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持続が不可能な社会に対するアンチテーゼとして。書籍「縄文ルネサンス: 現代社会が発見する新しい縄文」前編

女川をキャンパスとした学びを本屋がサポートする、ということを目指して、学びのコンテンツの一つとして縄文に注目しています。その理由は女川に多数の縄文遺跡があったからですが、いま縄文を学ぶことにどのような意義があるのか、そして、なぜ縄文がこれほどブームになっているのか、疑問でした。

個別のことを知れば「なるほど」と思うし面白いのですが、縄文に関する活動は、全体としていったい何と関わっているのだろうか、という疑問です。

各地の様々な縄文に関する取り組みは、単に過去のことを知ろうという活動をしているのではなく、「縄文」を通して「いま」何か新しい価値を生み出そう、または「いま」の何かに対するアンチテーゼとして「縄文」を示して何かを変えよう、としているように見えます。

それはいったい何なのか。

2019年に出版された古谷嘉章氏の書籍「縄文ルネサンス: 現代社会が発見する新しい縄文」は、まさにこの点に一つの解答、全体像を示してくれるものでした。

知らなかった縄文文化に、気づかなかった価値を見出し、現代社会で生きる生活に活かす、多種多様な現象を積極的に評価する熱論。

書籍の説明から

本書では、縄文に関し、明治以降どのように取り組まれてきたか、という縦の流れと、どこの地域が縄文を熱心に取り組んだか、どんなジャンルに広がっているか、という横の流れ、双方を上げています。

結論としては、その規模はどうあれ、中世のヨーロッパで、古代ギリシア・ローマの文化の復興を目指す過程で新しい文化を創造した「ルネッサンス」、これと同じようなことがいま起きているのでは、というものです。

以下、本稿(前編)では縦の流れに関して印象に残ったことを。
(あくまで本の一部であり、自分なりに解釈したことなので、詳細は書籍をご覧ください)。

縄文は、江戸時代以前はそもそも存在しておらず、明治以降、「貧しい・停滞・暗い」時代として描かれていた。明治時代に貝塚を調査したモースは、貝塚に動物の骨も人の骨もどちらもあったことから、これを未知の先住民族による食人の風習だと捉えたそう(現在は否定されている)。

しかし、1970年代以降の再開発によって各地で数多くの縄文遺跡が見つかる。青森県の三内丸山遺跡の大型掘立柱建物跡が発見されたのは1994年。これらを背景に縄文は「豊か・争いのない・ユートピア」時代に転換していった。

中世ヨーロッパが古代ギリシア・ローマの復興を通じて社会を変えていったように、特定の時代、特定の遺跡に注目が集まる背景には、その社会が直面している課題と関係している。

例えば、戦後に大きな注目を集めた静岡の登呂遺跡。弥生時代に人々が水田で稲作を行っていたことを示す遺跡ですが、これは各地で戦争をした日本が戦後に平和国家として再出発しようとするとき、もともと日本の人々は協力して平和に稲作をしていた暮らしていた、というイメージが平和国家を求める人々に有益だった。

では、現在の縄文への注目は、どんな社会の課題と関係しているのだろうか。既に各所で言われて久しいが、産業革命以降大きく発展してきた世界が、「人新世」と言われるように、いま転換期に直面している。「持続可能性」がキーワードになっているように、今のままの社会は持続可能ではないという認識が広がっている。

今の社会が「戦争」「自然破壊」「不平等」で「持続可能性のない」社会であるとしたら、縄文のイメージは「平和」「自然と共生」「平等」で「持続可能性」のある社会である。このような大きな社会の転換期にあるからこそ、縄文への注目が集まっているのではないか。

以上、縄文には多種多様な活動がありますが、私たちは、持続可能性のない社会に直面しているからこそ、縄文に惹かれ、様々な形で縄文を再創造することを通じて自分達の生活や社会をよりよいものに変えようとしているのではないか、このような本書の示す視点・全体像は大変参考になりました。(後編に続く)

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