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譲れることと譲れないこと。マルタでアメリカ人から学ぶ異文化コミュニケーション

私はマルタのサッカーチームに所属している。

そこには4人の外国人がいる。
ここでいう外国人とは、マルタ人以外のことを指す。つまり、私も外国人だ。

私を含めて、日本人、アメリカ人、モロッコ人2人がいる。

アメリカ人の選手は前チームも同じであったこともあり、とても私と仲がいい。

試合で負けた時、すぐに切り替えるマルタ人を横目に、私と彼女は一緒にプレーの反省やチームの動き方を語り合う。

チームスタッフが、複数の事務的な質問に対して、一部しか回答がないことに不満をもっていたが、
同様に共感してくれたのは、そのアメリカ人だけだった。

ここでは、その子を”へリー”と呼ぼう。

アメリカ人の聞き返し方

アメリカ人って話を聞き直す時、
「は↗︎あ↘︎あああん?」
って聞き返すのわかります?

あれ、最初にくらった時、びびって黙っちゃったんですが、
同じ経験したことある人いますよね?

でも、アメリカ人とって、それはノーマル。
日本人でいう「ん?」的な感じなんだと理解はしていても、まだちょっと慣れない。

へリーも私の英語が伝わらないと「はあああん?」って最初は言ってたけど、
毎回私がビクッてなっているのに気づいたのか、

私の時だけ、「I don’t understand」って伝えてくれるようになった。

日本人の繊細さがアメリカ人の大胆さに勝った瞬間であった。

適応力のある優しいへリー。いつもありがとう。

ネックレスと腕立て

へリーは、キリスト教徒として、いつもネックレスを身につけている。
宗教上、大事なネックレスらしい。

しかし、私たちのチームでは、練習中にアクセサリーをつけることは禁止されている。
外し忘れていると、それに気づいたコーチが指摘して腕立て伏せを10回やる罰がある

ちなみに、モロッコ人の2人はいつもピアスを外し忘れて、浅い腕立て伏せをしている。

へリーも同様に、コーチからネックレスを指摘されている。
そして、深い腕立て伏せをする。

その度「これは宗教のために身につけている」とコーチに主張するヘリー。
しかし、コーチは全く微動だにせず、腕立てをさせる。

この毎回のやり取りは、1ミリも前には進まず、5ヶ月が経とうとしている。

聞き耳をもたないコーチ vs 全力主張のへリー

日に日に、たくましくなるへリーの腕をみて、
私は思う。

文化や言語、宗教、価値観が異なる中でどれだけ人々は、理解し合えるのだろうか。と。

それぞれの側面で考えればみんなが「正しい」と思える中で、
私はどう捉えて、どんな意見をもって生きていくべきだろうか。

異文化に揉まれながらも、その中で自分なりの答えを出すには、まだ時間がかかりそうだ。これこそが、この場所での私の挑戦だ。

トレーニング

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