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きみはスピーチロックという言葉を知っているかね?(かいスペイベントレポート:「OLIVE HOUSE STUDY 【身体拘束勉強会:考えるスピーチロック】」)
どーも,介護業界のイタい新星,ブーアズナブルです.
かいスペで過去に行われたオンライン・イベントのレポートを今更になって書く,という本企画も今回で3回目を数えることとなりました.一応これでわたしの手元にあるすべての借金,いや貯金はぜんぶ使い果たすことになるので,次回からはもっとタイムリーなイベントレポートになるはずです.「はず」,というのを念のため太字にしておきます(笑
さて,過去振り返り最後となる今回は,グンジさんのOLIVE HOUSE STUDYと共催で4月22日に......開かれたイベント,「身体拘束勉強会:考えるスピーチロック」についてのレポートです.
こうして日々かいスペのイベントに参加すると,毎回あらたな気づきを得ることになります.なかでも今回気づくことになったのは,わたしのなかの傲り/驕りです.どちらも「おごり」と読みます.そうです.わたし,スピーチロックに関してぶっちゃけわかった気になってました.ごめんなさい!
以下が反省文になります——
「身体拘束」としての「スピーチロック」,つまり利用者のなんらかの行動や欲求,要望に対して,「ちょっと待って!」といった一言でもって制限や抑制をかけてしまうこと.このことに関しては,じつは曖昧な点が多い.
厚生労働省の『身体拘束ゼロへの手引き』(2001年)にはそもそも「スピーチロック」の項目はなく,いまだ「なにをもってスピーチロックとするのか?」の定義さえ明らかでないのだ.
だから例えば,「ちょっと待って!」や「ちょっと座ってて!」と言えば即座に身体拘束になるのか?
いや.立てば転ぶ,歩けば躓く,転倒リスクの高い利用者に対して,「ちょっと座ってて!」というのはむしろ安全性を考慮してのことでしょ?と捉えたほうがいいのか?
というかご利用者「様」に対して語尾に「!」が付くような言葉遣いをしている時点ですでにダメ.接遇の面からいっても,「少々お待ちください」,「ちょっと座っていてくださいね」と声をかけるべき!と,敬語や丁寧語に代えればそれで済む話なのか?
いやいや.そんな時間も暇も余裕もないからそれだったら人員増やしてよ!と結局はそこなのか?
——などなど.
議論をしたところで最終的にはきっと,よくあるように——「時と場合よる」,「介護に正解はない」——というお決まりのキラーフレーズに軟着陸するのだろうなと.てかまさに一言こそが思考停止をうながすスピーチロックなんだよ,かーっっっぺ!(注:盛ってます!)とたかをくくっていたら,それがぜんぜん違ったのである.
Zoomのブレイクアウトルームでのディスカッションの時間である.そこで,ぐんじさんは,わたしたちに次のように質問した——.
「もしスピーチロックがなくなったら?」
この時点ではまだいい.いわゆる弁証法のやり方だ.スピーチロックのある世界とない世界,その両方を考えさせることで,「正」「反」「合」,より俯瞰した視点からスピーチロックの善悪を見つけさせようというのだ.
スピーチロックのない世界?そんなもんカオスに決まってる.利用者がそこら中でばったばったと倒れて地獄絵図だ(注:盛ってます!).
と,脳内で反射的に出たこの回答が,だがしかし間違いだった.問題はそもそも弁証法,二項対立ではなかったのである.
参加のひとりはこう答えた——.
「わたしはそもそもスピーチロックがシンプルに嫌い.だからスピーチロックを使わずに別の言葉で言い換えられないかを考える」.
勉強会のサブタイトルは「考えるスピーチロック」である.そう,わたしはスピーチロックについてちっとも「考え」ていなかったのである.スピーチロックのある/なしという議論の形式ばかりに囚われて,ある/なしのあいだの,第三の可能性についてちっとも思いを馳せていなかった.
スピーチロックのない世界はかならずしもカオスではない.というのもスピーチロックは「言葉による抑制」である以上,その言葉はさまざまに言い換えることができるからだ.
わたしたちは,「ちょっと待て!」,「座ってて!」と言う代わりに,べつの説明の仕方をすることができるし,あるいは行列に並ぶわたしたちにメニューが手渡されるように,「少々お待ちください」から「良ければこちらをご覧ください」へと,どうしようもない空白の時間を埋める工夫をすることができる.
たしかにその「解」のあり方は一般解ではなく個別最適解で,「時と場合による」のかもしれないけど「正解がない」わけではない.汎用性はなくともその都度最適解はある.むしろそうしたケースバイケース,情報環境の違いに応じて複数の正解を導き出せることが介護職の専門性なのではないか.
もちろんスピーチロックは定義も曖昧で,白黒のつかない領域だ.でもグレーだからこそ,白が黒になるまでのあいだ,声かけが拘束になるまでのグラデーションとバリエーションはじぶんたちで考えなければならない.
介護は「彩の生活デザイン」——ぐんじさんはそう呼んでいた.
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