仏教のおいしい話2(観音経編)
そこで、無尽意菩薩は歌で質問を繰り返しました。
美しいお姿のお釈迦さま。私は今一度お尋ねいたします。
あの菩薩はどうして、観世音と名づけられているのですか。
美しいお姿のお釈迦さまは、歌の形で次のように無尽意菩薩にお答えになりました。
それはねえ、観世音菩薩の働きは、いつ・どこへでも行って人々を救うことです。
その救済の願いは海のように深く、人の頭でどれ程考えても思い及びません。
無数の仏たちに仕え奉って、すばらしい清浄な願いを立てたのです。
今私は、あなたにそのあらましを説明しましょう。観世音菩薩の名を聞き、その姿を見て、
心にしっかりと刻んで忘れないならば、人々のあらゆる苦しみは無くなるでしょう。もし、悪意のある者がいて、誰かを燃えさかる大きな火の穴に突き落としても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、火の穴はたちまち池に変わるでしょう。
あるいは、大海原を漂流して、竜や怪魚や鬼などの様々な怪物が襲って来ても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、荒波に呑まれて海中に沈むことはないでしょう。
あるいは、須弥山という高峰の頂きから、誰かに突き落とされたとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、空の太陽のように空中に浮かぶことができるでしょう。
あるいは、悪人どもに追われて、金剛山という高峰の頂きから転落したとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、一本の髪の毛さえ傷つかないでしょう。
あるいは、怨みを抱いた敵の集団に囲まれ、皆が刀を手にして殺そうとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、彼らは殺す気をなくし、優しい慈悲の心を起こすでしょう。
あるいは、権力者の圧政にあって、今まさに刑場で死刑に処せられようとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、振り上げられた刀はバラバラに折れるでしょう。
あるいは、囚人となってかせや鎖につながれ、手足の自由を奪われても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらの拘束具はたちまち壊れて自由になれるでしょう。
あるいは、誰かの呪いや毒草・毒薬によって、危害を加えられようとしても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、被害はそれを企てた加害者本人に戻って行くでしょう。
あるいは、羅刹という食人鬼や毒竜や悪鬼などに囲まれても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、これらのものは、危害を加えようとしなくなるでしょう。
あるいは、恐ろしい猛獣に取り囲まれて、鋭い牙や爪で脅かされても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらは何処かへ逃げ去ってゆくでしょう。
あるいは、マムシや毒蛇やサソリの吐く毒気が、火焔のように迫ってきても、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、念ずる声を聞くやいなやそれらは退散するでしょう。
あるいは、天がとどろき、稲妻が光り、雹が降り、大雨が降り注いでも、
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、それらは跡形なく消え去るでしょう。
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