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歩く

 2022年12月1日に「books selva」を開いて1ヶ月。インスタグラムを通じて来店してくれる人もいる。中でも驚いているのは、たまたま通り掛かった人も店に入ってくれることだ。店の看板も小さく、そもそも、店かどうかもわかりづらいにもかかわらず、だ。会社や塾の行き帰りで通る、旅行で来た、ぶらぶらしていたなど理由はさまざまだが、ふらっと入ってくれる人に共通していることは徒歩ということだ。

 定期購読している『THE BIG ISSUE』(VOL.442 2022.11.1)にこんな記事があった。
 「スロベニア 首都リュブリャナで、車禁止10年。実現した”市民に愛され、くつろげるストリート空間”」。中心部の約17万平方メートルで車の利用を禁止しているスロベニアの一都市の話だ。
 記事によると、当初、市長が計画を発表した時には、「街が死んでしまう」と生活への影響を心配する市民による抗議行動があり、市長も顔面を平手打ちされたという。それでも、市長は各家庭を一軒ずつ回って市民と意見を交わし、実現にこぎつけた。
 実際に車を禁止することで何が起きたのか──。「空気は澄み、騒音が少なく、くつろげる場所やイベントの数が増えて路上は活気にあふれています。私自身も、外で人と会うのがより楽しくなりました」(研究者)。歩行者専用区域でコンサートやイベントが実施されているほか、路上に机を広げて勉強する学生たちもいるようだ。なんとものんびりした、いい空間だ。市職員はこう話している。「ストリートは歩くだけでなく、さまざまな楽しみ方ができる場所だという考えを広めたかったのです」
 「外で人と会うのがより楽しくなった」というのは、イベントなどを通じて、知人だけでなく、知らない人と偶然出合える機会が増えたからなのだろう。店を始めて、「偶然の出会い」の大切さを痛感している。店に駐車場がないことで、車を利用する人もどこかから歩いてくることになる。仮に私の店が目的地だったとしても、途中で偶然、面白そうな店やよくわからない店に出合う。入ってみると、これまで興味がなかったモノや本、知らない人、その他形容できない何かに出合い刺激を受ける。そういう偶然が生まれるかもしれない。そんな空間をつくり出すことが、街づくりなのではないだろうか。
 年末年始に「ウォークス 歩くことの精神史」(レベッカ・ソルニット著/東辻賢治郎訳、左右社)を読み始めた。ソルニットは第一章でこう書いている。
   歩くということは外部に、つまり公共の空間にいることだ。歴史ある都市ではこの公共空間にも放棄と侵食が及んでいる。外出を不要にするテクノロジーやサービスによって忘れられ、不安感によって敬遠されている場所は数多い…略…かつて公共空間だったはずの場所は自動車という私空間を迎える場所となり、メインストリートはモールに替わられ、通りには歩道がなく、建物には車庫から直接入るようになり、市庁舎には広場がない。あらゆる場所に壁やゲートが設置される。(pp22-23)
 この本を読みながら、数年前のある出来事が頭をよぎった。

『ウォークス 歩くことの精神史』

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