
ノオト
僕は日記をつけている。
僕の日記は日付、天気、気温、株価変動、建材系のニュースの箇条書き、僕のToDo、家族の1日の行事など、ほとんど箇条書きかもしれない。
万年筆で書くのが好きな為、万年筆で書く。
万年筆は祖父が使って、父に渡され、僕に渡されたものだ。
1番最初に父から貰った2万円ほどのパーカーの万年筆もあるが、モンブランの書き味にはかなわない。

Montblanc meisterstuck no.82 18C
右 Parker Sonnet 真鍮
いずれもインク吸入方式
ノート コクヨ 両面罫紙

右 パーカー
ノート 紳士なノート 無地
日記に限らず、紙に記載せねばならぬ時、万年筆を使う。
インクの色味はMidnight Blueが好きでこの色ばかり使っている。

字が乱雑なのはご愛嬌ということで😢
ノートや何かの用紙を買うとき、
インクが裏写りしたり滲まない紙か
表紙の次のページがきちんと白紙の紙か
糸できちんと綴られているか
こうした点にこだわっている。
国産の紙は高品質、低価格で扱いやすい。
ずっと後まで残るから、紙と万年筆にこだわる。
実は鉛筆(三菱)、シャープペンシル(ステッドラー)、消しゴム(ステッドラー)にもこだわりがあるのだが、それはまたいつか別の機会に。
ところで、去年、僕は曽祖母の日記について書いた。
万年筆でずっと書いていたようだ。
前述の記事でも触れているが、驚くほどに愚痴という愚痴が見当たらない。
また、事情もあったのだろうか、戦争については一切書かれていない。
彼女のパートナーである曽祖父は僕の記憶の中では、子どもながらに気難しい感じで寡黙な人だった。ほとんど話さないのだ。
祖父や父に尋ねると、やはりほとんど話すことをしない人だったらしい。
実際、誰かが言い出した訳でもなく、我が家では曽祖父の前で戦争の話は御法度だった。
夜中、生涯うなされていることも多かった。
後年、自身で年に数回、戦争の話をしてくれるようになったが、それは戦後五十年以上経ってからである。
今、思えば、戦争のため、PTSDを抱えていたのかもしれない。
そんなパートナーと2人の息子を戦時中、戦後と子育てしながら、日常を過ごした曽祖母。
今の時代とは明らかに不便この上ないはずだし、思うことは沢山あっただろうに。
時々、曽祖父母たちの台所に行って、
「おばあちゃま、なんかお菓子ちょうだい」
と、ひ孫の兄貴たちや僕はねだりに行く。
※ひ孫たちにとって、おばあちゃんがふたりいた為、祖母をちゃんで、曽祖母をちゃまで分けていた。
すると、水戸黄門の「人生、楽ありゃ、苦もあるさ」を口ずさみながら、羊羹やどら焼き、極楽寺の力餅家さんで買ってくる餅などを出してくれた。
当時は分からなかったけれど、この歌の歌詞が深い。人生そのものを歌い上げているようだ。
人生楽ありゃ苦もあるさ
涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと
自分の道をふみしめて
人生勇気が必要だ
くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され
泣くのがいやならさあ歩け
人生一つのものなのさ
後には戻れぬものなのさ
明日の日の出をいつの日も
目指して行こう顔上げて
人生涙と笑顔あり
そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより
何かを求めて生きようよ
大正生まれだから、泣き言は言わない、というのが当たり前な時代の人なのかもしれない。
それでも、曽祖母が歌うとなぜか子どもながらに色々と彼女の背負ってきたものに思いを馳せさせられた。
日記は大抵、「〇〇かしらん」と素朴な感想での締めくくり。
曽祖母にもっと話を聞けば良かった。
どうやって苦労したとき、何を信じて乗り越えたか?だとか、色々。
性格的にはのんびりというか、のほほんとしていた曽祖母。
お習字や日本画を習ってもいた為、そうしたものが蔵のようなところに残っている。
書くことそのものが好きだったのだろう。
僕も改めて、言葉、言霊を大事にせねば、と思いながら、しとしとと雨が降ったり止んだりする窓の外を見やる。
空の涙の後には虹も出るでしょう。
自分にとって大事なものを見失うことなく、顔を上げて日々過ごしませう。
モノへのこだわり、高品質なものを長く大事に使う。
余談:
万年筆は数千円からありますが、個人的には2万円前後以上のものを強くお勧めします。
ニブ(ペン先)は筆のコシです。
柔らかすぎず、硬すぎない18kのものが良いと思います。
また、ブランド品の場合、正規品であることをしっかりと確認できるところで重さと書き味を確認して購入した方が良いと思います。
(特にモンブラン、パーカーなど)
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