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ひとりの小学校教員が、ブタのスタンプを生み出すに至る16年間のストーリー

今から15年ほど前。

新米教師であった私は、自腹でひとつ、スタンプを購入した。


どこにでも売っている、「よくできました」のスタンプだ。



計算の宿題ノートにこれを押したら、ありがたいご意見を頂戴した。

もう15年も経っているから、時効だろう。




「答え、間違っているのに、よくできましたって、どういうことですか?」




宿題の回答の正誤を、一応、きちんと見ていたつもりではいた。

しかし、一般的な計算ドリルの問題数は20問。30人学級なら600問。これを休み時間や給食の後の15分間程度の時間で、なんとかしてチェックをしなくてはと、当時の私は思っていたのだ。

急いでいて、見落として、ポンと押したのだろう。

「スミマセン」って言葉を、電話でたくさん口にした気がする。




このスタンプはもうだめだ!!





と、当時の私は考えた。

「よくできました!」が保証できないものには、押せない。

押すことのハードルがやたらと高いスタンプになってしまった。


そこで、私は新しいスタンプを探す旅に出る。

そして、運命の出合いが訪れる。

それが、コレだ。







「見ました」スタンプである。






「見た」ことしか保証しないスタンプである。

「見た」という事実のみ伝えることができるスタンプである。

良しや、悪しなど、とんでもない。

何一つ評価をしない、ジャッジをしない万能スタンプ。


「今日の漢字、めちゃくちゃキレイ!」

「繰り上がりの①を書き忘れてるから間違えとるよぉ」


良しや、悪しは、スタンプ以外で伝えればいいと、経験を重ねていくうちに気づいていく。

だから、スタンプは「見ました」で十分なのだ。




ところが。



あれは、教員生活3年目くらいだろうか。

今から十数年前のことである。


私が尊敬する先輩教員のもとに、一件のありがたいご意見が入ったのだ。



「宿題の漢字練習帳に書いた漢字にマルがついてたから、その通りの形で漢字テストに書いたら、テストではバツにされとるじゃないか。だったら宿題の漢字練習帳にマルつけたのはおかしいだろうが!!」



そうですね。仰るとおりです。

私が尊敬しているこの教員は、まぁとにかく細かくきちんと子どもたちの様子を見てくれる、行き届いた、優しい、素晴らしい教員なのである。

いい加減な仕事をするわけがない。

きちんと「見た」に決まっている。

しかし、見落としたのだろう。

教員が一日の仕事の中で宿題チェックに当てられる時間など、これっぽっちしかないのだ。




この一件で、「見ました」と、胸を張って宣言するリスクについて考え始めてしまった。

うーん。どこかに売ってないのだろうか。



「(給食を飲むように流し込んだ後の10分間で急いで)見ました」




とか、



「(2時間目の休み時間15分の間に、ものすごい勢いで)見ました」




なんていうメッセージ性のあるスタンプは。



まあ、あるわけないので、ある日突然、作りました。





「いちおう みました」スタンプの誕生である。



「いちおう みました…」

「いちおう みました(けど、毎日大体15分で30人以上の宿題チェックをしてるんです。そりゃあ、何十分も何時間も宿題だけに当てられる時間が勤務時間中にありゃ、ノートに穴が開くくらいの熱視線で見る所存であります。でも、現在の学校の状況で、いろいろ言われても、正直難しいです。『じゃあ宿題なんて出すなよ』『いや、もっと量を出せ』『一律に同じ宿題を出すな、個に応じた宿題を出せ』『うちの子には自由な進度の宿題なんて難しいです』『親に丸付けさすな』『塾の宿題が忙しいのでうちの子だけ学校の宿題はなしにしてもらえますか』『そもそも宿題を出す義務は学校には無くてだね』やらなんやら様々な声が常に宿題の周りにはありますが、要はもう勘弁してくださいよろしくお願いします)」



という意味が込められている、非常に穏やかなスタンプなのである。

くれぐれも、間違ってはいけない。こんなふざけたスタンプを使うには、安定した学級経営を行っているという事実と、どうやらこの担任はユニークなおじさんであるという子どもからの評価が、好感をもって保護者に伝わっている必要がある。

そして何より、私は決してふざけているのではなく、宿題をきちんと見たいんだ、しかし現状、なんともうまくいかないんだということが伝えたいのである。

春にいきなりこんなスタンプを押された日には、保護者としては不安しか無い。気をつけていただきたい。



というわけで、やたらと長い前置きになってしまったが、ブタコヤブックスのブタのケルベロスロゴのスタンプを作ったのだった。

スタンプについて思いを馳せているうちに、あまり思い出したくない、若い頃の記憶の蓋を開けてしまった。



これをべしべしと、紙袋に押し付けて、ショップ用の袋を作りたいのである。



どのお店も、ロゴがキラリと光っていて、かっこいい。



「よくできました」
「見ました」
「いちおう みました」

どの時代に使っていたスタンプも、それぞれの時代に事情はあれど、きちんと愛を込めて押してきたという自負がある。

ブタコヤスタンプも同じように、本を買ってくれるお客様のことを思いながら、ひとつひとつ丁寧に押したいものである。