caring 思いやること、の奇跡-day20/100day post vol.2-
本日は、人の持つさまざまな出会いの中で、人間らしさや人間ぽさの大きな要素である「誰かを思いやる」ことについて。
自然現象に美しさを見出したり、自然の景色を見て過去の想い出や天からのメッセージを感じ取ったり、感動したりする解釈の力、感じる力、想像する力。
人間らしいこの感覚が、最新宇宙科学の知見としてわかってきた
「宇宙はわたしたちのことを気にかけていない」
という、聞き様によっては切ない事実と照らし合わせると、いかに奇跡で尊いか、がわかる。
人間やってるとつい人間だけの世界に夢中になるけど、、、
それは宇宙視点で考えると、ものすごくレアなことで貴重なことで、ありえないことで。ひょっとすると人間にとって、宇宙がどうこうよりも大切なことなのかも、と思えてくる。
人と人って、
ケンカしたらいがみあったり怒鳴りあったりするかと思えば、
仲良くしたり通じ合ったりつながりあったり仲直りしたり相手を許せたりもする。
恨みを残す関係もあれば、育み感謝する関係もある。
例えば最近は小学生だけでなく中学生のバスケ部のお手伝いもコーチとして始めたんだけど。
中学生には小学生にはない葛藤や迷いや悩みのレベルがあって、それぞれの個性やこだわりポイントも小学生よりも広がりやバラツキが激しくて。
そんな子どもたちのことを「思いやる」毎日。
どんな「環境」がこの子たちにとって意味を産むのか、気づきを増やすのか、結果としての成長を促進するのか。彼ら彼女らという”作物”がすくすく育って美味しい栄養満点な野菜になるためにどんな日差しどんな水分量どんな肥料や自然農法・有機農法(ほったらかし農法)が必要なのか、betterなのか、Gardenerとして農夫としてそれぞれの「変化」を感じながら考える。ぐるぐると、"唯一の答えのない問い"を生きる。
個人個人に対してもそうだし、チーム全体や学年ごとにも多分それは異なるから。
この行為(U15世代のバスケコーチとして選手のことを思いやる)も、保護者と共に作る育みの場の尊さも、宇宙のことわりを知った後だと、なおさらに感じ入る。
人が人のことを思いやる奇跡。
人と人がお互いに思いやる奇跡。
「宇宙はわたしたちのことを気にかけていない」
のにねえ。。。
これって、自分の中に創造主としての「神はいない」ってこと。なんだか清々しい。
”にも関わらず”僕らは今日も誰かのことを思いやる。
奇跡としか言いようのない巡り合わせと出会いに基づいて。
ただただ、いまこの時の奇跡を味わって進もう。
そして探求はつづく。
電気の消えた練習後の体育館。なんだか小宇宙のようでもあり、こどもたちの保育器のようでもあり、勝手に満たされた気持ちになりました。