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silentを1話見ただけで、こんなこと思った秋の夜
10月になって、ボツボツと新しいドラマが始まり出しています。
わたし的にはテレビ朝日「相棒」で、懐かしの亀ちゃん復帰をワクワクした気持ちで待ってたのですが、そんな中、フジテレビで「Silent」というドラマが話題になっています。
SnowManの目黒蓮さん主演ということで、ファンが、黄色い声をあげているのはもちろんなのですが、やはり、「障害者」を描く時につきものである「違和感」とか「お涙ちょーだい反対!」の声が多いのも事実。
まだ第1話が放送されただけですが、ネットではいろんな意見が行き交っているので、私も思いを書こうと思います。(放送をご覧になってない方にしたら何のこっちゃ、だし、ネタバレも含まれます)
まぁ、ぶっちゃけ、賛否の声が集まってるのは第1話の最後のシーン。
ヒロイン紬(川口春奈はーちゃん)が元カレ想くん(目黒蓮めめくん)と再会したら、想くん聞こえなくなっててて、別れを告げた理由も実は聞こえなくなる病気が分かったから、って明かされる。
これ、ストーリー的には王道ですよね。
病気がわかったから、障害を負ったから、余命宣告受けたら、相手にそう気付かせないように嫌われるようなことを言って、別れる、って。
だから、その流れそのものはおかしくない(まぁ、「身を引く」的なやり方が古臭いなぁと感じたとしても、そこはもうメロドラマなら、アリですし)
そんなベタなシーンなのに、何でそんなに賛否両論、話題騒然?なのか。
それは、想くんが、全く言葉を発せず、手話、、、しかも日本語対応ではない、ネイティブなろう者が使うような手話(日本手話)に近い手話を使っていた点、かな。
涙ながらに手を動かし、想いをぶつけるイケメン「めめ」演技に、
・すごい!
・めめ、あんなに手話、スムーズにできるんだ!
・手話、わからないけど、想いが伝わってきた!
・切なくなって、涙がこぼれてしまった!
好意的に受け止めた人たちはそんな感じだったようです。
確かに、私も「手話、上手だな(少なくとも私よりは何倍も!)」って思いました。
でも同時に、「これが、聞こえなくなって3年か!」とも思いました。
でも「3年でこんなに上手になるわけがない」っていう人がいるけど、私はそうは思いません。
だって、手話を覚えようと思った理由やモチベーションや学ぶ環境や、、そういうのは人それぞれで、すぐに身につけられる人もいれば、私みたいに中途半端な人もいて当たり前だから。
それと、声を出さないことに違和感を持った人も多いようです。
成人するまで聞こえてたんだから、話せるだろーって。
確かに言語(音声日本語)習得では「9歳の壁」って言われるし、それよりもっと大人になるまで聞こえて発話もしてたなら、聞こえない歴3年で全く声を出せない、出せなくなる、なんて不自然に映るのかもしれません。
いくら聞こえる友人との関係を切ったとしても、家族は聞こえていて、音声言語でやりとりしてる環境なのに、全く声を出さなくなるなんてこと、あるかな?と。
でも、、同じように成人後に音を失った私から見れば、大人になってから聞こえなくなったと言っても、音を失うまでの状況や本人の気持ち、家族、周囲との関わり、環境によって、「音を失った後」どう生きていくかは、みんな違うじゃないかな、と思うのです。
私は周りも聞こえる人ばかりの環境で、でも、母や友人はいずれ聞こえなくなる私にも伝えられるようにって手話を勉強してくれたりしたけれど、やはり音声言語でのやり取りがメインだったから、私自身、聞こえなくなっても、出来るだけ声を出してのコミニュケーションを続けてきました。
でも、もしかしたら、想くんの家族は、病気が分かって、いずれ音を失う、声を聞けなくなる息子(兄)のために、声ではないコミニュケーション方法を身につけ、想くんが「自分でも聞くことのできない自分の声」を出さなくて済むような環境を作ったのかもしれない。
本人も、「聞こえていた自分」と決別するために声を出さない決意をしたのかもしれない。
いや、もしかしたら声も出せなくなるような病気だったのかもしれない。
まぁ、テレビの制作の意図は分からないし、そこまで深掘りされるような気はしないのだけど、でも、やはり「中途失聴」と言っても一括りにはできないんじゃないかならとは思うのです。「こうであるべき」なんてのは言えないと。
それよりね、、
「大人になるまで聞こえてたんだから、話せるやろ」って簡単に言うけどね、、
けっこう大変だし、しんどいんだなぁ、これ。
自分の声が聞こえないのに、声出して話すって、けっこう勇気もパワーも必要なんですよ。
聞こえる人でも、イヤホンとかヘッドホンしてると、場にそぐわない大きな声出しちゃう時とかってありません?
しかも出してる自分の声、イントネーション、抑揚(同じか?)を聞いてフィードバックもできない。
変な話し方になってるんじゃないか?って不安になったり、実際、話し方が乱れて「?」って顔をされたり、、そんなことを怯えながら声を出してるんです。
私もそうだった、、実は。
今でこそ、「おかしくってもしかたないじゃん、聞こえてないんだから」って開き直れるけど。
開き直れなくって、声を出すのをやめてしまう人もいると思います。
それに、声を出すと、絶対に声で返ってくる。
「聞こえないので」って言っても「大きな声で話せば大丈夫よね?」と耳元で叫ばれたり。
(その方が唇も読めなくて、余計に分かんないんですけど。)
聞こえている人が当たり前にやっていること=「声を出す」と、周りは聞こえていると錯覚するのかな。
そういうことって、実は「聞こえなくなった自分」を受け入れようと頑張ってる心にはかなりダメージになるのです。
何も変わってないのに、耳だけが聞こえなくなった。
耳が聞こえなくなっただけなのに、全てが変わってしまったような思い。
それは中途障害では必ず通る道かもしれません。
でも「聞く」と「話す」が対になって考えられていることが、自分自身と周りの障害受容を複雑にしていきます。
「私、見た目も変わらないし、声も出せるから忘れてるかもしれないけど、でも聞こえなくなったんだよ!分かってよ!」
そう叫びたい気持ち。
(私も失聴当時、母にはぶつけたなぁ、そんな想い。)
今でも、「松本さんは普通に話せるし、何も変わらないですね〜。私たちはなんの問題も感じないです」とか言われると、「あなたが問題を感じずに済んでる裏に、私の頑張りがあること、わかってよ〜」と言いたくなることもあります。まっ、勝手に頑張ってるだけなんだけどね。
で、ドラマの話に戻ると、
だから、想くんが声を出さなかったことは何とでも解釈できるんじゃないかな、ってこと。
出せなくなったのか、出さなくなったのか、出さないと決めたのか。
ドラマでそこまで描いてくれたら、「中途失聴」への理解が少し深まるんじゃないかなぁ、と密かに期待。
それから想くんの手話。
「訳わかんないけど、泣けた〜」って声も多かったようです。
それはあの手話が、日本語を手話の形に置き換えただけではない、ネイティブな手話表現(ろう者の言語としての手話、日本手話)に近かったから、ではないかなぁ。
どう違うの?って思うかもしれません。
例えば、「すごく大きい」って伝えたい時に
「すごく」「大きい」「です」っていうより、「デケェ〜!!」って表現した方が、デッカさが伝わる、そんな感じ。
日本手話は手の形だけでなく、動き、顔の表情、、そういうのひっくるめて手話なので、「言語」としての表現パワーがハンパない。
だから彼の手話が、意味がわからなくても感動的に見えたのではないかしら。
まぁ、聞こえなくなって3年、その前の進行している間も含めて8年としても、あそこまで手話できるようになったのはスゲーなとは思いました。
夏帆さん演じる手話ネイティブっぽい女性が絡んでるのかな。好きな人と伝え合うためにっていうのが言語習得の一番の上達の道だろうから。
まっ、そんな手話の習得にも、彼の決意があった、、、みたいに描かれることを期待しようっと。
そんな訳で、声を出さないことも、手話が上手だったことも、そんなに違和感はなく、むしろ「伏線だったらいいな」的な期待に繋がった私。
唯一の違和感、、、それは、手話で捲し立てる想に、紬が混乱しつつも「分からないから、筆談でも、、」って言ったシーン。
紬は想が言っていることを理解したいと思ったのに、想は「言ってること、分からないだろ?」って。
ほら、こんなふうに、もう話せないんだ、通じ合えないんだ、って、切り捨てるように返しちゃう。
ここには正直、「はぁ?」って思ってしまいました。
声も手話も筆談も、言いたいことを伝えるための「ツール」じゃん。
声と手話ですれ違うなら、筆談すればいいし、音声認識使えばいいじゃん。
もう、君とぼくとは住む世界が違うんだ、みたいなことを一方的にぶつけられた紬の、「何が起こったの?」「私、怒られてるの?」みたいな表情が何とも言えなかったです。おいてけぼりにされたような、、、。
でも、ふと考えました。
もしかしたら私も聞こえなくなった当初、そんなこと、ぶつけたかもしれない、当時付き合ってたダンナに。(もう、時効ってことで 笑)
でも、障害者になるって、実は、別々の違う世界(聞こえる人の世界と聞こえない人の世界)に住むようになるんじゃなくて、それまで一緒にいた世界(聞こえることが当たり前の世界)の幅が少し広がった世界(聞こえない人もいる世界)になって、その広がった分の変化をいろんな方法でクリアしながら生きていく、ってことなんじゃないかな、と今なら思います。
たった1話を見ただけで、あれやこれや考えてしまったドラマ「silent」
これが制作側の作戦だったら、すごいけど、、、
単に「考えなし」の「お涙ちょーだい」的な展開にならないことを祈るのみです。
…わたし的には、「障害者、とか福祉とか、手話とかっていうと、良い人、優しい人っていう先入観や刷り込みがある」とかって、初対面の人に向かってズバって言っちゃう風間くん演じる手話講師がキーになる予感。
あとは、「聞こえなくなるとみんな手話が出来るようになる」という誤解も生まれませんよーに。
「あなた、30年経っても、下手っぴね」って言わないでくださいね。
だって私、手話で愛を伝えたいと思うように人との出会いもなかったですし(笑)
なにより、日本語体系で育ち、日本語環境にいるから、今では、手話という別の言語より、音声言語である日本語の視覚化=字幕の方がラクなんです。
だから今の私の日常生活は、UDトーク使って音声認識がメインツール。
手話は必要なものというより、私の世界をより広げるためのツールという感じなので、なかなか上達しないんだなぁ、これが。
「手話が下手っぴな聞こえない人」っていう一つのロールモデルってことで、今後ともよろしくお願いいたします。
追伸
それにしても俳優さんってすごいなぁと。
はーちゃんはつい先日までの朝ドラからの大変身で女子高生になっちゃうし、めめは、アイドルとして忙しいのにあれだけの手話を使っちゃう。
聞こえない人の役は聞こえない人が!という声があるのは確かですが、今回は中途で聞こえなくなる役だし、何より彼らがやることでの意義もあるかと。
川口春奈ちゃんと一緒に手話覚えてみよう!
目黒蓮くんの手話をちゃんと理解したい!
そんなミーハーな気持ちでもいいから、手話や聞こえない世界に関心を持ってもらうことはとても良いことだと思うのです。
だって、関心を持ってもらえなかったら、何も始まらないから。(私は風間くんと鈴鹿央士くん推し)
こんな人もいる、あんな人もいる。
こんな方法もある、こんな言葉もある、こんなやり方もある。
そんなことを知るきっかけとして、ドラマや歌や24時間テレビとかも役割があるように思う私です。
長くなったけど、今日はこの辺で。
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