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神亡き時代の生き方のお話

「とにかくよ、身体が若くてぴちぴちしてるときに死にたいなんざ贅沢なんだよ」

居酒屋で隣のオッサンが言う。

とある地方のターミナル駅にある居酒屋。緊急事態宣言にもかかわらず22:00になっても開いている、ありがたいお店だった。

太朗は普段、あまり酒を飲むタイプではない。だが、この日は違った。デカすぎる氷で薄められたあの妙薬、飲んだ瞬間に脳天にじんわりくる剣呑な快感が欲しくなったのである。家で一人で飲むなんて、陰気臭いことはしたくない。だがどうしても飲みたい。目に入ったのは、はやくも眠りに入ろうとする街の片隅でぼーっと光る赤提灯だった。

安月給をはたいて飲む酒は旨い。ちびり、ちびりと抱きしめるように飲むジン・トニックは、縁日に祖母が買ってくれたビー玉入りのラムネを思い起こさせる。あれから何年経っただろうか。

「いくらでも無理できんだろ?身体に鞭打って一生懸命やれよ。若いうちからやれ健康だの筋トレだの馬鹿じゃないかと思うね。モヤシみてえだよ、最近の若者は。ちょっと殴られただけですぐ涙ぐみやがって被害者面しやがって。」

隣のオッサンの箴言しんげんは止まらない。彼に同伴者はいなかった。ずっと一人でしゃべり続けているのである。

「なんでもかんでも頭で考えてりゃいいってもんじゃないんだよ。あんたらそんなに賢くないんだよ。考えずにやれ、やったもんがちだよ。賢いふりした馬鹿なんざ一番馬鹿なんだよ。」



居酒屋を出た。ひんやりとした2月の空気に包まれぶるっと震えると、太朗は終電に間に合うよう早足で駅の方へ向かって歩き出した。

彼は考えるのだった。生きていれば、なぜ生きているのか分からなくなることはある。それは俺たちが暇だからだ。昔の人間は、掃除だの洗濯だのメシの支度だの、次から次へとやらなくちゃいけないことが舞い込んできて、考えている暇なんてなかったはずだ。でも、それこそが健康そのものではないのか。俺たちは情報を得過ぎて頭がおかしくなっているのだ。失敗をした奴の姿を見てああすればよかったこうすればよかったなんて後ろ指差して、自分は賢いと自惚れて喜んでいるのだ。

隣のあのオッサンとて苦しそうだった。彼が呪っていたのは今の俺たちではなくて、おそらく昔の、若かったころの自分に違いない。死にたかった、何かにすがりたかった、自分は大丈夫だという保証が欲しかった。だが、次に迫ってくる刻一刻ごとに自分の身体を賭けに投じるのが正しい生き方であり、あれはどうだろう、これはどうだろう、と考えてうじうじしているようでは乗り遅れるのだ。オッサンは愛情を持っている。だが、その愛情は、若さという幸福に気づかず、その貴重な時間を浪費してしまった自分自身に対する呪詛の煙でいぶされて真っ黒こげになり、いま、彼の舌の上で堪えがたいほどの苦みを醸し出しているのではないか・・・

太朗は買ったばかりのニーチェの著作を破り捨て、ホームのゴミ箱にぶち込んだ。なんとなく、二―チェだけは自分のこの行動を喜んでくれるだろう、という気がした。

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