障害者は日本全国に240万人から360万人いてもおかしくないはずである。
結局、知的障害者のなかでも、その8割以上を占めるといわれる軽度の知的障害者には、福祉の支援がほとんど行き届いていない。現状では、軽度知的障害者が手帳を所持していても、あまりプラスはなく、単なるレッテル貼りに終わってしまうからだ。
筆者の山本譲司氏は佐賀県出身で、早稲田大学教育学部を卒業。その後、菅直人の公設秘書、都議会議員2期を経て、1996年に衆議院議員となった。2000年9月、政策秘書給与の流用事件を起こし、翌年2月に実刑判決を受けた。
さすが早稲田の教育学部卒業の筆者だけあって文章は読みやすく、国会議員をしていたからか、事例の紹介や問題提起の仕方が巧みだった。筆者の今後の活躍に期待したい。
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