
【100分de名著を語ろう】ヘーゲル『精神現象学』④レジュメ
こんにちは。
今回で5月度の内容が完結です。5月29日(月)からも第5週の放送はありますが、第4回分が再放送されますので、新規でのレジュメ起こしは5月度はこれがラストとなります。今回のサブタイトルは、「それでも共に生きていく―— 「告白」と「赦し」」です。なお、今回はアニメ『進撃の巨人』についての言及がありましたが、ぼくは未視聴の上、原作も読んでいませんので、その言及部分については割愛させていただくことになると思います。ご了承ください。
1)「教団」化する人々
「現代社会にはさまざまな分断があります(略)相反する二つの立場が相手を悪として非難し、対話の余地すらないような状態に陥っています」
仲間内の世界に閉じこもり「教団」化する人々=「意見の異なる人たちとは交わりも議論もせず、自分が安住できる場所で、自分の聞きたい話しか聞きません」=「美しいたましい」
「真理への恐怖」が勝って、「ほんらいの経験」を拒絶=「意識の『再動物化』につながる態度」
「人が生きていくということは、意見の異なる他者と共に生きていくこと」
「『私』たちの集まりは、どのようにして(略)『精神』として統一され、普遍的な規範や規則を作り出すことができる」のか。
2)知をめぐる矛盾
他者と共に生きていくためには必要な、不和に対する耐性と相互の信頼。
「距離を取らなければいけないけれど、同時に、どこかで安定もさせなくてはいけない」ところに「矛盾」がある。
「他者との差異を踏まえつつ、自分の立場を保持しながら、お互いにみずからの主張の正当性の根拠を提示」する。その第一歩が「自己批判」。
3)「良心」とは何か?
良心とは、「自分が正しいと思っていることを、みずからの判断で行う意識」。
独りよがりにならず、他の人に承認してもらいたいから、きちんと説明し、行為する。
何が正しいかはダイアローグ(対話)によって決まる。
4)良心にしたがって果たされた義務
「私」の行為は、「複数の人々の自己意識と関わり、吟味」されることで「客観的な規則に沿った行い」=「実体」の境位に収まる。
5)「行為する意識」と「評価する意識」
6)「行為する意識」の告白
「行為する意識も、評価する意識も、自分の立場は正しいと思って」いて対立することになる。
「行為する意識」が、「私が悪である」と「告白」=「自己批判」する。
7)「評価する意識」の赦し
「重要なのは、『告白』と『赦し』の応答は、善悪をめぐる当初の自分の見解を双方が(部分的に)改め、対称的に変わっていく過程であるということです」
協働で新たな知と正しさの基準を生み出していく=「承認関係」へ。
8)「相互承認」から生まれる新たな真理
「行為する意識」と「評価する意識」とが統一されていく弁証法的な展開。
「もうこれで争いを終わらせるという宣言ではありません(略)自分たちの規範や規則をより意識的に扱えるようになっていく。これこそが、ヘーゲルがとらえた近代の自由の姿なのです」
9)『進撃の巨人』に見る相互承認
10)カヤとガビの「赦し」
※視聴していませんので、言及を控えます。
11)相互承認がコンフリクトを可能にする
「コンフリクトの適切な処理を可能にする態度が相互承認」
「緊張関係から生じるコンフリクトを相互承認に基づいて調停」し、「新たな知を反省的に生み出していく(略)この問い直しのプロセスは永遠に続いていく。まさに、そのような『開かれた始まり』こそが、近代の到達点としての『絶対知』なのです」
12)意識は進歩した。では私たちは?
「精神の歴史的な歩みの一つの到達点が相互承認」だが、「現実の社会で自由が『実現』するかどうかは、私たちの選択にかかっている」
13)追記
※5月26日(金)以降に追記がされる場合があります。
今回は以上といたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それでは!
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