SNSは、ちょっとしんどいらしい。@なんとなく満たされない感と北欧
中学校からの友達と久しぶりに会った。
普段明るくて前向きな友達が別れ際に「SNS、なんか疲れちゃってさ」と呟いた。「これって世間の声を彼女が代表しただけで、実はみんなそう思ってるんだろーな。」と思った。
人の「なんとなく満たされない感」ってどこからくるのか。
ほげーと26年生きてる小さな頭で考えた。
"ギャップ(比較)なんじゃね?”と思った。
その中でも3つくらいに要素分解できそう。
自分の”理想”と”現実”のギャップ
"自分"と"他者"のギャップ
“過去”と”現在”のギャップ(そういう意味では①は”未来とのギャップ”)
ギャップが満たされないことへの不満だったり、惨めさみたいなところが「満たされない感」なのかなぁ。と26歳は答えを出す。
SNS(主にインスタ)って②の代表格と思う。
誰かの幸せ最大瞬間風速を見て「みんな幸せそうでいいなぁ、私って家と職場の往復しかしてないじゃん…なんて平凡で味気ない日々なんだ….」みたいな風に思うのかな。SNSは「幸せの最大瞬間風速の寄せ集め」ということを意識的により認識せねばならぬ。裏ではみんな、それぞれ地道にコツコツ生きている。
北欧に行って感じた、北欧の幸福度が高い理由
この前、フィンランドに行ってきた。
世界幸福度ランキングの上位に君臨し続ける、北欧である。
そして確かに、なんか緩やかな幸せがそこにはあった。
そして思ったのは「この国は他者とのギャップを感じにくい国の仕組みだなぁ。人によって享受できる幸福感の差が大きくなさそうだから、自分だけ置いてけぼり感がないんだろうなぁ。」と感じた。
高福祉国家で収入が高い人の税負担がかなり高い、あまり貧富の差が生まれない税システム。
教育と医療はとことん補償されるので、生まれた環境とかによる格差が少ない、安心充実の制度。
街にエンタメ要素の強い娯楽が少ないので、お金や時間のあるなしに限らず享受できる幸せの総量が人によってあまり変わらなさそうな町。
個人のギャップが生まれにくい国だと思った。
なので、この国の住民のインスタグラムを見たとしたら「散歩なう」とか「そろそろ長い冬来るやん、やだー」とか、収入とかハンディキャップに関わらず、全員あまり変わり映えない内容が並びそうな気がする。
だから「自分が、あの子みたいにもっとお金持ちだったら○○できたのに」みたいなことが発生しないような。起業成功して、港区住んで、タクチケ使いながら、美女とコンパ三昧してる人も、フィンランドでは生活水準ウチらとあんま変わんないよね、となりそう。
ギャップ(格差と比較)が生まれない→理想も生まれない→平穏に今をある程度納得して生きれるのかな、と思った。
フィンランドはのんびりしていて、常に一定の充実感はあった。でも頑張っても得られる幸せの総量があまり変わらないから、頑張る理由もないし物足りないぜって人もいそうな気はしたけど。
私は、ありきたりで悩み葛藤し続ける日々を表現したいと思う
そんな感じで、なんか今のSNSって人間生活の超偏った場面しか見れないから、あまり面白くないよなと思っている。
「マジなんなん。超ムカつくんですけど」みたいな日も生きてたらあるし。
「あー恥ずかしすぎて、土通り越して海に還りたい」みたいな日もある。
そんな、しなしなしている人がいたならば「本山もしなしなしてるし、一緒だね☆とりま一緒に一息つこ?」みたいな、本山のどこにでも転がっていそうな日々と葛藤を表現することで、ひとりじゃないよと言いたい。
noteはそういう役回りで使えたらいい。
誰かの日記を覗き見するような。
素朴でもっと、汚くて薄汚れた他人の感情も見れたら面白いんじゃないかと。誰かの頑張りたくない時に見てもらって、それなりに頑張れない自分を肯定できる何かになれば。(そして同じくして、そういう自分も肯定したい)
最近、羞恥心を通勤時に聞いていて”ドンマイ!ドンマイ!ドンマイ!ドンマイ!泣かないで〜♪のところで日々励まされいる。
26歳になって、この歌の良さというか、なんかわかった気がする。
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