いのちの終わりについて考える【訪問看護ステーション開設67日目】
在宅におけるがん末期の方の訪問看護について資料を読んで勉強していて、いろいろ考えさせられました。さまざまな価値観と意思決定の個性を持つ利用者さんそれぞれに対して、訪問看護に何ができるのか。いのちの終わりに向かうプロセスの選択の仕方、作り方について。そのリアルに直面中です。
学ばなければならないことがたくさんあります。
一方で、都内や神奈川でコロナ陽性の方の対応をしている医師の友人・知人から、またウィルグループ内でも、コロナ対応している仲間から、それぞれの“体験“を聞く機会があります。コロナで亡くなる方のいのちの終わり、ご家族の想いについても。
この日曜は半日お休みもらって好きなサウナでぼーっとする予定でしたが、そんなことを考えていたら読みたい資料、話を聞きたい先輩、確認したい医学知識など色々頭を占領してしまい、あっという間に夜でした^^;
というわけで得意の“自宅でサウナ“=温冷交代浴にて「ととのって」今。
一方で気分転換に読んだ山田風太郎さんの「戦中派不戦日記」が原作の漫画にも触れ、当時と似た世相、国民の楽観主義、生活の制限など、シンクロするところが多く、これまたいのちといのちの終わり方、について考えさせられるのでした。
今の自分には、訪問看護の世界を通じて触れる人のいのちとその終わりかたについての体験が全てで、自分自身のいのちの終わりかたについて実感・体感・直面するのはまだ先のことになると思うのですが、、、
1回の何のことはない普通の食事ひとつとっても、当たり前のようにお風呂に入ってくつろぐ行為についても、家族で話すなんともいつも通りの日常も、それぞれが貴重な、光り輝く時間であることを、いのちの終わりを迎える方々との関わりを通じて改めて発見させてもらうのでした。
コロナな時代に生きる自分たちが、どんないのちのあり方、いのちの終わりかたと向き合うことができるのか。
そこに個人としてもチームとしても、訪問看護という世界を通じて、向き合っていきます。自分たちなりに。
そして探求はつづく。
僕が覗くと、メシくれメシくれ!とすごい勢いで寄ってくるメダカさんたち。先日仲間入りした近所のメダカやさん出身の子達もいますよ〜^^。睡蓮鉢が賑やかになりました。