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Immortality (不滅)

著者 ミラン・クンデラ
英語版 訳 Peter Kussi
出版 Faber&Faber

本書は1990年に刊行されたミラン・クンデラの長編小説としては第6作目となる。(日本語版はタイトル『不滅』菅野昭正 訳で集英社文庫から出版されている。)


あらすじ

作家がプールサイドで貴婦人のような女性の仕草を見かけて、その仕草の不滅の美しさから、ある作中人物が生まれるところから物語が始まる。
不滅の美、精神、魂、芸術などが時空を超えて語られる。
クンデラの他作品同様に音楽的7部構成からなる長編。

感想

The essence of her charm, independent of time, revealed itself for a second in that gesture and dazzled me. I was strangely moved. And then the word Agnes entered my mind. Agnes. I had never known a woman by that name.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber
彼女の魅力の本質は、時空を超えてその仕草で一瞬にして、私に明白にされた。私は驚かされた。そうやって、わたしの心に”アニエス”という言葉がやってきた。アニエス。私はかつてそんな名前の女と知り合ったことはない。
意訳 卍丸

このセンテンスで俺は全てを持っていかれた。

俺の感性にぴったりとくるこのセンテンスを、俺は事あるごとに思い出してしまう。

見ず知らずの画家やエッセイストが書いた作品、見ず知らずの音楽家たちが奏でる音の粒たち。

それらの中で、たまに俺は心惹かれる時があり、不意にそれらの持ち主たちを想像し、勝手に彼らの物語を妄想する。彼らは決まって、俺の地元の海岸で裸足で砂浜を歩き、俺の方を振り返ることなく、エレガントな仕草で去っていく。その時々で妄想する物語は違うが、とにかく、そうやって彼らは突如現れる。その間だけ俺は彼らの創造主になる。

これまでの陰鬱なプラハが舞台ではなくて、フランスが舞台の本作品。
俺は傾向的に古典だとスタンダール、近代では、カミュ、サルトル、現代だとトゥーサンやウェルベックといったシュールなフランス文学が大好きなので、とてもしっくりきた。にわかクンデラファンなので、間違えているかと思うが、俺は、この作品はクンデラ作品の中でもフランス的な感じを受けた。(『無意味の祝祭』がシュールさという観点でも最も俺的にはフランス的なのだが)

本書の感想を書くのはとても難しい。全ての部が独立して読むこともでき、何度も読まないと、この本の持つ立体を完全には俺には把握しきれない。

不滅の愛、美、存在、死は、『存在の耐えられない軽さ』とは対をなすテーマのようにも思えた。

Part I The Face

時空を超えたある女性の仕草の美から生まれたアニエスにまつわる話を軸に、人の顔をテーマに物語られる。

顔というのは、政治に無関心であればあるほど、人間が固執するものであるが、それは一つの標榜でしかない。本質はそこではないのだ。

Part II Immortality

ゲーテの愛人ベッティーナへの批判的な人生が物語られる。

ベッティーナは自由奔放だが、ゲーテに傍若無人に振る舞い、周囲を傷つける。それでもベッティーナはゲーテへの愛を不滅のものに仕立て上げようと躍起になる。

Part III Fighting

作中人物のアニエスとアニエスの妹ローラとの諍いが描かれる。
ローラはアニエスとは正反対の性格で、彼女とアニエスとの違いがコントラストとなって、ローラの仕草とベッティーナの仕草の共通点がくっきりとされ、アニエスがより一層引き立てられる。

Part IV Homo sentimentalis

クンデラのシニカルな「ホモ・センチメンタリス」への批判が展開される。
ローラやベッティーナはロマン主義的であり、大衆的であり、自分本位であるが故に、自己の本質を見失ってまで、「真実の愛」を捻じ曲げる。

ホモ・センチメンタリスというのはそうした人々のことを言っているのであろうと俺は思った。

Bettina thinks like Saint Augustine, when she writes to Arnim: ‘I found a beautiful saying: true love is always right, even when it is in the wrong. But Luther says in one of his letters: true love is often in the wrong. I don’t find that as good as my dictum. Elsewhere, however, Luther says: love precedes everything, even sacrifice, even prayer. From this I deduce that love is the highest virtue. Love makes us unaware of the earthly and fills us with the heavenly; thus love frees us of guilt (macht unschuldig).’
 In the conviction that loves make us innocent lies the originality of European law and its theory of guilt, which takes into consideration the feelings of the accused: if you kill someone for money in cold blood you have no excuse; if you kill him because he insulted you, your anger will be an extenuating circumstance and you’ll get a lighter sentence; if you kill him out of unhappy love or jealousy, the jury will sympathize with you, and Paul, as your defence lawyer, will request that the murder victim be accorded the severest possible punishment.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber
Homo sentimentalis cannot be defined as a man with feelings (for we all have feelings), but as a man who has raised feelings to a category of value. As soon as feelings are seen as a value, everyone wants to feel; and because we all like to pride ourselves on our values, we have a tendency to show off our feelings.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber

Part V Chance

アニエスの死が描かれ、作中人物の教授によってクンデラの小説論が展開される。

第5部の16章は全文引用したいほどに好きな箇所だ。
現代の我々はベッティーナやローラのような通俗的なところがあるが、アニエスは違い、本質の美しさを見失うことがない。自我を忘れ自我を失い自我から解放されるシーン。

Agnes recalled the special moment she experienced on the day of her departure, when she took a final walk through the countryside. She reached the bank of a stream and lay down in the grass. She lay there for a long time and had the feeling that the stream was flowing into her, washing away all her pain and dirt: washing away her self. A special, unforgettable moment: she was forgetting her self, losing her self, she was without a self; and that was happiness.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber

Part VI The dial

アニエスの愛人ルーベンスとの性愛が語られる。

ルーベンスの中でアニエスは不滅となるのだろうか。

Then he told himself that there would be no harm in taking a brief pause in his relations with women. Until next time, as they say. But this pause kept getting longer week by week, month by month. One day he realized that there would be no ‘next time’.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber

Part VII The celebration

クンデラの代弁者のような教授と、これまでの小説の完成に祝杯を挙げながら、アニエスの死後、アニエスの夫ポールとローラが結婚し大円団を迎える。

The cars were honking their horns and I heard the shouts of angry people. It was in such circumstances that Agnes longed to buy a forget-me-not, a single forget-me-not stem; she longed to hold it before her eyes as a last, scarcely visible trace of beauty.
Kundera, Milan. Immortality . Faber & Faber

最後のこのシーンは雑踏の中でアニエスが勿忘草を自分の為だけに買い、消え入りそうな美しさの痕跡を不滅として残しておきたいというエレガントな彼女らしい思いがよく表現されていると思う。
俺はロマン主義者だから、アニエスがまるで「わたしを忘れないで」と訴えたがっているかのように思えて、この最後のセンテンスが好きだ。

好みの問題だと思うが、俺はクンデラ作品で一番この作品がぴったりくるかなぁ。何度も好きなところから読みたいと思わせてくれる。



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