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スタードライバー(第2話)

■前回の話はこちら

■本編

「これからどうするのです」
 皇女のマリーは沼地に半分埋まったスターリースカイ号を呆然と眺めながら、誰にともなくそう呟いた。まあ、聞くのは僕しかいないのだが。
 エンジンストップ、ハンドル制御も効かない、そんな劣悪な操縦環境の中、よくこの沼地に無事に(?)不時着させたもんだ、と我ながらその手腕にほれぼれとする。いや、ほれぼれとさせてくれ。そうでもないと、沼地に車体の半分を埋めた愛車の無残な姿を直視せざるを得ないのだ。
 電子のマリーによる一瞬のエンジン再起動、そしてそのタイミングを見逃さなかった僕のホバーペダルの操作とブレーキにより、落下の衝撃を最小限にして落ちることができた。計算外だったのは、超光速走行もほんの刹那、コンマ何秒かだ。復帰して、起動してしまったことだ。その一瞬で、僕らはこのジャングルの真上まで運ばれてしまった。多分、地球を何周かして。下が沼地だったのは幸か不幸かだ。固い地面だったらスターリースカイ号は損傷していただろう。だが、沼地だったことでそこから引っ張り出す労力が必要になってしまったのは、誤算だ。
「マリー。付近にサービスステーションがないか調べてくれ」
 僕がそう言うと、電子のマリーが「了解、マスター」と言うのと同時に「なぜ、わたしが」と皇女のマリーが不服気に言った。だから聞こえないように小声でスマートフォンに言ったのに、顔に似合わず地獄耳だったらしい。まあ、地獄耳が似合うという顔に、僕はまだお目にかかったことがないけれども。
 電子のマリーは車のシステムからスマートフォンにインストールしておいたので、端末に話しかければいつでもマリーが応えてくれるというわけだ。愛車から長時間離れなければならないときとか、今回のような緊急時には重宝する機能だった。
「マスター、ちょうど十五キロ先に登録のあるステーションが確認できました」
「十五キロ」と絶望したように額を押さえてふらつきながら皇女のマリーは言う。ああ、あれだ。絶対歩きたくないとか言い出すぞ。
「車がこの状態で、十五キロもどうするのです」
「まあ、そりゃあ、歩くんだろうな」
 僕は頭を掻きながら、面倒くさくなって投げやりに言う。
「わたしは待ちます。十五キロ、往復するのだから三十キロでしょう。歩くなんて真っ平です」
 構わないが、と答えつつ、僕は電子のマリーに確認する。「この辺り危険はないのか」
「危険度ランク五のエリアです。食性が肉食の生物が多数生息しています。例としてワニ、トラなど。また、毒性をもった生物も多数生息しており……」
 電子のマリーが淡々と皇女のマリーに残酷な事実を告げていくと、皇女は足を踏み鳴らす、皇女らしからぬ振る舞いで僕らの注意を引き、「分かった、分かりました。わたしも行きます。行けばいいんですよね!」と半ば八つ当たりのように僕に向けて怒鳴った。同じマリーだからか、電子のマリーに怒りをぶつけることは気が引けるのかもしれない。
 僕は車のダッシュボードから引っ張り出してきた、小型レーザー銃を抜いて構えると、先頭に立って歩き出す。左手にはスマートフォンを構え、電子のマリーを展開させた状態で進む。そうすれば、熱や呼吸音などで危険生物が接近していないか、マリーが探知し、即座に僕に教えてくれる。本当に頼れる相棒なのだ。車がなかろうとも。
 僕には懸念があった。往復三十キロの道のりも不安だが、サービスステーション自体にも不安がある。スタードライバーのサービスステーションは大抵普通の車のガソリンスタンドに設置されている。僕らはそこに普通の車のように何食わぬ顔で行くわけだ。だがこのサービスステーションというのが、食わせものであることが多い。特に都会から離れた、田舎というか(ここはジャングルだが)僻地になればなるほど、ぼったくりや悪徳業者などのならず者がステーションをやっていることが多く、まともな取引ができないんじゃないかという懸念があるのだ。
「ああ、虫、虫っ! こんな大きなカナブンみたいなのが」
 マリーが手を振り回して虫を追い払っていた。「痛っ」という声が聞こえたので振り返って見ると、木の枝に振り回していた手をぶつけたようで、次の瞬間樹上からどさっと何かが落ちてきた。蛇だった。毒々しいカラーリングをしているから、多分毒蛇だろう。マリー皇女は絶叫し、電子のマリーは「野生動物を刺激します」と冷静に指摘している混沌とした状況の中で、僕は光線銃を牙を剥いて威嚇する蛇の脳天に過たず直撃させ、頭を消し飛ばした。頭を消し飛ばされた蛇は派手な縄のようになって崩れた。
「あ、ありがとうございます」
 僕は深くため息を吐く。
「頼むから静かに、慎重にしてくれ。そんな祭囃子みたいな音をたてながら進んだら、わんさか動物を引き寄せちまう。レーザー銃も無限じゃないんだ」
 申し訳ありません、と皇女のマリーはしゅんとして落ち込み、深々と頭を下げる。
 前言撤回。やはりサービスステーションに辿り着くまでが難関かもしれない。
「ステーションで修繕に必要な部品の調達と、沼地からの牽引。頼めると思うか」
 周囲を警戒しながら進み、僕は電子のマリーにそう訊ねる。皇女のマリーには静かにしろと言ったが、黙っていると落ち着かなかった。樹木に覆われ、じめじめとして、なのに熱気が地面から立ち昇るように漂っていて、不快な汗でシャツが体に張り付いて苛立ちが募る。ジャングルってのは嫌な場所だよ、と思いながら後ろの皇女様を振り返ると、声を押し殺して虫と格闘しながら歩いていた。多分つけている香水の香りとかに引き寄せられているんじゃないかと思ったが、香りなどどうすることもできないだろうから、とりあえず黙っていた。「は、蜂っ」と押し殺した悲鳴が上がる。
「可能性は低いものと思われます。主要都市以外のステーションは、部品の品揃えも悪く、スタードライバーの足元を見た金額をふっかけてくると思われます」
 だよなあ、と額の汗を拭って呟く。どう楽観的に考えても、スターリースカイ号を沼地から引っ張り出すのは骨が折れそうだった。完全に沼に沈んでしまう前に、なんとか引っ張り出してやらないと。
「なあ、マリー皇女様。追手の奴らは諦めたと思うか」
 数キロ歩いて明らかにマリーの足取りが重くなって遅れ始めたので、電子のマリーの探知で危険な虫や生物がいないことを確かめ、倒木の上に腰を下ろしながら訊ねた。
 皇女のマリーは逡巡していたが、ポケットからハンカチを取り出すと木の上に敷き、その上から腰かけた。はあふうと息を荒くしていたマリーは胸を押さえて呼吸を整える。
「多分、諦めないでしょう。それどころかあの車はマークされているかもしれません。撃墜した二台からの報告で」
 やっぱりそうか、と分かってはいたが、いざのほほんとお気楽そうな皇女様にもそう言われてしまうと、頭を抱えざるをえなかった。
 そうなると、スターリースカイ号を再び飛ばすのは得策とは言えないか。わざわざマークされている車でのこのこ出て行けば、いい的だ。皇女を連れているから、即撃墜はない、と思いたいが、さっきのカーチェイスで迷わずミーティア級のレーザー砲をぶっ放してきたことを考えると、淡い希望か。とすれば、何か対策を練らないと皇都に着くまでにお陀仏だ。
 そもそも反体制派の奴らはやり方が杜撰じゃないかと思う。おめおめと皇女を逃がした上に、連れ戻そうとするより消してしまえという短絡的な犯行。そんな穴の空いたバケツみたいな計画を立てるから、釣った魚も逃げ出すんだ。反体制派の奴らの頭の顔を見てみたいぜ、と思う。
「運転手さん、運転手さん!」
 皇女のマリーが顔面を蒼白にして考え込む僕の肩を叩き、必死に後ろを指さしていた。なんだよ、と訝しく思いながらも、僕は「その運転手さんってのはやめてくれないかな。僕はみんなからロクって呼ばれて……」と言いかけて、マリー皇女は焦れて僕の顔をわしっと両手で掴み、首の骨が折られるんじゃないかという勢いで回した。後ろを向いた僕の耳に、電子のマリーの警告音声が聞こえてくる。「危険、危険。異世界の生物。危険ランク八」
「なんっで、こんな奴がっ」
 絶句する僕の目の前にいたのは、全長が十数メートルはあろうかという怪物ムカデだった。無数の巨大な足が蠢き、頭の鋏を打ち鳴らしている。当然、この地球上の生物じゃない。あちらの世界に生息する危険生物。学名は、あああ、忘れてしまったが、「キラースティンガー」の異名で知られた奴だ。僕もお目にかかるのは初めてだ。映像でゾウを捕食しているシーンを見たことがあるが、殺し方も食い方も汚い奴で、こいつの獲物にだけはなりたくないと思った記憶がある。
「伏せろっ」
 僕は叫んでマリー皇女の頭を押して伏せさせ、反対の手でレーザー銃を構えて撃った。だが真っ直ぐ飛んだレーザーは鏡面のようなつやを放つキラースティンガーの外皮に弾かれ、些かの傷を与えることもできなかった。背の外皮は光を弾いてしまう特性をもっていると思われ、腹部の柔らかい部位を狙うしかないと思ったが、懐に潜り込もうとすれば、あの蠢く足に絡めとられてしまうだろう。
 キラースティンガーは光線銃を撃たれたことで腹を立て、興奮したのか、鋏を激しく打ち鳴らし始めた。マリー皇女は恐怖のあまりしゃがみこんだ状態で気を失ったらしい。途端に静かになった。
「マリー、どうすればいい。逃げられそうか」
 銃を構えて威嚇しつつ、電子のマリーに訊ねる。
「無理だと思われます。キラースティンガーの移動速度は時速六十キロに達します。また、お持ちのレーザー銃の出力では、弱点をついたとしても仕留めきれません。マスターが生存するのに推奨される方法として、皇女を囮にして逃げることが挙げられます」
 いや、それは却下だ、と僕は首を振る。ここで皇女様を犠牲にしたなら、僕は何のためにこんなジャングルを彷徨っているのか分からなくなる。おまけに一銭の金にもならない。車の損失だけが残る。本末転倒というやつだ。
「皇女は守りつつ、逃げる。その手段はないか」
 駄目だというのは分かっている。そんな都合のいいこと起こりっこない。これは物語じゃないんだ。父さんが夜読み聞かせてくれた物語では、主人公たちがピンチになると颯爽と見方が現れ、ピンチを救ってくれる。あるいは誰も思いつかない奇策を主人公が思いついて窮地を切り抜けるとか。でも、ここは人気のないジャングルだし、僕は物語の主人公なんて柄じゃない。
「検索中です。しばらくお待ちください」
 待っている時間はないんだ、マリー。僕はキラースティンガーの頭上遥か上にある木の枝に着目した。枝と言ってもそれは幹と言えそうなほど太く、重量がありそうだった。それをレーザー銃で撃ち抜き、キラースティンガーの体の上に落とす。重みで潰れてくれないかと思ったが、キラースティンガーは直撃した衝撃に一瞬たじろいで足を止めたものの、効果はそれだけだった。むしろいきり立って鋏を打ち鳴らし始めたから、逆効果とも言えるかもしれない。
「検索結果ゼロ。方法はありません」
 だよな、と肩を落とす。皇女様を肩に抱えつつ、木の枝を落として足止めする作戦に出る。直接的なダメージはないが、一瞬の足止めでも、塵も積もればなんとやらだ。まあ、目の前の怪物はその塵を余裕で吹き飛ばしてくれそうなんだが。
「ははは。面白い作戦だが、それじゃあだめだよ」
 明後日の方角から声がしたかと思うと、巨大な銛が凄まじい勢いで樹木の間から飛び出してきて、キラースティンガーの頭を貫いて、木々を撃ち抜いて飛んでいき、やがて彼方で落ちたのか、地響きが足元を揺らした。
 キラースティンガーは頭を撃ち抜かれて即死し、その場に崩れ落ちた。
「やあ、危ないところだったね」
 木々の合間から現れたのは、褐色の肌の青年で、オーバーオールの繋ぎにこげ茶色のブーニーハットを被っていた。それ以外にも十人ほどの屈強そうな男たちがぞろぞろと彼の後ろに従っている。青年自身は筋肉質というより細身で、秀でた額が聡明そうな印象を与える。
 君は、と僕は唖然としながら誰何すると、青年は「カワタだ」と名乗りながら手を差し出すので、僕もその手を取る。
「日系かい?」
「ああ、でも、僕はボーダーチルドレンだ。こちらの日本と、異世界のシーラクアイの」
 へえ、と瞠目して見る。ボーダーチルドレンの存在は雑誌やニュースサイトの記事で読んで知っていたけれど、キラースティンガー同様、お目にかかるのは初めてだ。
 ボーダーチルドレンは、こっちの世界の人間とあちらの世界の人間との間に生まれた子どもで、学者が言うには二つの世界の特異点に影響を及ぼす力があるとかないとかで、監視対象となっている人間の総称だ。
 ボーダーチルドレンは社会的な問題にもなっているが、問題として、親の片方が、社会的な身分(例えば住民登録であったり戸籍であったり)を有さない可能性が高く、片親不詳の子どもとして生まれてしまうことがある。考えてみてほしい、こちらの世界から突然あちらの世界に飛ばされたとして、戸籍だなんだを異世界で持っているはずもない。もちろん、意図的に世界を渡っている人物もいる(だから僕らスタードライバーが成立する)が、異世界で戸籍を手に入れるのは結構厄介だ。正規のルートで入手しようとすれば、審査や試験などに数年あるいは十数年を費やすことになる。裏のルートで入手するなら、多額の金が必要になる上に、悪徳業者に偽物を掴まされる危険性もある。どちらにしろ容易じゃない。
 近年は保護団体も発達してきたから、ボーダーチルドレンに生まれても支援の手は数多あるが、十数年前までは、ボーダーチルドレン=非人間として差別の対象であり、まともな職に就くことも難しかった。
「君はスタードライバーだな?」
 カワタは僕の胸のバッチをこんこんと叩いて目配せしてみせた。
「ああ、ちょっとトラブルでね……サービスステーションを目指しているんだ」
「肩のご婦人は君の?」
 いや、とはっきりと首を振る。「お客人だが、さっきの化け物ムカデを見て気を失ってしまってね」
 無理もない、とカワタは肩を竦める。「それなら一緒に行くかい」
 男たちがロープでキラースティンガーを縛っているところに、現地の言葉なのだろう、聞き覚えのない言葉で叫び、男たちが拳を突き出して応えていた。
「ああ、すまない。僕らはサービスステーションの人間だ。行き先が一緒ならともに行こう」
「カワタはサービスステーションの人間なのか!」
 助かった、と僕は安堵して一気に気が抜ける。僕は物語の主人公なんて柄じゃないけど、どうやら運はそれなりに持ち合わせているみたいだ。
「ああ。それで、君。車はどうしたんだい」
「不時着して、沼にどぼん、だ。引き上げるのと、修繕に必要なパーツを助けてもらえるとありがたいんだが」
 カワタは腕を組むと、なにやら難しい顔をして考え込み、そばにいた屈強な男に現地の言葉で何事かを問いかける。
「やっぱりか。どうするかな……」
 だめなのか、と僕は一縷の望みに縋りつくようにカワタをじっと見つめた。実際これでカワタに繋がる糸を切られてしまったら、僕らはジ・エンドだ。こうしたトラブルは何も初めてのことではないけれど、いつでもどんなときでも心臓に悪いものだ。
「いや、だめってわけじゃないんだが。僕はエンジニアで、修理だなんだは金をもらえればやるんだけど、現地従業員の彼らは、金じゃ動かないんだ」
 カワタが親指で屈強な男たちを指さすので彼らを見ると、彼らは僕と目が合うなり筋肉をアピールして、眩しいほどの笑顔を見せてくれた。
「金じゃ、って。なら、どうすれば」
 あれだ、とカワタは屈強な男たちの後ろを指さした。木々を薙ぎ倒しながら現れたそれは、男数人がかりで引いて動かす、巨大な弩だった。「バリスタさ」とカワタは得意げに言う。
「これで密猟者が持ち込んだ異界生物を狩るんだ。奴ら光線銃が効かないように進化している奴も多くてね、原始的だが、これが一番効く」
 確かに、先ほどの銛のような矢がキラースティンガーの頭を容易く貫いたことを考えても、効果はあるのだろう。
「あれだって、まさか……」
 僕は嫌な予感がして顔をひくつかせる。悪い予感ほどよく当たる。当たらないでくれと願ったがカワタは爽やかな笑顔で、「手伝ってくれないか、異界生物狩り」と僕の肩を叩いた。
 絶望しながらも電子のマリーに訊ねた。「僕は手伝うべきかな、マリー」
「手伝うべきです、マスター。わたしのためにも」
 そう言われちゃ逆らえないじゃないか、と肩を落として「了解」と呟く。

「だからと言って、なんでわたしまで一緒に!」
 目を覚ますや否やマリー皇女は暴れて僕の肩の上から下りたがったので下ろしてやり、これまでの事情と、これから異界生物狩りに同行しなければならない事情を説明した。彼女を皇都まで送り届ける仕事を受けた以上、依頼人に対して説明義務があるだろうと思ったからだ。そうでなければ放っておく。
 その事情を聞いた途端、これだ。先ほどのお化けムカデの姿の残像がちらつくのか、小刻みに震えながら、僕の胸を叩いて抗議している。
「仕方ないだろう。それじゃあムカデの死体と一緒にさっきのところで待つか」
「それは嫌」と激しく拒絶する。
「じゃあ黙ってついて来てくれればいいんですよ。なあに、行き先がサービスステーションから異界生物に変わっただけで、歩くことに違いはありませんから」
「大アリです!」
 大アリ、と聞いて異界生物のことだと思ったのか、カワタが腰を浮かしかけるので、僕は手を振って否定する。カワタは怪訝そうに首を傾げてまた座り、屈強な男たちと談笑している。
「なんですか。人を煙に巻こうとして。そんな雑な巻き方で巻けると思ってます?」
「別に煙に巻こうとしてなんか」
 してます、とマリー皇女は人差し指を僕の鼻先に突きつけて、問答無用の口調で言い切る。
「で、次の異界生物って何なんです?」
 お、皇女様も乗り気になったか、という気持ちが表情にうっかり出てしまっていたらしい。マリー皇女は「乗り気になったなとか、思わないでいただけます」と睨みつけてくる。まあ、乗り気であってもそうでなくとも、お客さんに説明する責任はあるし、しっかりと伝えておこう。
「次のターゲットは『キング・フォートレス』の異名をとる、体長十メートルの巨大カナブンですよ」
 マリー皇女は巨大なカナブンを思い浮かべたのか、露骨に嫌な顔をした。一国の皇女がそんなにころころと表情を変えてしまっていていいものか、と思った。まあ、僕はこういう皇女の方が親近感がもてていいのだけれど。
「キング・フォートレスはな」
 目を輝かせたカワタが割って入ってくる。するとマリー皇女は淑とした佇まいになり、うっすらと微笑を浮かべているのだが、それが仮面じみていて僕には気持ちが悪かった。カワタは特に気にならないのか、これから遭遇する巨大カナブン以外のことが頭にないのか、マリー皇女に向かって嬉々としてカナブンの説明を始める。
「その名の通り、堅牢な外皮をもつことで有名だ。ミーティア級のレーザー砲だろうと、僕らのバリスタだろうと容易に弾き返す。傷一つつけることはできないだろう」
「おいおい、バリスタが効かないなら、どうやって狩るんだよ」
 カワタは人差し指を振って舌を鳴らす。無性に腹が立った。
「奴らの弱点は頭だ。頭ならバリスタの矢も刺さる。だが問題なのは、奴ら自身も、頭が弱点だと心得ているってことさ」
 どういうことだ、と首を傾げ、マリー皇女を見ると微笑みを浮かべてはいるが、口角がひくひくと動いていた。多分、聞いていたくもないのだろう。虫の話など。
「キング・フォートレスの体の部位で一番固いのが、足だ。奴ら攻撃を察知すると、その堅牢な足で頭部をガードするのさ。だから無策に攻撃しても、足に弾かれてしまう」
「てことは、何か策があるんだな」
 まあな、とカワタは頷く。
「バリスタを囮にしつつ、一人が爆弾を括りつけた矢をキング・フォートレスの懐に入り込んで、下方から撃ち込むんだ。爆弾は時限式だから、射手は速やかに離れて、後は頭を吹っ飛ばせば、完了ってなわけだ」
 そういいつつも、カワタの表情が芳しくないことに僕は気づいていた。それと同時に、なにやら嫌な予感がすることも。
「何か問題でもあるのか」
 いやな、とカワタはぽりぽりと頭を掻いて渋い顔をすると、言いにくそうに切り出した。
「射手を誰もやりたがらんのさ。なにせ巨大カナブンの懐に入るわけだ。危険がないわけじゃない。足に掴まりでもすれば、握り潰される恐れもある」
 まあ、そうだな、と僕は頷く。そんな危険な、まるで人身御供みたいな任務、誰が好き好んでやるものか、と思う。じゃあ、誰がやるんだ?
「そこでだ、君に射手をやってもらえたらと思うんだが」
 はあ、と僕は素っ頓狂な声を上げる。屈強な男たちが顔を上げ、好奇心に満ちた瞳で眺めている。あいつは射手をやるのかな、という期待と切望に満ちた、ぎらついた瞳。
「なんでそうなる。こっちは素人だぞ」
 巨大カナブンの懐に潜り込むプロがいるなら、まあ会ってみたいとは思うが。そうでなくとも、経験豊富そうな屈強な男たちでさえ嫌がる任務を、なぜひょろひょろとした貧弱な僕がやらなければならない。そっちで勝手にやってくれればいいだろうに。僕は手伝いだ。射手は手伝いというか、主たる仕事だ。約束の範囲に入ってない。
「頼む。引き受けてくれれば、どんな整備でもタダでみるから」
 タダ、という言葉に池に餌を撒かれた鯉のように食いつきそうになるが、ちょっと待て、とマリー皇女のあからさまに軽蔑した顔を見て思いとどまる。
 だが待てよ、と腕を組んで考える。このまま整備したとしても、多分宇宙空間に出た途端に捕捉されて、集中砲火を浴びて爆散するのがオチだ。次は相手方も手抜かりなく人員を配備してくるだろう。それに対する対策がなければ、犬死することになる。
 キング・フォートレス。レーザーもバリスタも弾く、最強の盾か。
 なるほど、と頷き、僕はカワタに耳打ちをする。
「……できるが、正気か、君は」とカワタも絶句している。まあ、誰も思いつかんだろうな。世界異世界広しといえども、こんな馬鹿げたことを考えるスタードライバーは僕ぐらいのものだ。だが、馬鹿と鋏は使いよう、だ。使いようによっては、馬鹿が賢者に化け、鋏が最強の矛に化けることだってありうる。
「ようし。いいぜ、射手、引き受けた」
 ほんとか、とカワタは歓喜の声を上げ、本気ですか、とマリー皇女は悲鳴じみた声を上げて絶句した。
「やらなきゃ前に進めないんだ。やってやろうじゃないか」
 マリー皇女は心底軽蔑しきった顔をして、「守銭奴」とぽつりとこぼした。その呟きを電子のマリーが拾って、「マスターは守銭奴なのですか」と訊いてくるので、「別に金のためだけに引き受けたわけじゃない」と肩を竦めて否定する。
「だったらなぜ。あなたの身に危険が及べば、わたしは帰れなくなります。そのことはご理解されていますか」
 分かってるよ、と手をひらひらと振り、面倒くさそうに言う。なぜなら、危険も面倒も端を発しているのは、「マリー皇女を無事送り届ける」という一言に尽きるからだ。そうでなければ、いくらタダだろうとこんな危険で気色悪い仕事を誰が引き受けたりするものか。
「ちゃんと送り届ける。そのために必要な仕事なんだ。心配してくれてるとこ悪いけどな」
「なっ、誰があなたの心配なんか」と言って頬を赤らめ、マリー皇女は顔を背けてしまう。「マリー皇女、体温上昇中」と電子のマリーが言うと、「余計なことおっしゃらないでくれます」と声を荒げる。
「取り込み中悪いが、レーダーにキング・フォートレスが引っかかった。準備をするからこっちへ」
 カワタに従ってついて行き、僕は念のためというか、気休め程度にプロテクターをつける。だが、こんなものキング・フォートレスに掴まれれば即座に粉砕されるだろう。僕の寿命をコンマ数秒伸ばしてくれるだけの効果しかない。そしてボウガンと爆弾付きの矢を受け取ると、矢をセットしてすぐに射られるように備える。マリー皇女はカワタと一緒に指揮車両に乗り込み、屈強な男たちはバリスタを設置して矢を番え、キング・フォートレスを待ち構える。
 やがてみしみしとジャングル全体が軋み、地震のように大地が揺れたように感じ、木々を薙ぎ倒しながら今や密林の王者として君臨するキング・フォートレスがゆっくりと姿を現したのだった。
 でかい。というのが正直な感想だが、厄介なのが、その虹色に輝く外皮が陽光を反射して、目も眩むばかりに目に差し込むのだ。手をかざして陽光を妨げようとするが焼け石に水で、立ち位置を変えてみても反射した光が目を襲う。バリスタ組もそれで戸惑っているようで、キング・フォートレスが接近しつつあるのに、矢の照準を合わせきれていない。
 僕はレーザー銃を二発放って、キング・フォートレスの直上にある枝を撃ち抜いて、キング・フォートレスに枝葉を落とした。すると葉っぱが外皮を覆い、反射した陽光が翳ったが、みるみるうちに陽光は葉を焼き、キング・フォートレスの背中は燃え上がった。だが、かの王者のカナブンは火などものともせずに前進を続ける。
 しかし、一瞬のこととはいえ、熟練の狩人である彼らには十分だったらしく、再び陽光が襲ってくるまでにバリスタの矢の照準を合わせていた。
 ひゅう、と口笛を吹いて彼らの手腕を称えると、僕はボウガンを片手に走り出す。足元の草葉をかき分け、姿勢を低く保ち、陽光を収束させた光線を浴びないように気をつけながら駆け、ボウガンを構える。
 カワタが「射て」の合図を下す。バリスタはきりきりと耳障りな音をたてながら引き絞られ、波濤のような轟音をたてながら発射され、風を切り裂き、枝葉を砕きながら飛んだ。だがそれを察知したキング・フォートレスは、鈍重な歩みからは想像できない速度で前足を上げて頭部を覆い、バリスタの矢は前足に阻まれて硬質な金属音のような音をたてて弾かれた。
 前足で頭を覆ってしまう。守りは完璧のようだが、弱点はある。頭を覆ってしまうことで、目を塞いでしまい、周りの状況を察知することができないことだ。
 僕はすかさず仰向けでキング・フォートレスの頭と地面の隙間に滑り込む。腕で頭の前方は隠せているが、下方は隙だらけだ。ボウガンを構え、引き金を引く。爆弾を載せた矢がひゅうと飛び、巨大カナブンの下あごに突き刺さる。矢が小さすぎて痛みなどないのか、カナブンはぴくりとも動かなかった。
 すぐに離れなければ、と焦った僕は上体を持ち上げてしまい、それがキング・フォートレスの下あごに触ってしまった。すると巨大カナブンは頭の防御をとき、彼が感じた違和感の主である僕に足を伸ばし、ゆったりとした動きながら意外と素早く、足に絡めとられてしまった。
 すぐに爆弾が爆発すると思ったから、後は巨大カナブンが僕を握りつぶさないように祈るだけだ、と思ったが、待てど暮らせど爆弾は爆発しないし、巨大カナブンは僕を握り潰さなかった。ラッキーなのかアンラッキーなのか分からないが、カナブンは大した力も入れてなさそうなのにぎりぎりと絞められて痛い。
「カワタ、爆弾が爆発しないぞ」
 インカムに向けて喋ると、カワタが顔に似合わない口汚い罵りの言葉を吐いた。この場合僕に向けてではなく、このくそったれな状況に対してだろう。
「早くなんとかしてくれ。握り潰されそうだ」
「バリスタをもう一射射る。それまで耐えてくれ」
 いや、バリスタを再装填するまで待っていたら、僕は内臓を吐き出して血の雨を降らせることになる。だが、カワタとしてはそうするしかないだろう。
 キング・フォートレスは異物がなんなのか確かめるように、僕を顔の前まで近づける。巨大な鈍色の目は何を映しているのか定かではなく、カナブンの口からは腐葉土の臭いがした。
 巨大カナブンは僕を認識したのか、僅かに力を込める。プロテクターがあっけなく悲鳴を上げてひび割れる。だから言ったんだ、プロテクターなんて無駄だと。鋼鉄の甲冑を着ていたとしても、巨大カナブンにとっては粘土をこねるようなものだ。
 一か八かだ、と僕は胸元から社員用のボールペンを取り出して、ボウガンに装填する。僕の会社のボールペンは、ヘヴィータイラント(異世界最大のゾウ)に踏まれても壊れない、がモットーのクルーエル社のものを使っている。確かにこのボールペンは硬い。ただのプラスチック製に見えてそうではないらしい。以前間違ってスターリースカイ号で轢いたときも傷一つつかなかった。
 構えて、カナブンの巨大な目に向かってボールペンを放つ。ペンは目にも止まらぬ速さで飛ぶと、巨大カナブンの目を突き破り、頭の奥深くまで食い込んだ。
 カナブンは痛みにのけ反り、僕を手放すと、羽を広げて羽ばたかせた。ここで逃がしてなるものか、と僕は転げ落ち、胸の痛みに咳き込みながらも腰のレーザー銃を抜き、不発の爆弾に向けてレーザーを放つ。
 レーザーは過たず爆弾を貫き、一瞬の間の後、カナブンの頭の中で炸裂し、内側から頭を吹き飛ばした。ぐちゃぐちゃとカナブンの頭の破片と体液が降ってくるので、僕は慌てて走って逃れる。胸と背中が痛い。圧迫されていたことで、骨が軋んでいる気がするが、折れたりはしていないだろう。
 おおーっという歓声が上がる。カワタもインカムの向こうで「見たか、あのくそったれ野郎が!」と歓声を上げて、掌を打ち鳴らした音がする。マリー皇女とハイタッチでもしたのだろう。
 僕は太い樹に寄り掛かり、ずり落ちるように座ると、頭を失ったキング・フォートレスの死骸を見やった。最強の盾、か。そう僕は独り言ちる。最強の盾でもなければ、反体制派のならず者たちを相手取るなんてことはできない。運命なんて言葉は嫌いだが、ここで出会ったのも何かの縁だ。せいぜい有効活用させてもらうぜ、と僕は陽光を跳ね返し続けるカナブンの背を見つめながら、そう呟いた。

〈続く〉


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