レティシア書房店長日誌
井上正子日記「ためさるる日」(法蔵館/新刊/3080円)
本書を編纂した井上迅さんは「序」でこの本と出会った経緯をこう書いています。
「2017年の春、徳正寺の境内にある六角堂(納骨堂)の片づけをしていると、須弥壇の下の収納奥深くから埃をかぶった六冊の日記帳が出てきた。薄暗い堂内でそれを開けると、女学校に通う大伯母の多感な十代が現れてびっくりしてしまった。」
井上家では、この大伯母さんのことを「日野のおばちゃん」と呼んでいたそうです。
「編み物を編むように、日野のおばちゃんが十二歳から十六歳にかけて綴った日記が、無邪気なかくれんぼをしているうち、誰にも見つけられることがないまま百年近く眠っていた。日野のおばちゃんが日記帳を生家を残してきたのは、どうしてだったのだろう。そこには帰りたくても帰ることのない彼女の少女時代がつまっていると知っていたからだろうか。 長い眠りから醒めた日記は、開くとただちに百年前のいまここに私たちに誘ってくれる。」
日記帳は、井上正子が在籍した京都市立高等女学校から生徒に配布されたもので、多感な少女時代を過ごした彼女の目に映った学校のこと、家族のこと、そして世の中のことが書き込まれています。
日記は、1918年(大正7)5月1日のこんな文章から始まります。
「指折り数えて待っていた遠足も明日となった。放課後倉田先生と尾崎先生との注意や歴史のお話があった。帰宅せし後、用意をととのえ楽しんでいるのにもかかわらず夜雨が大そう降ったので心配して、てるてるぼうずをこしらえてお天気を祈った。」良家のお嬢さんらしいなぁと思うのは、「ほんとうにうれしゅうございました」とか「面白うございました」という言葉が何度も登場することです。
終業式の7月20日、終業式の日。
「校長先生から夏期休暇中の心得をお話していただき後、各教室で主任の先生より通告表や校友会談誌を戴いたり又夏休みの御注意を聞き御機嫌ようと先生とお別れしました。通告表を見た時、私の心持ちはどんなでしょう。生れて初めてあんな点をとりました。私の悲しみは如何ばかりでしょう。帰宅して父母に見せたらお二人共ため息ばかりなさって私の顔を見ていられました。穴でもあったら入りたい程でした。」丁寧な日本語に心が和む一方で、彼女の表現力も素敵だと思いました。身近なことだけでなく、大正10年8月16日の日記には「大丸が焼けた。おおそれは人々をどれだけ驚かしめたであろう。」え!大丸百貨店は大火事だったのですね(脚注の当時の新聞記事が興味深い)、知りませんでした。
京都の町寺に育った女学生が見た大正時代の様々な顔を、この日記を読むことで知ることができます。解説を担当した藤原辰志は、本書の特質をこう書いています。
「本日記の読みどころは多数あるが、あえて一つに絞って挙げるとすれば、それは、正子が日記のなかで『女性であることの弱さ』に打ちひしがれながら、何も言い出せない自分と葛藤するところだろう。自分を𠮟咤激励し学問に取り組もうとする中で、自分の不甲斐なさに挫折し、自分を責める箇所は痛々しいほどだ。」
百年前の日記ではありますが、少女の内面が生き生きと記録されていて、今の時代を生きる私たちにも共通する真理を読み解くことができる貴重な一冊になっています。編者の井上迅さんは、徳正寺住職。僧侶の傍ら”扉野良人”の筆名で本を出版しています。
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11/29(水)〜 12/10(日)「中村ちとせ銅版画展」
12/13(水)〜 24(日)「加藤ますみZUS作品展」(フェルト)
12/26(火)〜 1/7(日)「平山奈美作品展」(木版画)
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