「やらない」ことばかりを選択すると「やりたい」ことが分からなくなる
これは小学4年生のときに担任の先生からもらった言葉である.
遠足だったか社会科見学だったか,博物館に行くことになった.
5人のグループ6つに分かれ,そこに行くに当たっての目標を各グループごとに決めようという流れになった.
私がいたグループで掲げた目標は「周りに迷惑をかけない」だった.
小学校で中堅にあたる4年生.ちゃんと人としてできる,いつまでも子供じゃないことをアピールしようという結果に出たものだった.
時間が経ち,グループで決まった目標を発表することになった.
他のグループが出した目標は私達のグループが出したように
「うるさくしない」「時間に遅れない」「ルールを破らない」と
ないないの目標ばかりが並んだ.
しかし一つのグループだけ違った.
「見学を楽しむ」というものだった.
正直その目標を聞いたときは何とも思わなかった.
上から目線で,確かにそうゆう目標設定もあるよねってぐらい.
でもその目標を見て,担任の先生が言った.
「やらない」ことばかりを選択すると
本当に「やりたい」ことが分からなくなるよ.
そのときはそういうもんか,なんて思って目標を変えて終わったが,
あれから18年,この年齢になって先生が言った言葉がすごく身に染みてる.
大好きな先生が教えてくれたにも関わらず,私はすっかり忘れていたのだ.
中学高校大学と「やりたい」で始めたものは少なく,後に有利に働くか否かで選択するしかなかった.
「やりたい」というものもあった.でもそこで私は何故だか「やらない理由」ばかりを探して結局選択することはなかった.
そしてその結果どうなったか.
私は受け身の鬼になり,そして「好き」の迷子になった.
直感で良いと思っても理屈で考え始めてしまい,プラスな部分はそっちのけでマイナス要素ばかり探してしまう.必然的に触れるものの中でしか良い/悪い,好き/嫌いのジャッジができなくなった.
もういい年齢なのに自分は何が好きか分からない.
それは薄々気づいてはいたけれど,家に籠もって自分に向き合う時間が長い今,その事実が私の首を少しずつ少しずつ締めていくのだ.
自分軸がない.そんな恐ろしいことってない.
人生100年時代と言われ,私の年齢であればあと72年は生きる時代.
もうちょっと,人生楽しんでる大人でいたいじゃないか.
自粛中の今,時間はたっぷりある.なんなら明日からGWだ.
外には出られない.でも私がやりそこねたことはこの部屋にも十分にある.
「やりたい」と,どんどんバットを振っていこう.そうじゃないと「好き」には当たらない.打率なんてくそくらえ.安打数を稼いで行こう.
それが今の目標だ.