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レティシア書房店長日誌

小川洋子「沈黙博物館」
 
 「僕がその村に着いた時、手にしていたのは小さな旅行鞄が一つだった。中身は数枚の着替えと、使い慣れた筆記用具、髭剃りのセット、顕微鏡、そして二冊の本 一冊は「博物館学」、もう一冊は「アンネの日記」、それだけだった。」
 という文章で物語の幕が上がります。どこの国のことなのか、時代はいつなのか最後までわかりませんでした。舞台はイギリスの片田舎か、時代は戦前か。主人公は博物館で仕事をしていた青年です。大きな屋敷に住む老婆の依頼を受けて、彼女の個人博物館を作る仕事に参加するためにやってきました。博物館に収められるのは、亡くなった人の形見だけ。葬式があれば、形見に適したものを取って来るという仕事です。(古書900円)

 「さすがに私も歳を取った。自分が老いると、世界までが老いたように感じるから不思議じゃ。死人はどんどんどこまでも増えてゆく。死人が出たからと言って、友達の振りをして葬式に紛れ込んだり、夜中に家へ忍び込んだりするのも、この頼りにならん足腰では難しくなってきた。これからは形見収集はお前の仕事じゃ。建物は裏庭の厩舎を改造して当てる。大工仕事は庭師がうまくやるはずだ。助手としてこの娘を使うがよい。いいな。我々の博物館は老いた世界の安息所となるのである。」
 そう老婆に宣告された青年は、少女をアシスタントにして、村で死人が出ると相応しい形見を持ち帰る作業に従事します。どこかずれている世界で、生きている哀しみがひっそりと描かれていきます。主人公と老婆の「友情」、少女と修道士を目指す少年の淡い恋、村の女性の乳首を切り取る連続殺人の発生、主人公と兄の謎めいた関係などのモチーフが、巧みにちりばめられます。
 一つ一つのエピソードが、とても心に残る物語です。中でも、一言のコトバも発してはいけないことを規律とする”沈黙修道院”の存在と、そこで生き死んでゆくシロイワパイソンが強烈な印象を残しました。小川作品には珍しくミステリー要素も随所にあって、小川洋子を長年愛読してきた私には新鮮でした。世界のどこかにありそうな空気を醸しだしながらも、不気味に淀んでいて、そこへ引き寄せられてゆくような魔力に満ちています。
 青年が持っている「アンネの日記」は母の形見です。その本を巡って少女とこんな会話をするシーンがあります。
 「こんなふうに母さんの本を手にしていると、どこか遠くに漫然とあって、恐怖の霧に包まれていたはずの死の世界が、自分の拳にすっぽりと心地よく納まっているのを感じるんだ。ページをめくったり、書込みをなぞったり、紙の匂いをかいだりしているうちに、恐怖なんてすっかり消えて去ってしまう。ああ、死っていうのはこんなに懐かしいものだったんだという気分にさえなる。だから、形見に触れると呼吸が楽になって、気分が落ち着いて、それでうまく眠りにつけるのさ」
 饒舌に語る遺物も、沈黙の行をひたすら行う宣教師も、切り取られた乳首も、不穏さをまとっているのに不愉快にはならない。耽美な世界で、完璧に構築された言葉をただ飲み込むだけで、読書の快楽を味わう。やはり、この作家は凄いと思いました!

年始年末休業のお知らせ:12月29日(日)〜1月7日(火)

レティシア書房ギャラリー案内
11/27(水)〜12/8(日)「ちゃぶ台 in レティシア書房」ミシマ社
12/11(水)〜12/22(日)「草木の色と水の彩」作品展

⭐️入荷ご案内
GAZETTE4「ひとり」(誠光社/特典付き)1980円
スズキナオ「家から5分の旅館に泊まる」(サイン入り)2090円
「京都町中中華倶楽部 壬生ダンジョン編」(825円)
「オフショア4号」(1980円)
青木真兵&柿内正午「二人のデカメロン」(1000円)
創刊号「なわなわ/自分の船をこぐ」(1320円)
オルタナ旧市街「Lost and Found」(900円)
小峰ひずみ「悪口論」(2640円)
SAUNTER MAGAZINE Vol.7 「山と森とトレイルと」

いさわゆうこ「デカフェにする?」(1980円)
「新百姓2」(3150円)
青木真兵・光嶋祐介。白石英樹「僕らの『アメリカ論』」(2200円)
「つるとはなミニ?」(2178円)
「ちゃぶ台13号」(1980円)
坂口恭平「自己否定をやめるための100日間ドリル」(1760円)
「トウキョウ下町SF」(1760円)
モノ・ホーミー「線画集2『植物の部屋』(770円)

モノ・ホーミー「2464Oracle Card」(3300円)
古賀及子「気づいたこと、気づかないままのこと」(1760円)
いしいしんじ「皿をまわす」(1650円)
黒野大基「E is for Elephant」(1650円)
ミシマショウジ「茸の耳、鯨の耳」(1980円)
comic_keema「教養としてのビュッフェ」(1100円)
太田靖久「『犬の看板』から学ぶいぬのしぐさ25選」(660円)
落合加依子・佐藤友理編「ワンルームワンダーランド」(2200円)
秦直也「いっぽうそのころ」(1870円)
折小野和弘「十七回目の世界」(1870円)


 

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