ごちゃごちゃグルグル
あるコーチングの本によると、思考は話し言葉より40倍から80倍の速さで流れるらしい。だから、言語化しない思考は高速で過ぎ去ってしまい、頭には残らないのだ、と。
(この40倍や80倍という驚異的数字の根拠は不明だが、検索したら6倍というのは見つかった。とにかく思考は話す言葉より速いということ)
診察室で「ゴチャゴチャ考えすぎてしまう」と訴える人は多いが、その「ゴチャゴチャ」に具体性のあることはあまりない。言語化していないので、悩みの中身はあっというまに流れ去り、「いっぱい悩んだ」という形跡だけが残っている。
精神療法やカウンセリングの効用の一つは、この「ゴチャゴチャ」を言語化することだ。というより、言語化できた時点で問題の大半が解決するようなケースさえ珍しくない。
さて、精神科やカウンセリングで「日記を書く」ことを勧められた人は多いかもしれない。この日記は、主治医が読んで分析するためというより、患者さんが頭の中の「ゴチャゴチャ」を言語化するトレーニングという意味が大きいだろう。
「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」
これらは患者さんが「いっぱい悩んでいる」ことを伝えるために用いることの多い表現だが、診察室ではそれらを具体的な言葉にしてもらうよう促す。また、日記などを通じて日常でもそういう訓練をしてもらう。
このように、精神科診療やカウンセリングにおける日記は「自分の思考を言葉にするため」である。決して、主治医やカウンセラーを喜ばせるためではない。
ところが、「一生懸命書いたのにサラッとしか読まれなかった」という愚痴をこぼす人をツイッターで見かけるた。こういう愚痴がこぼれるうちは、日記の役割が正しく認識されていない。
ただし、「一生懸命書いたのにサラッとしか読まれなかった」という「愚痴の言語化」ができたことはすごく良い。日記に目を通す主治医やカウンセラーの様子を見て「イヤーな気持ち」になるだけでなく、「何がイヤー」だったのかを言葉にする。「なんとなくイヤー」で済ませない。
そうこうするうちに、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」と、大雑把かつ安易に表現してきた「頭の中の悩みごと」を、もう少し具体的な言葉にできるようになる。
その結果、「自分はこれで悩んでいたのか」という気づきにつながれば良い。
例えるなら、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」という悩みごとは、夜道を独りで歩いているときの暗がりや正体不明の音みたいなものである。ライトを当てたり音の正体を確かめたりするだけで、「なぁんだ」と楽になることも多い。
私の診療で患者さんに日記を勧めたことは数回しかない。そして、実際に書いてきた人は一人もいない。精神科やカウンセリングに、ファストフード的な癒しを求める人には不向きな方法ではある。
以上、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言葉にすることの効用を書いてみた。診療における日記の意味について、私自身きちんと伝え切れていなかったことも大いに反省すべきところだ。こうやって言語化したことで、日記の効用をもう少しうまく伝えられるようになったのではないか、という気になっている。
余談ではあるが、ツイッターでわりと具体的なグチを書いている人は、悩みかたとしてかなり洗練されていると思う。
みなさん、言語化しましょう。