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レティシア書房店長日誌

三浦しをん「墨のゆらめき」(古書1200円)

私は三浦しをんの熱心な愛読者ではなかったので、「舟を編む」も、映画作品が非常に優れていたから、あと追っかけで読んだぐらいでした。


本書を読もうと思ったのは、作品の中に「銀河鉄道の夜」に関する記述があって、その後に続いているこんな文章からです。
「俺が語る手紙の文面を、憑かれたように綴っていた遠田の姿が思い浮かぶ。全身から青白い炎を立ちのぼらせているかのような姿が。はじめて聞く言葉の連なりから、そこに宿る思いの根幹を鋭敏につかみとり、豊かにイメージをふくらませて、文字として具現化する。遠田の感性と胆力に、俺は感動に似た気持ちを覚えたのだった。」
遠田というのは、本作に登場するちょっと風変わりな書家です。そして「俺」は、ホテルに勤務する続力という若者です。遠田は、筆耕士としてホテルと契約しています。筆耕士は、ホテルが出す様々な案内状などの宛名書きなどの仕事をする人です。

ひっそりとした古い家で書道教室を開く遠田は、「三十代半ばと見受けられた。背が高く筋肉質なことに加え、『役者のようないい男』という形容はこういうときに使うのだなと思う」男で、映画「仁義なき闘い」で山森親分を演じていた金子信雄に似ている猫の「カネコ氏」と二人で暮らしています。続力は初対面の時に、遠田の胡散臭さやぶっきら棒さにうんざりしたのですが、だんだんと彼の書く字にのめり込んでいきます。「俺は遠田の書が好きになった。いや、遠田の書を通じ、書という表現そのものに魅入られた。」

二人の距離が縮まっていくプロセスを著者は、書道教室をメインステージにして、ゆっくりと描いていきます。そのテンポの気持ちよさがこの小説の魅力の一つであり、著者の持ち味かもしれません。無愛想な「カネコ氏」の存在も大きいものがあります。

やがて、続力は、遠田の書の極みを見ることになります。
「書家が全身と全神経を駆使し、ついには自身の存在さえ消え去るほど集中したそのとき、世界が反転して、眼前の文字に書家の姿、書家の思いや魂も含めた森羅万象が映しだされる。千年以上もまえの人々の息吹や目にした風景や感じた気持ちが、書家の紙のうえに具現化した文字に宿り、それを見るものに伝わってくる。筆を使って宇宙のすべてを紙に封印し、それらを紙のうえで生き生きと躍動させることができる。たぶん書とはそういうものなのだろうと、遠田と遠田が生みだしつつある墨の流れを目の当たりにして、俺は思ったのだった。」

遠田の魂がこもった文字を見た続力は、これから彼の書風がどう変化してゆくのかを見てみたい!と切望するのだったが、ある日突然、彼から筆耕士の契約解除のメールが届きます。そして、明かされる彼の過去........。
でも、著者はこの二人を見捨てません。ちょっとセンチなほどに素敵なラストが待っています。ぜひ、体験してください。

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