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スタードライバー(第3話)

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■本編

 正気ですか、とマリー皇女は整備が完了したスターリースカイ号を一目見るなりそう言った。ああ、正気だとも。僕は至って正常で平常運転だ。
 僕らの前には、玉虫色の甲虫の外皮にくるまれ、一見車だとは分からない――見ようによっては頭を隠した虫にも見えるが――我が愛車、スターリースカイ号があった。甲虫の外皮は完璧な流線型を描き、どこからレーザーやミサイルやバリスタに襲われても弾き返す、『キング・フォートレス』を体現していた。完全に車体を覆ってしまうことで、キング・フォートレスの弱点だった頭のような脆い部分は露出していない。まさに絶対防御だった。
「これじゃ前が見えないんじゃありません?」
 マリー皇女は覗き込むのも嫌だという顔をしながらフロントの方を覗き込み、自分の想像の通りフロントまで完全に甲虫の外皮に覆われていることを認めると、深い、それは深いため息を吐いたのだった。
「心配ない。超小型高性能カメラを随所に搭載しているから、全方位見渡せる。僕の改造案に死角はない」
 つまりカメラは外に露出することになるのだが、耐衝撃、耐熱性は標準以上のものを備えているから、レーザーがかすった程度では壊れない。そこまでの性能のものは超高級品だが、僕のキング・フォートレス戦の活躍を祝って(半ば脅して)、カワタが取り付けてくれた。まあ、メインカメラをピンポイントで撃ち抜かれるなんてことがない限り、カメラは壊れないのだが、そんな天文学的確率、起こりっこない。
「武器は搭載しているのですか」
 マリー皇女は不安そうに訊ねる。その不安は、武器を搭載していることへの不安か、搭載していないことへの不安か、定かには分からなかった。
「武器は積んでない。むしろ必要ない。この車が最強の盾であり、最強の矛でもあるからだ」
 どんな衝撃にもびくともしないこの車が、高速で体当たりを食らわせるだけで、大抵の車は宇宙の藻屑と化す。それは反体制派の車とて例外ではない。正面からミーティア級のレーザー砲を跳ね返し、体当たりを食らわせ敵中を突破し、皇都へと辿り着く。それが僕が描いた必勝への青写真だ。
「何だか虫の体の中に入ったみたいで嫌です」
 マリー皇女は指摘すべき欠点を失って、自身の感情というひどく脆い論拠、だが最も強固な根拠に寄って立った。
「命には代えられんでしょう」
 僕がそう言うと皇女様はぐっと黙って、涙目で僕を睨みつけた。
「マスターは女性の気持ちをもっと学ぶべきです」
 突然電子のマリーも僕に反旗を翻す。もう一人のマリーの言葉に立ち直ったのか、勢いを取り戻して「ですよね!」とマリー皇女も憤然と言う。
「おいおい、マリー。そりゃないだろう」
「マスターは理屈で話をするのではなく、感情で話をしてはいかがですか」
「僕はそんなに理屈っぽいか」、と些かショックを受けてスターリースカイ号にもたれると、装甲の表面はつるつるとしているだけではなく、油でぬるぬるとしていた。その様子を見て、マリー皇女はおぞけを振るって「ひい」と叫んで後ずさった。
「なんだよ、ただの油だろ?」
「む、む、虫の油でしょう。気色悪くないのですか」
 手をズボンで拭いながら、「大きいだけで、虫だろ」と言うと、マリー皇女は信じられないものを見たように「お願いですからその手でわたしに触れないでくださいね」と、顔を引きつらせた。
「そんなに毛嫌いしなくてもなあ」
 そう言いつつ、僕はハッチとして作った外皮を持ち上げ、現れたスターリースカイ号のドアを開ける。
「そろそろ出発する。乗ってくれるか」
「え、ええ」
 マリー皇女は躊躇いつつ、恐る恐る一歩を踏み出し、スターリースカイ号に足を踏み入れる。外皮に触れないよう細心の注意を払っているせいで、動きがスローモーションみたいに緩慢としている。これが皇女様じゃなければ、さっさと乗れ、と足で蹴り飛ばして押し込んでやるのだがなあ、と想像していると、皇女様が乗り込み終わったので、扉を閉め、外皮を閉じる。
「じゃあカワタ。僕らは行くよ」
 カワタは汗の滲んだ古びたタオルで顔を拭きながら立ち上がり、「ああ」と言うとパイプのテーブルの上にハンマーを置いた。
「鼻の頭、黒いぜ」
 カワタの鼻の頭は犬の鼻のように、油で真っ黒になっていた。慌ててタオルで擦ると、黒い染みがなびいて広がり、黒い鼻水を流したようになったので、僕は笑った。
「整備感謝するよ。手持ち金がなかったもんでね、助かった」
 僕が笑い声を上げながらそう言うと、カワタは肩を落としながら「高くついたよ……」としょげていた。
 スターリースカイ号の沼地からの牽引に、各機関の整備に加えて、キング・フォートレスの外皮の加工と設置だ。赤字も赤字、大赤字だろう。だが、僕としては命を懸けたのだ。一歩間違えればキング・フォートレスに握り潰されていたかもしれず、その僕が要求する対価としては、妥当なものだと思えた。
「正直な話、こいつの耐久性はどうなんだ」
 僕がてかっている装甲をこつこつと叩きながら訊ねると、カワタはスパナを思い切り装甲に叩きつけた。するとスパナの方が折れて弾き飛び、くるくると回ってカワタの後方に落下した。
「相応の力でぶつかったとき、ああなる。ぶつかった方が壊れるというわけさ。多分衝撃には強い。通常走行のスピードでキング・フォートレス級の物体がぶつかってもびくともしないだろう」
 なるほど、と僕は頷く。「超光速でぶつかってきた場合は」
 分からん、とカワタは首を振った。「だが、装甲はもたないように思う」と自信なさげに言う。
「レーザー兵器に対してはどうだ」
「ミーティア級ならば、何門の砲台で撃たれようと問題じゃない。ただ、アステロイド級の大砲で撃たれた場合はもたないかもしれない」
 僕は声を上げて笑い、肩を竦めて見せた。
「アステロイド級? そりゃ軍艦の主砲並みだぜ。反体制派の連中がそんな代物もってるとは思えないな」
 もし持っていたとしても、皇女とはいえ小娘一人消し去るために持ち出すだろうか、と僕は馬鹿馬鹿しくなって考えるのをやめ、折れたスパナを拾ってカワタに放り投げると、「じゃあな」と手を振って運転席のハッチを開けて乗り込む。
「準備はいいですか、マリー皇女」
 緊張した面持ちでシートベルトを握りしめていた皇女様を振り返って訊ねる。甲虫に包まれている嫌悪感か、これから待ち受ける反体制派の攻撃に対する緊張なのか、マリー皇女は身を縮こまらせて岩のようになり、後部座席に収まっていた。
 返事がなく、すがるような眼差しを向けているため、「大丈夫です。きっちり送り届けますよ」と言って前に向き直り、肩を竦める。「準備はいいか、マリー」と電子のマリーに声をかけると、こちらは用意万端と言った朗らかな声音で、「問題ありません、いつでもどうぞ」と応えてくれる。
「よし。スターリースカイ号発進する」
 エンジンを始動し、ホバーペダルを踏む。徐々に車の高さが上がっていく。上昇は支障がないようだ。
「スターリースカイ号、発進許可。五、四、三……」
 カウントダウンが始まる。ホバーペダルから推進ペダルに足を踏みかえ、待機する。
「ゴー!」
 合図と同時にペダルを踏みこみ、一気に加速する。加速の具合も悪くない。装甲を纏った分、機動性が犠牲になったんじゃないかと懸念していたが、どうやら杞憂だったらしい。スピードメーターはぐんぐんと上昇し続けている。
「マスター、大気圏突入。宇宙空間に出ます」
 車体ががたがたと揺れる。マリー皇女は不安そうな顔をしているが、僕の集中を乱さないためか、口を真一文字に固く結んで耐えている。
「マリー、ポイント三六五〇七をセット。コースそのまま」
「了解。ポイントセット。ポイント到達後、超光速走行に切り替えます」
 頼む、と言って僕は周辺の宙域図を展開し、予定進路を眺める。身を隠すもののない宙域だ。そんなところを堂々渡ってくるとは思わない、ような相手なら楽なんだがなあ、と僕は手を頭の上で組んで考える。多分、主要航路には網を張っておいて、引っかかり次第袋叩きという戦法だろうと思う。標的が一台だけなら、そうするだろう。僕だって指揮官ならそうする。
「マスター、熱源接近。反体制派の車両と思われます。数五」
 数五。どんだけ本気なんだ、と僕は嫌気が差して舌打ちする。
「ミーティア級のレーザー砲を確認、撃ってきます。このまま進んでも弾けますが、どうしますか」
 僕はレーザー砲を回避するコースの算出を、コンソールを叩いて命じつつ、ハンドルを操作してレーザーの回避に備える。
「まだ手の内を見せるには早い。ここは全弾回避だ」
「了解」とマリーが答えて回避ルートがはじき出されるので、僕はそれを瞬時に頭の中に叩き込んで、迫りくるレーザーを回避していく。
「回避後ルート四四三だ」
 一瞬、そのルートに穴があるように見えた。そのまま突っ込むこともできたが、念のためマリーに算出させる。
「だめです、マスター。そのルートの前方に十台の熱源が確認できます。おまけに……」
「レーザーのエネルギー反応だろう。一斉射撃だな」
 僕は額に手を当て、一瞬迷う。一瞬だけだ。進むことは決まっている。懸念は、ミーティア級とはいえ、一斉射撃を受けて装甲がもつかだ。もてば勝ち。もたねば宇宙の塵。博打だな、とふっと笑みをもらし、顔を上げてマリーに命じる。
「ルートそのまま。通常走行最大速度で走り抜ける。進路上にいるものはすべて弾き飛ばす。敵包囲を抜けたら超光速走行で突っ切る。やれるか、マリー?」
「もちろんです、マスター」「は、はいっ。やりますっ」
 混乱しているのか、マリー皇女も返事をする。宥めて落ち着かせてやりたいところだが、生憎僕の方にもそんな余裕はなかった。命を懸けた大博打に挑もうというのだ、僕だって震えがくるし、怖くもある。だから自分の中のその弱さ――恐怖心などに立ち向かわなきゃいけない。むしろ誰かに大丈夫だと支えてほしいくらいだ。
「マスター、敵射撃、きます」
「よし、衝撃に備えろ。一気に駆け抜ける!」
 ややあって車体を揺らすような衝撃があり、推進ペダルを強く踏んでいないと、速度がみるみる減速していった。敵のレーザーの勢いに押されているのだ。僕はハンドルを保ちつつ力の限り推進ペダルを踏んだ。メインカメラのモニターが赤紫色に染まっている。レーザーの光の粒子が装甲に当たって弾け、その様は宇宙に漂う蛍のようだった。
「戦争でもやろうってのか、あんたらは」
 レーザーは一斉射撃とはいえ、少なからず時間差があり、一本、また一本と徐々に切れていき、勢いを失っていく。僕はそれでもペダルを強く踏み込み、最大まで加速させる。そしてレーザーの最後の一本が途切れたとき、僕は勝利を確信した。そのままの勢いで敵中に突っ込んでいく。敵は慌てて逃げ惑うが、密集体形をとっていたことが徒となり、速やかな回避態勢をとることができず、キング・フォートレスの装甲に、中央付近にいた三台が巻き込まれ、粉砕、弾き飛ばされて爆散した。
「よし、これで僕らの勝ちだ」
 勝利を叫んだ僕に対し、マリーは悲壮な声で「だめです、マスター」と叫んだ。その直後激しい衝撃が助手席側から襲い掛かり、それと同時に粉砕した一台もまだ息があったのか、苦し紛れのレーザーを撃ち、その衝撃に耐えられず爆発していったのだが、その最期のあがきのレーザーがピンポイントでメインカメラを捉え、メインカメラが不能となった。
「おいおい、そんなことが起こるのかよ」
 衝撃に押され、スターリースカイ号は推進力を大幅に減じて横に回転した。恐怖にハイになってしまったのか、マリー皇女は「あはははは」と楽し気に笑いながら両手を挙げていた。
「マリー、何が起こった。今の衝撃は……」
「アステロイド級の射撃です。助手席側装甲は焼き切れて役に立ちません」
「アステロイド級だと?」
 それぞれメイン以外のカメラを操作すると、助手席側方向に、巨大な装甲車両が浮かんでいた。
 僕は髪の毛を掻き乱して頭を抱える。あああ、あんなの艦隊戦に持ち出すような軍事兵器だ。軍用車両十五台の投入に加え、アステロイド級主砲を積んだ装甲車両なんて、戦争の一個師団に匹敵する。そんな軍事力を投入してまで、奪還もしくは抹殺すべき存在なのか、この皇女が。
「マスター、敵装甲車から通信が入っています」
 僕は顎の先から汗を滴らせながら額を押さえ、「分かった。モニター通信で繋いでくれ。敵の首領の顔が見てみたい」と言って髪の毛を整え、上体を起こして背筋を伸ばした。
 モニターに現れたのは、中年の男だった。浅黒い肌で、鍛え上げられた肉体だということがモニター越しでも分かった。白髪をオールバックにして後ろでまとめて結んでおり、目は美しい南国の海のような碧だった。
「私は自由解放同盟の長を務めるイージスというものだ」
 通信音声なのに、腹まで響くようないい声だな、と僕は思った。
「こちらはスタードライバーのロク。自由解放同盟が一介のスタードライバーに何の用だ」
 気丈に応じると、イージスは豪快に笑って、「いい度胸をしている」とその鋭い目を更に細めた。
「私たちのお客人がそちらの車に乗っているようなのでな。こちらに引き渡していただきたいのだが」
 マリー皇女が後ろで息を飲んだのが分かった。それもそうだろう。自分の生殺与奪の権が、今まさに僕の手に委ねられたのだから。ここで僕が何と言って答えるかで、皇女の運命は決まる。正直そんな決定権なんて真っ平御免だと思うけれど、僕がスタードライバーで、彼女が客である以上、それも仕方のないことだ。
 とぼけても無駄だろうな、と思って僕は正直に答えることにする。
「確かにあんたらの求める客人を乗せている。もしこちらが引き渡しに応じなければどうする」
 イージスは短く白い顎髭を撫で、値踏みするように僕を見つめると、ふうとため息を吐いた。
「その場合は残念だが、撃墜させてもらう」
「そこまでこの皇女の命が重要か」
 重要だな、とイージスはテーブルの上で手を組み、そこに顎を乗せる。
「自由解放同盟は捕えながら、皇族を逃がしたと、そう世間に思われてしまうことが問題だ」
「事実だな」と言うと、イージスは愉快そうに「そう、事実だ」と笑いながら頷く。
「故に再び捕らえるか、殺すかせねばならん」
 僕は冷や汗をかきながら、「本当にその選択肢しかないのか」と訊いた。一歩間違えれば、奴らは何の躊躇いもなく主砲のスイッチを押すだろう。そうなれば、次の直撃にスターリースカイ号は耐えられない。よしんば耐えられたとしても、逃げ切ることは不可能に近いだろう。チェックメイト、というやつだ。僕にはもう選択肢は一つしかない。
「他に円満解決できる選択があるのなら、我々としては歓迎なのだがね」
 そんな解決策、あるはずがない。大人しく皇女を引き渡して、はい、おしまい、だ。報酬が入らないのは痛いが、命には代えられない。だが、僕のスタードライバーとしての誇りは……、乗客を無事に送り届けることだ。それに背いたことは、一度たりともない。それを、僕は初めて破ろうとしている。
 振り返ってマリー皇女を見る。彼女はひどく怯えていた。皇女様も分かっているのだ。僕がとる道は一つしかないと。分かっているから、それが意味することに震えている。かちかちと歯を打ち鳴らして震える彼女を見ているのが辛くて、僕は目を逸らした。
 そして沈黙している電子のマリーに向かって、「マリーは僕を軽蔑するかい」と訊いた。するとマリーは僕の想像しない答えを言った。僕が望む答えではなく、別の答えを。
「軽蔑します、マスター。マリー皇女を見捨てることは、あなたの矜持に泥を塗ることです」
 マリー、と呟いて、僕は項垂れる。
「さて、そろそろ答えを聞いてもいいかな」
 イージスは勝者の笑みを浮かべていた。それはそうだ。僕がどう答えても、奴らは目的を遂げることができる。勝ちは揺るがないのだ。
 僕は天を仰いで、深く息を吐く。
 宇宙は広く、暗く、冷たい。スタードライバーの僕でさえ、宇宙の中を走っているとき、得体の知れない恐れに襟首を掴まれている心地になることがある。だが一方で、見ていると落ち着くこともある。星々の瞬きを暗幕のような闇の中に見ていると、僕は一人ではないのだ、と強く感じて、心が安らぐ。
 振り返って皇女様を見つめる。彼女は僕の視線に怯えた眼差しを返す。
「これまでの生活のすべてを、捨てる覚悟があるかい」
 僕は訊ねた。皇女様は僕の質問の意図が分からないのか、きょとんとした顔をしていた。
「つまりだ。皇女であることを捨てられるかいってことだ」
 そこで皇女様ははっとして、顔が青ざめたが、決然と頷いた。よし、と僕も頷き返す。
「イージスさん」
「なんだね」
 イージスはにやにや笑っていた。
「ここに皇女はいない。いるのはスタードライバー見習いのマリーだ。マリアフォルレアではない、ただのマリーだ」
 イージスは笑いながらも鋭い眼差しを返し、切れそうなほどに鋭利な声で「詭弁だな」とばっさりと斬り捨てた。
「詭弁かもしれない。だが、マリーは皇女であることを捨てる。あんたらの探している皇女様はもうどこにもいない」
 ふむ、とイージスは腕を組んでのけ反り、片目を瞑って、もう片方の目でじっと僕を見つめる。
「だが単なる口約束だ。ほとぼりが冷めた後に、皇都に送り届けられない保証はない」
「それなら、僕らに見張りでもつけたらどうだ」
「見張りか。ふうむ」
 イージスは考え込んでいるようだった。
 馬鹿げた方法だが、マリーが無事に助かるにはこれしかない。約束は守る必要があるだろう。皇都に届けようとする動きがあれば、イージスは容赦なく僕らを殺す。それなら僕からもコンタクトのとれる見張りでもつけてもらった方がやりやすい。
「しかし面白い男だな、君は。十五台の戦闘車両を前にしても臆さず戦い抜き、私を相手に交渉する度胸と機転がある。私の部下にほしいくらいだ」
 ありがたいお言葉だが……と僕が答えようとすると、イージスはそれを遮って、「いや、いい。スタードライバーの己の職務に対する誇りと、頑固さは知っている」と言う声には好意的な音色が混じっていた。
「条件は二つだ。皇女は皇都に帰らないこと。身分を捨てて生きること」
 分かった、と頷き、念のためマリーにも確認する。彼女は唇まで青ざめていたが、はっきりと頷いた。
「この条件は君たちが積極的に破ろうとしなかった場合でも、結果的に破ったと判断できる場合には約束を反故にしたと判断する」
 どういうことだ、と僕は首を傾げる。
「例えば、君たちは帰ろうとせずとも、皇国の者に見つかり、連れ戻された場合などだ。その場合、君には即座に死んでもらうことになるし、皇女も追いかけて、必ず殺す」
「なるほど、了解だ」
 ふむ、とイージスは頷き、「この条件が守られるなら、我々は退こう」と言うので、「スタードライバーの誇りにかけて誓おう」と宣言する。
「その宣言を聞くのは、生涯で二度目だよ」とイージスは一瞬柔和な笑みを浮かべ、すぐに厳格な表情に戻って、「おって私の配下を送る。連絡はその者を介して行う」と言うと、通信を切った。
 僕は肺にため込んでいた空気をすべて吐き出すかのように吐いて、ハンドルにもたれかかる。こんな交渉事はスタードライバーの本分じゃない。しかも、厄介極まりない人間の人生を背負い込むことまで決めてしまって、僕は一体なにをしてるのだろう。
「マリー、コースを地球に戻してくれ。事業所だ。所長には詳細は伏せながら、でもマリーの面倒を見ると説明しなきゃならんだろ」
「了解、マスター」とマリーは答えたが、その声がどことなく嬉しそうなのは僕の気のせいだろうか。
「あ、あの、わたし、これから」
 皇女は虎口を脱したことは悟ったのか、顔の血色はよくなってきていた。
「あんたはスタードライバーになる」
「え?」
 僕は説明が面倒で髪をわしゃわしゃと掻き乱すが、電子のマリーに「説明責任があります」と言われてしまったので、説明しないわけにはいかなかった。
「あんたは皇女だとバレたり、皇都に帰ろうとしない限り、身の安全が保障された。で、スタードライバーになってもらうのは、僕がずっとあんたを養い続けるわけにはいかないからだ。かと言って他の仕事も知らないんでな。スタードライバーになってもらうのが手っ取り早いってわけだ。まあ、しばらくは助手として仕事を手伝ってもらう」
 マリーは目を輝かせ、「わたしがスタードライバーに?」と言うので、そんなに甘いもんじゃないぞ、と釘を刺してやろうと思ったが、そんなことはいつでもできるので、今日のところはまあ、生き残った喜びを噛みしめ、新しい門出に不安を抱きつつ、進路を地球にとって重畳としようと思う。

〈了〉


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