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とりとめのないこと2023/11/01-11/03

 古くからの都市計画に沿って区画整理された街、バルセロナを一望するかのような教会、サグラダ・ファミリア。遠くから見ると、街のひとびとの祈りの昇華のように映る。僕にとっては子どもの頃以来で、16年ぶりのバルセロナ滞在となる。賃貸が見つかるまで叔母夫婦の家に居候している。叔父と庭の草むしり中に、とりとめのない日記を更新している。この庭から見える遠くの未完の教会、僕がちいさかった頃は、まだ福音のヨハネやマルコの塔はなかった気がする。それら塔の完成によって、存在感が増したような感覚がした。

ここに辿り着くまでにいくつかの空港を経由した。成田、ムンバイ、カタール、ベイルート、カイロ、バルセロナ──エドワード・サイードの『Representations of the Intellectual』(知識の表象:邦題では『知識人とは何か』)を読みながら、目的地バルセロナまでの長く短い数日を過ごした。

カイロ国際空港で読んでいたら、
見知らぬ旅人に話しかけられた。

イベリア航空ならば直行便もあるようだが、今回、ケチったため、トランジット多い。中東を経由した。
ベイルートで一週間過ごすか迷った。
情勢がどうなるかわからず、一日半の滞在でカイロへ向かった。
中東──資本主義教を押し付けられた国家たちの共存にもがく苦しみの上空──を一瞬で通り過ぎた僕。少し落ち着いたら必ず、もう一度、訪れたい。

さて、本についてはサイードの直球が光る文章を紹介したい。

Therefore, the problem for the intellectual is to try to deal with the impingements of modern professionalization as I have been discussing them, not by pretending that they are not there, or denying their influence, but by representing a different set of values and prerogatives.
These I shall collect under the name of amateurism, literally, an activity that is fueled by care and affection rather than by profit and selfish, narrow specialization.
意訳
そうして、知識人にとっての問題は、私がこれまで論じてきたような現代の細分化の影響に対処しようとすることで、それが存在しないふりをしたり、否定したりすることではなく、別の角度と視座から示唆することだ。
アマチュアリズムとは、文字通り、利益や利己的で狭い専門性ではなく、思いやりや愛情によって奮い立つ活動のことだ。

『Representations of the intellectual』E.W.Said vintage社 pp82

 最近、「複雑なものは複雑なまま解像度上げましょう」的なムーブメントがあったりなかったり。これは「背景を度外視にします」宣言と表裏一体なのではないか、と僕は考える。とりわけ地政学やここ最近の現代思想──無論、一概には言い切れないのだが──を学ぶ目的は、世界を全体として見渡す手っ取り早く効率の良い補助なのだろうか?
 だが、解明しようとする対象、〈そこ〉に横たわる大きく長い奥行きのある歴史と宗教と暮らしと空間をふまえずに〈いま〉だけを都合よく切り取ろうとするひとたちをごく稀に見かける気がしてならない。〈いま〉だけを切り取る理由は、〈背景の複雑さ〉なのか、〈ちょっとわき道それるのは面倒くさい〉なのか。
それは、都合よく切り取るか搾取しやすい〈まとめ〉動画や文章が代表的な存在かもしれない。

歴史(慣習、宗教、暮らし、外交や内政)、空間──複雑なのではなく、これら有機的な過去を大事に、専門家だけではなく、アマチュアの一市民が辛抱強く耳を傾け、〈じぶんの五感を使い丁寧に調べ、考察し、まとめる〉というシンプルかつ謙虚な姿勢が必須かもしれない。それがおろそかにされるのは、時間がない、面倒だとか、そうした資本主義教のなれの果てかもしれない。ファスト的なものしか受け入れられない傾向が進む現代……。

謙虚さを忘れず、丁寧に淡々と、学びたい。

 ところでバルセロナといえば、サグラダファミリアの竣工予定が2026年。技術革新、なかでも3Dシュミレーションソフトウェアやプリンター技術が及ぼす建築工学への影響の成果により、300年かかると予測されていた建設期間が150年弱になったのは驚くばかりである。とくにCNC(コンピュータ数値制御)の石材加工機による石柱の施工をガウディ本人が知ったらどう思うのだろうか。

夕方のサグラダ・ファミリア

資本主義の良い側面として、こうした大規模な芸術的かつ公共の施設をつくるのに必要な資金が集まりやすく技術開発促進というのもあるだろう。
そして、あの巨大なファサードの下で、移民の方々も仕事しているのだろうか。
経済、戦争や紛争、移民、そしてまた経済──以前読んだゼーバルトの『移民たち』がふとよぎった。

サグラダ・ファミリアの施工にかかる費用は、献金、内部の入場料などによって賄われている。貧しい中から皆で資金を集め教会を建て、苦しみを半分にしてくれる〈神の家〉を作ること──平和への欲望、破壊と創造、ひとの祈りが貪欲に芸術へと昇華する瞬間を見つめる夕方。少し長い出張のため、家族が再来週には合流してくれるのがありがたい。感謝。

 “La cena está lista, entra a la casa.”
夕飯だよ、と声がして、家の中に入ると、パエリアのパスタバージョンやスープを叔母がたっぷりと料理してくれた。ホップの苦味が効いたピルスナービールは軽やかで、再会した温かな笑顔たちのおかげで旅の疲れが一気に飛んだ。叔母夫婦がだいぶ歳をとった。娘の写真を叔母たちに見せると、僕のちいさな頃とそっくりだと笑った。

余談
トランジット多いと時差ボケが一周してハイテンションな通常運転になる🛩️🛫🛬✈️

#edwardsaid
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#移民たち
#ゼーバルト


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