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こどものころ

最近、長男が学校の用務員さんの
お手伝いをしているらしい。
今日は〇〇したよ!と
ニコニコで教えてくれるので
こちらも嬉しくなる。
早速その夜、旦那にこの話をしていた。
すると、頭の中に自分が長男くらいの頃
構ってくれていた大人たちの姿が
どんどん表れてきた。
本当に記憶の引き出しから当時のことが
溢れてくる感覚だった。
いろいろ聞き終えた旦那が
「その記憶を淡々と話す君が怖かった」と
鳥肌を立てながら言うので、
そんなに?!と驚いた。

せっかくなので今のうちに
残しておこうと思う。
私の実家は自営業で、母は祖母と働き
父は1人で繁華街の外れに店を構えていた。
父の店は夜から明け方に開く。
なので私は学校が終わると母の店に帰り
そこで宿題をし、本を読み、店が閉まった後
母の自転車の後ろに乗り父の店に向かう。
父のところで開店準備をする両親を横目に
テレビを見たり近場をうろうろしたりしていた。

最初にも記した通り父の店は言わば
ネオン街の外れにあった。
私は母の背中にしがみつきながら
いろんな色のランプや、
大人たちが纏う夜の雰囲気を見ていた。
それが楽しかったし、好きだった。

斜め前のビルは定期的に爆音で
軍歌が流れていた。
そのビルには通称「ネコのおばちゃん」
が住んでおり、時々会うと引いていた
キャリーから小さなチョコレートと
何故か猫缶をくれた。
ウィッグがいつも微妙にずれており
幼心にこれは伝えなくてもいいことだ、
と思ったのを覚えている。
優しい人だった。会わない日が続くと
もしかしたらもう会えないのでは
と不安になったりもした。

そのビルからもう少し進むと
キャバクラがあった。
当時は何か分かっていなかったが
真っ黒な女性のシルエットと黄色のランプが
たくさん乗った看板だったので、
きっとそうだったんだろう。
その店の前には、確か薬指のない
金髪のお姉さんがいつも居た。
いつもニコニコしていた。
「なんで指ないの?」と聞いたとき、
「食べられちゃったのよ」と言われて
急に怖くなった。
そこの店長だか社長だか分からないが、
これまたいつもニコニコしている
男の人が時々ジュースを買ってくれた。
優しい人たちだった。

あとは若い男の人たちがたくさん
出たり入ったりしているビルや、
大きな水槽があるお店もあった。
いろんな背の高い大人がいて、
みんな私の方を見るときは
ニコニコしていた。

どれもこれも今はもう、ない。
ただ、私はあの混沌とした、
優しい場所と人たちが好きだった。
日常のひとつだった。

正直、父のお店がなくなったのも
覚えてはいるが詳しくは記憶にない。
中学生になってからは部活もあったし
自宅に帰っていたんだと思う。

こういった記憶を旦那にしたら、
「出会って10年以上経つのに、
いろんなことをよく話すのに、
今までこの話が出なかったことがこわい」
と言われたのだ。
私にとっては普通の幼少期の
思い出だと思っていたが、どうやら
そうではないらしい。

あのころ構ってくれた大人たちは
今は何をしているんだろう。
あそこを出たあとどうしたんだろう。
願わくば私の記憶の中で微笑んでくれている
大人たちが全員幸せであってほしい。

私は今もこれからも、この記憶の中では
子どもでいつづけようと思う。


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