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『関心領域』:無関心の淵に咲く、禁忌の花

『関心領域』
原作マーティン・エイミス
監督・脚本ジョナサン・グレイザー

死の匂いが漂う静寂の中で、生が息づく──ジョナサン・グレイザーの『関心領域』は、アウシュヴィッツという地獄の縁に咲く、禁断の日常を映し出す。

スクリーンは、聖なるものと穢れたものの境界線。ナチス将校ルドルフ・ヘスの家族の生活が、氷のように透明な画面に浮かび上がる。しかし、その氷の下には、人間性の腐敗した肉体が横たわっている。

自分たちのすぐ近くで起きている事をまるで何事も起きてないかのようにする普通の家族たち。その一家の泣き止まない赤ちゃん、遠くから聞こえる叫び声、時折響く銃声、立ち上る煙。そして、フェンスの向こうからそっとりんごを置いていく少女──これらの描写は、無関心を装おうとする家族の日常と、すぐそばにある非人道的な現実とのコントラストを鮮烈に描き出している。

最後に現在の収容所跡地の様子がきちんと紹介されていた点に、作り手の誠実さを感じた。これは、過去の出来事を現代に繋げようとする意図の表れだろう。

この映画は、僕たちに問いかける。僕たちは無関心を装うのか、本当に無関心なのか。忙しい、暇ない、よくわからないを理由にダンマリを決めて、誰かがどうにかするだろう、どうにかなるだろう、どうにもならないだろう、だとか他責にして流していく。そして気づけば、全体主義的社会の一要員になっていたり。

この問いかけは、今の時事とも重なる。例えば、ロシアによるウクライナ侵攻や、中国の新疆ウイグル自治区での人権侵害、ロヒンギャ、イスラエルとパレスチナなど、世界各地で起きている人権侵害に対して、僕たちはどのように向き合っているだろうか。また、国内では能登半島地震の被災地支援に対する社会の関心の持続性など、身近な問題にも通じる。

ところで、近年、ジュディス・バトラーの著書をいくつか読んでいる。その中で感じたのは、僕たちが互いに依存し、他者の苦しみに対して脆弱であることを認識することの重要性だ。この脆弱性を通じて連帯や共感を築くことで、無関心や無視を避け、積極的に他者の苦しみに対して応答することができるということだ。

『Frames of War: When Is Life Grievable?』では、生命の価値やその認識について深く掘り下げているし、『The Force of Nonviolence』では、非暴力が単なる戦術や戦略ではなく、倫理的・政治的な理念として捉えるべきだと強調している。これらの思想は、『関心領域』の中で描かれる、ナチスによる人命の軽視や、暴力の日常化に対する強力な批判となり得る。

また、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸」や『エルサレムのアイヒマン』とも重なる部分がある。アーレントが指摘したように、日常の中での無関心や服従が、いかにして巨大な悪に繋がるかを考えさせられる。彼女の考察は、全体主義的な社会における個人の責任と無関心の危険性を強調している。映画の中のヘス一家の姿は、まさにこの「悪の凡庸性」を体現していると言えるだろう。

地域や社会全体に対してどのように関与し、行動を起こすかが問われる時代に生きている今、このような視点はますます重要になっていると感じる。

では、具体的に僕たちに何ができるのか。まず、情報を積極的に収集し、長いスパンでの歴史を把握し、問題の本質を理解することから始めるべきだろう。

次に、小さくても行動を起こすこと。例えば、人権問題に取り組むNGOへの寄付や、地域のボランティア活動への参加など、自分にできることから始めることが重要だ。

そして、これらの問題について周囲の人々と対話を重ね、社会全体の意識を高めていくことも必要だ。

『関心領域』は、過去の出来事を描きながら、現代の僕たちに鋭い問いを投げかける作品だった。この映画を通じて、一人一人が自らの「関心領域」を広げ、より良い社会の実現に向けて行動を起こすきっかけとなることを願う。

そして、この作品が問いかける最も深い問いは、おそらく博愛の本質についてだろう。人類愛、博愛精神。その崇高で陳腐な理想が、時として最も残酷な結果をもたらすパラドックス。
ナチスもまた、彼らなりの「博愛」を掲げていたのではないか。純粋な人種のために、不純なものを排除する。その狂気じみた論理の果てに、ガス室と焼却炉が待っていた。いかにも傲慢で欲深い人間の成れの果ての良い例が、ナチスであり、植民地主義であり、帝国主義であろう。

真の博愛とは何か──それは、他者の苦しみを直視し、その苦しみを自らのものとして引き受けることではないか。
その苦しみの中に身を投じ、そこで初めて見出される至高の瞬間。それこそが、真の意味での「聖なる」博愛の契機ではないだろうか。

この映画は、静寂の中に潜む叫びを聴く耳を、僕たちに与えてくれる。その叫びは、苦痛の絶叫であると同時に、至高の歓喜の叫びでもある。
その両義性を受け入れ、そこに身を投じること──それが、真の人間性と博愛への第一歩となるのだ。

パンフレットを買ったのは何年ぶりか

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参考文献

『関心領域』監督・脚本ジョナサン・グレイザー

『エルサレムのアイヒマン』ハンナ・アーレント みすず書房

『Frames of War: When Is Life Grievable?』Juhdith Butler 

『The Force of Nonviolence』Juhdith Butler

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