署名活動②

 6月1日から始めた川内原発20年運転延長の是非を問う県民投票を求める署名活動は7月30日午後11時59分59秒をもって、終わった。みなさまのおかげで、法定署名数(2万6475筆)を大きく上回る5万290筆が集まった。
 「(社会は)こんなもんだよ」。2ヶ月にわたり、鹿児島市の山形屋前で何百人もに声掛けした中で、ある年配の女性の言葉が今も頭に残っている。水俣病患者認定を申請しているという女性。他の身内は患者認定されたが、自身だけ認められていないという。「手がしびれてね」。そう言いながら署名をしてくれた。ボールペンで書かれる一文字、一文字を見ながら、社会は誰のために存在するのか? と自問せざるを得なかった。
 法定数以上の署名を集めたとしても、県民投票は実現しない。次の舞台は県議会だ。現在(8月19日)、各市町村選挙管理委員会が署名を審査中。署名数が確定後、私たちが条例制定を知事に請求。知事は意見を付けて、議会に条例案を提案し、県議会が審議する。県議会で条例案が可決されなければ、県民投票は実施されない。
 鹿児島市の繁華街・天文館で声を掛けると、10人に1人程度は私の話に耳を傾けてくれ、署名してくれる人も少なくなかった。20~30代も多く署名してくれたように肌で感じている。「若者は政治に関心がない」などとマスコミは盛んに報じるが、政治に関心がないのではなく、政治との接点が薄いだけではないだろうか。
 もし、県議会で条例案が否決され、県民投票が実施されない事態になったとしたら、署名した若い人たちは「結局、私たちの声は何も聞いてくれないんだ」と思うのではないだろうか。その行き着く先が、「結局はお上が決めてしまうんだから、何をやっても意味がない」という政治への無関心だろう。
 私たちが多様な声を届けようという意思を失い、声を上げることをしなくなれば、多様な意見は表面化せず、無いものになる。そして、為政者にとって都合の良い政策だけが進められる。一人ひとり、考え方はバラバラだ、全員が納得するような施策はないだろう。だからこそ、多様な意見を踏まえた上で、一人でも多くの人が納得するような解を見出す政治こそが望ましいのではないだろうか。納得感のない政治を続ければ、国民には不満ばかりが充満し、どこかで社会が壊れてしまうだろう。
 「何をやっても何も変わらない。権力者だけが得をするのがこの社会だよ」。数年後にこんな言葉を多くの人が使うような社会だけはごめんだ。今回、県民投票が実現するかどうかにかかっている。私はそう思う。

(…)強者の権力がどんなものか、君だってわかっているだろう、弱者、愚者、生まれぞこないの連中ばかりが、不定形のぬかるみに汚れまみれて無為に生きさらし、人間的な美徳も何もかも、ゼロの掛け算みたいなものにされ、足蹴にされ、侮辱され、見下され、虐げられるだけの、無に等しい存在だと思い知らされるのだということを。(…)

『敗残者』ファトス・コンゴリ

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