陽だまりに月
ある日突然太陽が黒化した。熱は変わらず放射し続けるものの、光を放たなくなった。つまり、世界は闇に閉ざされた。電気の存在が辛うじて人間の文明の命を繋ぎ留めていたものの、資源の消費量は倍増したのだから、寿命としては確実に縮んだだろう。
そんな中、日本のある鉱山跡から発掘された石が、黒化した太陽の下では、太陽に代わるように眩い光を放つことが判明した。電気の代わりを務めることになったその石は太陽石と名付けられ、日本は勿論、世界へと輸出されるようになった。太陽石はなぜか日本からしか掘り出せず、日本は自ら「日いづる国」と称し、経済的に優位な位置に立ち、国際社会での発言権でも微妙な立ち位置に食い込んでしまったのだが、それは物語の本筋とは関係のないことなので、ここでは述べないでおく。
太陽石にも欠点があった。その石は小さな生まれたての太陽といえるものなので、放っておくと際限なく温度を上昇させて、臨界点を超えると核融合を起こし、日本など軽く吹き飛ばしてしまうような爆発を起こす。事実、オーストラリアのメルボルンが太陽石の扱いを誤り、国土の二分の一を消し飛ばしてしまった事件は記憶に新しい。
そのため、太陽石を配置した街には国家資格である「太陽石管理者」を少なくとも一人以上置くことが国際的に義務付けられた。
そして、熱を一定値以上に放つようになってしまった太陽石は、特殊コーティングが施されたトラックに積み込まれ、日本では二か所しかない、「陽だまり」と呼ばれる海の穴に運んで廃棄される。太陽石は水によって冷却されると、急速に温度を下げ、その後上昇させない性質があることが分かったので、各国は海に「陽だまり」を作り上げ、そこに石を捨てるようになった。
そしてこの物語は、「陽だまり」のある港町から始まる。
煤で真っ黒になった軍手の親方が、脚立の上で「おい」と手を伸ばしたので、カズヤは火ばさみの先に鋼鉄の蟹の手のような鋏をつけた道具を差し出す。
親方はその蟹の鋏のような道具で太陽石を挟むとぐぐっと回転するように捻る。すると、がこんと音が鳴って太陽石が台座から外れるので、慎重に街灯から引き抜く。そこにカズヤが冷却用の鋼のバケツを持ち上げ、太陽石を受け取る。
水の中に落ちた太陽石はじゅっと溜まった水の何割かを蒸発させて、バケツの底に転がる。太陽石は熱を失っても、光は永遠に失わない。カズヤは水の中で屈折した光を放つこの橙色の石を眺めることが好きだった。
「おいカズヤ、それ『陽だまり』に捨てとけや」
親方は脚立の上で、肩を交互に回して凝りをほぐしながら、カズヤに向かって鋏を放り投げて言う。
分かりました、と答えて、殊更大きな声で「お疲れさまでした」とバケツを抱えながら頭を下げると、「おう、また明日な」と親方はぶっきらぼうな声で答える。
バケツに蓋を被せ、間違いなくロックしたのを確かめて、歩き出す。
カズヤは「太陽石管理者」の資格をとってまだ間もない。管理者は筆記と街灯の太陽石交換の実技試験を突破した後、各街に派遣され、そこに先任で働いている親方の下について研修期間を過ごす。期間に定めはない。親方が一人前だと認めるまで、研修期間は続く。研修期間中は給料も八割ほどしかでず、親方の許可なしに街を離れることもできない。運悪くあくどい親方の下についてしまうと、死ぬまで研修と称して体のいい雑務ばかりをやらされる羽目になる。そう考えると、カズヤは運がいいと言えた。「陽だまり」がある街の親方は腕利きであることが多く、実際下についてみて、愛想こそないものの、仕事は確かだった。この親方についていけば間違いない、カズヤはそう思っていた。
なにより「陽だまり」をこの目で見られる。
カズヤは太陽の暗黒化が始まってから、二世代目にあたる。太陽が空で燦然と輝いていた頃を知らない世代だ。だから昔の映画やドラマをみると不思議な気分に襲われた。空は黒ではなく、青い。海もまた。白黒時代の古い映画を見た方がまだしっくりときた。白と黒の世界は、自分たちが生まれながらに目にしてきた世界と近い、と思う。
だが、「陽だまり」は別だった。そこでは無数の太陽石が海の穴の中で光を放ち、部分的に海の青さをこの世に取り戻していた。そこには確かに海があった。黒くうねる象の皮膚のようにざらついた怪物じみた海ではなく、映画の中に見る紺碧の海が、そこにはあるのだった。そしてそれを見ることができるのも、「太陽石管理者」の特権だった。
太陽石が「陽だまり」にあることで周囲にどのような影響を及ぼすか分からないし、廃棄した太陽石を再び陸に上げる愚か者が現れないように、立ち入りは厳しく制限されていた。実際、「陽だまり」を観光地として打ち出そうと考えたイタリアでは、ダイバー数人が太陽石を海から陸に上げようとして、石が空気に触れた瞬間爆発を起こし、その場に立ち会っていた市長含め一万人あまりが命を落とした。
カズヤはバケツを下げながら街の中心部の坂を下り、大通りを東に向かって歩く。歩く間、街灯の太陽石のチェックを怠らない。もしほんの些細な変化でもあれば、親方に報告し、調査して必要があれば石を交換する。街を歩くことも、「太陽石管理者」の大事な職務だった。
けど、とカズヤは疑問に思う。きっと他の管理者も疑問に思っているのではないかと思う。太陽石は使い捨てだ。日本の鉱山にどれだけの埋蔵量があるか分からないが、世界中に輸出していれば、いずれ枯渇するのではないか。かといって日本だけが独占するのを国際社会は看過しないだろう。戦争にすらなりかねない。あと何年、この生活を続けられるのか。太陽石は、既存のエネルギーの延命に過ぎないのではないか。
我々は交換するだけでいいのだろうか、それはカズヤが管理者になったときから抱いていた疑問、というよりも不安に近い黒く落ち着かない靄のようなものだった。だが、リサイクル、という考え方はイタリアの事例から禁忌になっている。「陽だまり」での実験ですら政府は許可を出さないだろう。太陽石は使い捨て、この立場を堅持するはずだ。近頃の政治の動きを見ていると、太陽石という有利なカードのある内に、国際社会で何とか一歩頭を出したいという欲が透けて見える。だが、悲しいことにそのカードを有効に切れるほどの政治家が、今の時代にいないのだった。愚策に愚策を重ね、アドバンテージを失い続けているようにしか、カズヤには見えなかった。
「陽だまり」に通じる門に着くと、カズヤは首から提げたIDカードを通して扉を開け、中に入る。門のすぐ中は守衛室になっており、カズヤは馴染みの守衛に簡単な身体検査を受ける。
「多いな。今月二個目か」
でっぷりとした腹のカズヤの一回り年上の守衛は、人の好さそうな顔でカズヤのポケットの中身などを確認し、頷くと言った。
「そうなんだ。おれは勉強になるけど、いいことではないよな」
「まあなあ。市の予算でも太陽石の価格が上がってるせいで、結構ひっ迫してるって話だ」
「途上国には無償で譲るべきだ、なんて活動家もでてきたものな」
守衛はふん、と鼻を鳴らして頑丈そうな皮張りの椅子に腰かけると、「日本のものをどうするか、日本が決めないでどうするってんだ!」と顔を赤くして息巻いた。
「理屈としては分からなくないよ。日本が逆の立場に置かれていたら、助けてほしいと思うもの。途上国で電気の整備もままならない、となれば、本当に火ぐらいしか当てにならないだろう」
「だがな、日本だっていつまで太陽石がもつか……」
うん、それはそうだよ、とカズヤは同意して頷く。「だから僕らは考えなくちゃならない。この先の時代をどう生きていくのか」
それじゃあまた、と言ってカズヤは守衛室の奥の扉にもカードを通し、部屋を抜けていく。その先は長いトンネルになっており、方向感覚を失わせるために道が蛇のようにのたうっているせいで、道のりとしては長く感じる。そのためカズヤも、「陽だまり」が街の海岸のどの位置にあるのかということは正確には知らなかった。
蛇のようなトンネルを抜けると、再び門が現れる。ここでは指紋と声帯による認証が行われ、カードキーだけを盗んだり横流ししたりしても突破できない二段構えになっていた。そしてその門を抜けると、外界に出る。
ちょっとした公園ほどの土地がフェンスで覆われた広場になっており、ベンチや滑り台、ブランコがあるが、子どもが立ち入ることなど皆無なので、何の意味があるのかカズヤには分からなかった。きっとここの設計家の遊び心なのだろう。
そして最奥、フェンスのない、人一人分の切れ目になった道の奥に「陽だまり」はあった。
「陽だまり」は円形のホールで、そこに太陽石が流し込まれるため、円柱状の光を海面に向かって放っている。円形の光は波に揺られながらその像を揺らめかせ、だが一定の形を保ってそこにあった。海面の微細な表情に呼応するかのように太陽石の光は跳ね返るので、ちかちかと星が瞬くように円形の光は輝きを帯びた。きっとこれが星や月と呼ばれていたものの姿なのだろう、とカズヤは夢想して、しばらくその光を眺めていた。
一しきり眺めると、カズヤはいつものようにバケツのロックを外し、太陽石を「陽だまり」に流し落そうとする。
「待って。その石を海へ入れないで」
声が、するはずのない声が響いたのでぎょっとして顔を上げると、太陽石が作り出した海面の月光の上に、青い髪の少女が浮かんでいた。
少女は年の頃十八九ほどで、カズヤとあまり変わらない年頃に見えた。美しい青く長い髪と、青い瞳は、太陽石に照らされた海そのものだった。その吸い込まれそうな目に思わず見入ってしまい、カズヤは正気を取り戻して頬を叩く。
(ここには限られた人間しか立ち入れない。ましてや海に入るなんて)
「き、君は誰なんだ」
カズヤは少女が不倶戴天の仇のようにバケツを睨みつけているので、一旦バケツを引いて置き、しゃがんで少女に訊ねる。
「わたしはレティシア」、少女はそう名乗ると、着衣なのもものともせずに滑らかに泳ぎ来ると岸に上がる。
「わたしは海の民。あなたたちがマーメイドと呼ぶ一族のものよ」
「人、魚?」
彼女は二本の足でしっかりと立っていた。美しく白い滑らかな足が白いドレスワンピースの裾から覗いている。不思議なことに、彼女の髪も着衣も水に濡れていなかった。彼女が足を運ぶとさらさらと耳に心地よい衣擦れの音がした。
「イメージが違うと言いたげね。でも、それは陸人(おかびと)であるあなたたちが勝手に作ったものだわ」
「陸人、僕らのことかい?」
ええ、とレティシアは頷く。そして柔和な表情の影に隠していた鋭い目つきでカズヤを睨みつけると、激しい身振り手振りで訴え始める。
「陸人と海の民は本来不可侵のはずだった。それが、王が変わった、それだけのことで陸人は盟約を反故にして海のものを狩り始めた。でも、それは許せないけど、仕方ないことなんだってわたしたちは言い聞かせてきた。だけど、今度という今度は我慢ならない。陸人がこれ以上わたしたちの生活を脅かすのなら、わたしたちにも考えがある」
ちょ、ちょっと待ってくれ、とカズヤは慌ててレティシアを制する。彼女も一息に捲し立てたせいか、肩で息をしていた。
「僕には君が怒っている理由が分からない。僕らが何をしたって言うんだい」
とぼけるの、と怒りを露わにして叫ぶが、カズヤが本当に思い当たっていないのだと知ると呆れたように天を仰いで首を振った。
「陸人の浅はかさがよく分かったわ。だからこんな愚かなこともできてしまうのよ」
レティシアの視線の先を追って、そこにあったものをカズヤは口にする。「陽だまり?」
「そう。あなたたちが『陽だまり』と呼ぶそれは、わたしたちの生活を破壊する脅威なの」
「太陽石は、光る以外の力を失っているはずだけど……」
レティシアは大きくため息を吐く。「自分たちが扱っているもののことすら知らないなんて!」
「あのね、あなたたちが太陽石と呼ぶそれは、常時光を放ち続けて海の中を照らし、海のものの眠りを妨げるだけじゃなく、あなたたちが石を海へ捨てれば捨てるほど、海の中の温度が上昇しているの。寒い海でしか生きられないいくつかの種は絶滅したわ。あなたたちの元に届く海の幸、という恵みも、間もなく大きく減り始めるでしょう」
そんな、とカズヤは声を上げる。そうなれば漁師の中にも職を失うものが出てくるだろうし、貿易に貢献していた豊かな海産物がそっくり消えるとすると、経済的にも大ダメージを受ける。それどころか、世界中で漁獲量が減れば、密漁などが跋扈し、海賊が復権しかねない。世界の海上治安は地に落ちるだろう。
「僕らはどうすればいい」
カズヤはレティシアの言葉に嘘はないと思っていた。マーメイドであることも、海の民と陸人の確執も、太陽石が与える害も、きっと真実を語っていると信じた。この善良さがカズヤのよさでもあり、危ういところでもあるのだが、親方にも何度も気を付けろよと口を酸っぱくして言われても信じて騙されてしまう。それがカズヤだった。先だって大工の彦三に金を騙し取られたばかりなのだが、あまり金に頓着しない性分も相まって、そのことは頭からすっかり抜け落ちていた。
「石を海に捨てないで。わたしたちが願うのはたったそれだけのことよ」
「でも、石を海に捨てないと、暴走して大爆発を起こしてしまうんだ」
その石はどうなの、とレティシアはバケツを指さす。
「これは一時的だ。少量の水だと蒸発して、やがて爆発に至る」
「蒸発するということは微量でも熱を発しているということでしょう。どうして海水温の上昇に頭が回らないの」
それは、とカズヤも言い淀んでしまう。きっと一つ一つの上昇は誤差のようなものなのだ。だが、それが幾千幾万と集まれば……。どこかの国の科学者はこの事実を掴んでいるかもしれないが、表に出ないのは太陽石の恩恵の方が圧倒的に大きいからだ。地球温暖化による上昇、と一緒くたに見られていたかもしれない。太陽石のデメリットについては誰も見たくないのだ。もはや生活の一部で切り離せないからこそ。
「大量の水ならいいのよね?」
レティシアは思案げに人差し指を顎に当てて考え込んでいると、ふと何か思いついたのか顔を上げる。
「まあ、そうだね」とカズヤは頷く。
「人造の海を作るのはどうかしら。大量の水を溜めて、そこに投棄するの。そうすれば海のものたちにも害は及ばないし、石の暴走の恐れもない」
カズヤも今まさに考えていたことだった。ダムならば、水量の調節機能もある。山間地まで石を運搬するという危険はあるものの、案としては悪くないものに思えた。むしろなぜ政府はダムに投棄する案をとってこなかったのか、カズヤは不思議でならなかった。
「……分かった。僕から訴えてみるよ」
「ほんとに!?」
レティシアは飛び上がらんばかりに喜んでカズヤの手を取り、祈るように自分の額に押し当てる。レティシアの手は、額はひんやりと冷たかった。それだけにカズヤは自分の上気した手の熱が陸人一般のものだと思われると困るな、と苦笑した。
「あなたは信頼できる人。でも、すべての陸人がそうじゃない。だから、あなたに苦しみを背負わせてしまうのは心苦しいけど」
レティシアは伏し目がちにカズヤを見つめる。その青い瞳はわずかに潤み、淡い悲しみに染まっているように見えた。
「さようなら」と言うとレティシアは海の中に飛び込み、「陽だまり」が作る月光を浴びて、その腕をきらきらと光り輝かせながら振って、もう一度「さようなら」と言うと海の中に姿を消した。
ああ、自分の名前を名乗りそびれたな、と思って、でもきっとまた会える、と前向きに考えると、不思議と頬が熱くなって、自分は彼女、レティシアのためにやらなければならないんだ、という使命感が湧いてくる。
とりあえずカズヤはバケツに水を足して、中身が入っていることを悟られないように守衛室を通って門を出ると、一目散に家に帰った。
家に帰り着くなり電話をコールして、太陽石管理者協会にまずは繋ぐと、受付の女性から時間外である旨を理由に断られようとするが、これは協会を揺るがす大問題なんです、と訴えると女性は何度も「知りませんよ」と念を押した上で渋々会長に繋いだ。眠たそうな声の会長は一通りカズヤの話を聞くと、「そんなことできるわけがないだろう」と一蹴して一方的に電話を切ってしまった。
協会が駄目なら、その上だ、と環境省にかけるも、ここも散々たらいまわしにされた挙句、「一管理者が口を挟むことではない」とけんもほろろに突き返されてしまい、カズヤは電話を手にしたまま途方に暮れた。
こんな結果をレティシアに報告することなんかできない。彼女はカズヤに対してひどく失望した顔をするだろう。それに、レティシアが口にした手段のことも気にかかる。きっと放っておくべき問題ではない。だが、自分には何もできない。力がない。自分は、ただの灯りの交換者にすぎないのだ。
カズヤは半ばやけになってバーに入り、酒など飲めないのにテキーラを頼み、ちびちびと口にしながらどうしたものか、どうしようもない、レティシアが悲しむ、という思考のサイクルを無意味にぐるぐると回していた。
一口、二口と啜るうちに視界がぼやけて揺らめいてきたのだが、ふとあるテーブルの話し声が妙に大きく響いた。
「革命派の奴ら、電車をジャックしたときに、太陽石を持ち込んでいたらしいぜ」
「ホントかよ。じゃあ、管理者もグル?」
「ああ、構成員の一人に管理者がいたらしい」
「太陽石で何をする気だったんだ?」
「都庁を吹っ飛ばすつもりだったらしいが、太陽石を使ったら、東京二十三区が消滅しただろうさ」
「おお、恐ろしい。けどよかった。偶然とはいえ、同じ電車に敏腕刑事の黒須警部が乗っていて」
「そうだな。犯人たちにとっちゃあ、それ以上の不幸もなかったろうよ。まさに映画さながらの大捕り物だったらしいな」
そこまで聞いてカズヤの意識は回転しながら上方に昇っていく感覚に襲われた。聞こえてきた会話も、幻聴かもしれないし、現実のものかもしれない。それくらい曖昧だった。でもカズヤにとってはどちらでもよかった。彼にもようやく分かった。
自分はしがない交換人かもしれない。だが、それゆえに取り得る手段は、常識を問わなければ多々あるのだと。
それから二日後、カズヤは深夜に自宅アパートを抜け出し、親方の家の倉庫に忍び込むと、街灯の開錠用の鍵と蟹の手のような器具を持ち出し、夜の内に太陽石交換に見せかけて街中の街灯の太陽石を外し、それを特殊塗装を施したベルトに括りつけると体に幾つも巻いて、額にも太陽石を巻きつけた。太陽石の熱で頭が汗ばんでくるが、思考はいつになく明瞭で涼やかだった。
カズヤはあまりにも眩い光に包まれているため、外から見ると光の塊が動いているようにしか見えなかった。カズヤが通る道、誰もが彼を避けた。
白昼堂々市庁舎に乗り込むと、制止しようとする警備員に、「この数の太陽石が暴走したら……、責任をとれますか」と凄んで退けると、真っすぐに市長室に向かった。
市長はちょうど管理者協会の会長と会談しているところだったので、ちょうどいいと市長室に乗り込んだ。その異装に二人は仰天し、慌てふためいた。カズヤは落ち着くよう求め、自分の主張が容れられたら、何もせず引き上げるつもりだと訴えた。
「その声は……」と会長はカズヤの正体に気づき、「君、資格剝奪程度じゃ済まんぞ」と苦し紛れに吼えたようにしか、今のカズヤには聞こえなかった。
「要求とは何かね」、豊かな白髪に白い口髭を蓄えた市長は、震える手を組んで、無法には屈しまいという気丈さを見せながら言ったので、カズヤは市長に対して好感をもった。自分の街の市長がこうした堂々たる人物であることは、市民にとっては嬉しいことだ。
「『陽だまり』の即時廃棄および代替する人造破棄施設の整備です」
ばかな、と会長が悲鳴にも近い叫びを上げた。「『陽だまり』を破棄すれば、行き場を失った太陽石が暴走する!」
カズヤは「だからこその人造の破棄施設です」と取り乱した会長に苛立ちを覚えながらも、努めて冷静に言って聞かせた。
「そんなことが可能なのかね」と市長は会長を見やる。「不可能です」と言下に会長は言い捨てる。
「いいや、可能なはずです。要は太陽石破棄専用のダムを造ればいいのです。出来上がるまでは既存のどこかのダムに仮の廃棄場所を設けてもいいでしょう」
会長は立ち上がり、「簡単に言うがな、君……」と反論を口にしかけるので、カズヤはベルトの太陽石の一つを取り、それを会長に向ける。すると熱線が放射され、会長の網膜を焼き、「うわあーっ」という叫び声を上げてのたうち回った。
「市長、僕は迫る危機を回避するために提言しているのです。どうか受け入れてください」
市長は会長の様子に心底震え上がりながらも、首を傾げ、迫る危機とは、と訊ねる。
「このまま太陽石を海に廃棄し続けると、海水温が上昇し、海の生物に深刻なダメージが出ます」
「そのような研究結果は出ていないと思うが」
「政府は事実を隠蔽しているのです!」とカズヤは声高に叫んだ。
「僕は海に住むものたちの嘆きを、叫びを代弁しているに過ぎない」
市長はカズヤのその言葉を聞いてはっとして、「なるほど、ようやく合点がいった」と頷くと、手を挙げて振り下ろした。
カズヤは市長のその仕草の意図が理解できず呆けていたが、やがて轟音が鳴ってガラスが割れると、自分の脇腹に熱く鋭い痛みを感じてよろめき、膝を突く。
「太陽石に覆われた僕を銃撃するなんて」
一歩間違えれば、この太陽石の量なら市どころか、本州が消えてなくなるくらいの爆発は起こる。そんな無謀なことを誰が、と銃の射線上にいる人物を見上げ、睨みつける。
男は特殊なレンズのゴーグルに、長いスナイパーライフルを構えていた。カズヤも聞いたことがあった。警視庁には凄腕のスナイパーがいて、相手が太陽石を持ち出した時にも対処できるように特殊なゴーグルを装備していると。
「助かりましたよ、黒須警部。警部が偶然来ているときでなかったらどうなったことか」
黒須警部は第二射に入ろうとしている。もはやここまでか、とカズヤは脇腹を押さえながら部屋を出て、エレベーターに飛び込む。そして地下まで下りると、車に乗ろうとしていた職員を脅しつけて車を奪い、発進させる。
痛みは波のように寄せては返す。そのたびに意識が遠くなりそうになるのだが、カズヤは歯を食いしばって堪え、「陽だまり」の門の前に車をつけ、中に入る。守衛は驚き慄き、警棒を手にしているが、向かってくる気配はない。「今までどうも」とカズヤは頭を下げると、トンネルへと向かった。
足を引きずり、体感でトンネルの半分を過ぎたところで足が立たなくなり、這って進み、もはや視界も擦れてはっきりしないながらも、広場にまで到達することができた。カズヤは最期死ぬ前に一目だけでも、レティシアに会いたかった。そしてできることなら、あの青い海のような目に包まれて死にたかった。
カズヤは広場の中心に置かれたベンチにまでようよう辿り着くと、這いあがって、その上に横になった。潮騒の音が子守歌のように響いている。潮の匂い、湿った風、感覚を失いつつある体にも心地よかった。
ああ、レティシアに会いたかったなあ、と震える唇で呟くと、ぼやけた視界に人の顔のようなものが覗く。おまけに青い髪だ。聞き覚えのある声だ。頭の下に、柔らかな肉の感触を感じる。ああ、彼女の膝の上にいるんだ、とカズヤは天にも昇る思いだった。
「わたしはここにいます」
(ぼ、ぼく、ぼぼぼくは)
「ええ」とレティシアは泣き笑いの顔になる。
「カズヤ」と擦れた声で、カズヤはようやくそれだけを口にした。
「カズヤ。分かります。あなたの名前ね」
(そう。僕はそれだけが、言いたかったんだ)
カズヤは力尽き、全身の力が抜けて腕が垂れる。レティシアは手探りで、熱に手を火傷しながらも太陽石のベルトを外してやり、すべてが外れると、安らかな、満足そうなカズヤの死に顔が現れて、レティシアはわっと泣き出して動かないカズヤの胸にしがみついた。
「お前、マーメイドだな」
スナイパーライフルを携えた黒須警部が声に緊張を孕んで問う。
「あなたが殺したのね」
レティシアは問いには答えず、逆に問い返す。黒須警部を見るその目には抑えようのない憎悪が滾っていた。
「その男を引き渡してもらおうか」
警部はライフルを構え、レティシアの頭に照準を合わせる。だが、引き金に指をかけた瞬間、猛烈な水の流れに足をとられ、転倒した。津波だった。転がってしまえばもう、警部にはなす術もなく、ただ水の流れに弄ばれて、壁に体を打ち付けた。その混乱の中、警部はレティシアの「陸人には報いを受けさせてやる」という冷たい抜き身の刃のような声を聞いた気がした。
水が引いて警部が立ち上がったときには、レティシアもカズヤの姿も忽然と消えていた。
「マーメイドは情が深い、か」
ぐっしょりと濡れたコートを引きずるようにして警部はその場を立ち去りかけ、壁に自分の警察手帳がナイフで突き立てられているのを見つけると、深々とため息を吐いて、こりゃあ始末書もんだな、と呟いた。
〈了〉