重度の喘息だった長男が教えてくれたこと。
昔むかしのある年の年末。
僕に癌の兆候が出てき始めた頃の話です。
長男のSyuuが所属している少年野球チームで努力賞の盾をもらいました。
試合での実績や功績を称える賞ではなく努力賞?
と思われるかもしれませんが…
監督さんの粋な計らいで、Syuuが初めて認めてもらえた瞬間でした。
どこの家庭にもあるようなありふれた瞬間ではあるのですが
実はこの出来事、我が家にとっては「奇跡」なんです。というのも…
Syuuも僕同様、ある疾患と闘っていたからです。
共に苦しみを乗り越え、長男から教えてもらった
「継続のチカラ」
そんな事を今日は綴ってみたいと思います。
Syuuが野球を始めたのが小学低学年の頃。仲のいい友達に誘われる形でなんとなくやってみようかなという感じで始めた野球でしたが、小さい頃から重い喘息を患っていたSyuuはとにかく運動がとても苦手な子でした。公園で一緒に遊んでいても、少し走っただけでヒューヒューという胸から聞こえてくる異音と共に呼吸が苦しくなり、そうなると食事もまともに喉を通らないという事が日常でした。夜中に何度も病院に連れて行ったり、台風シーズンなどは特に調子を落としていて、そうなると自宅でも吸入器を置いて決まった時間薬を吸わないと通常の生活も困難になるほどかなり辛い幼少時期を過ごしていたのを思い出されます。
そんなSyuuを見ていて僕は、このまま薬に頼っていてばかりじゃ治るもんも治らないんじゃないかなと、よくPeeちゃんともその事を話し合っていて、僕がずっとサッカーをやっていたのでちょっと教えてみようかなということで時々一緒に軽くボールを蹴ったりしていたのですが、興味がないというより自信がないといった様子のSyuu。なんとかしてあげたいけどこればっかりは強制するわけにもいかず、どうしたもんかなと。
そんな矢先にSyuu自身が「野球をやりたい」と言ってきた。
僕もPeeちゃんも凄く喜びました。もう試合に出るとか出ないとかもうそんな事よりも、とにかく友達と楽しく運動ができて、少しでも体力が付いてくれればそれでいいよ。と、最初は思っていましたが…
あることがきっかけで私Booが本気モードになってしまいます笑
きっかけは最初にSyuuの練習の様子を見に行った時のこと。
ガリガリの体でブカブカのユニフォームを着たSyuuの姿にだいぶ感動を覚えつつも練習中、体力的なことから集中力を失って指導者の声に反応できなかったり、集団行動に着いていけなくて「おいSyuu!早くしろよ!」と友達から度々怒られてる姿を見て、あ、こりゃいかんと。
少年スポーツで垣間見るものはたくさんありますが、一つは学校とはまた違う少年スポーツという楽しさや厳しさがより色濃く出る、いわば非日常的な環境で我が子がどうやって順応、適応していく?って部分があると思います。練習を見にきている親御さんは皆、大人になった時にコミュニティ内で迷惑をかけずにやっていけるか、みたいな目線での我が子を見ていると思いますが、例に漏れず僕らもそんな感じでSyuuを見ていました。
投げる打つは出来なくてもいいとは思っていたけど、人と関わることに対してどうしていいか分からず孤立しているSyuuの姿を見る度に僕は正直とても不安な気持ちになりました。しかし一番辛いのはSyuu自身で、Syuuが自分でやりたいと言った野球に取り組むことで少しづつでもいいから学んでほしい。そのためには僕とPeeちゃんで野球以外のところでのサポートが必要だなと感じた一日でした。
喘息、そして学校や野球チーム内で人との関わりに少し問題を抱え諦めがちな部分が見え隠れし始めていたSyuuの闘いが始まります。
彼自身が自分と向き合うためにも彼の心に「軸」を作ってあげる事が必要だと感じた僕はお風呂の中でSyuuとある約束を交わしました。
「毎日少しでもいいから、野球の練習をしよう」
最初は怪訝な表情を見せていたSyuu。しかし話を「自分の夢」にシフトしてみます。子供は日に何度も、大人が心に栄養を与えてあげる事が大事です。Syuuは野球でどこのポジションをやりたい?と聞くと、ボソッと
「ピッチャーやってみたい」
と。
当時は日ハムにダルビッシュ有選手が在籍していて、ダルビッシュに憧れを持っていたSyuu。あんな風にマウンドで堂々とバッターと勝負する姿がかっこいいと思っていたようです。しかしまさか、この誓いを立ててから一年ちょっとで本当にピッチャーをやることになるなんてこの時点では想像もつきませんでしたが、とにかくその夢を叶える為の努力をSyuuは始めてくれました。
次の日、近くのスポーツショップで僕のグローブを買いに行き
毎日のキャッチボールからスタート。
始めた当初はボールトスさえまともに出来なかったSyuuでしたが1週間、1ヶ月と練習を継続していくうちに少しづつ、本当に亀の歩みの如く積み重ねることでなんとなく、それっぽく出来るようになってきました。
土日のチーム練習でも先輩や友達たちから「お、Syuuいいボール投げれるじゃん!」とか、指導者の方々に「コントロール良くなってきたな!」と褒められる回数が増えたことに比例して笑顔も増えてきたSyuu。人に認めてもらえることって子供だけじゃなく大人にとっても凄くパワーになるというか、Syuuが褒めてもらったりするとまるで僕も褒めてもらっているようなそんな気持ちになっていました。
そうしてチーム練習で出た課題を家に持ち帰っては練習を繰り返していくうちに、キャッチボールだけだった自主練習も素振りやベースランニングなど種目や回数が増え段々と濃密な時間になって行きます。
人の話を聞いて、実践することに関しては
時々厳しく接することも増えてきました。
「Booは厳しすぎる」とPeeちゃんと衝突することもしばしば。
夢を叶えることは容易いことではない。しかし楽しくないと少年スポーツとは言えない。そのバランスを考えながらも、Syuuのある部分を見逃せなかったんです。出来ないことがあると塞ぎがちになる癖のあったSyuu。上手くいってる時はいい集中力を見せるようになってきましたが、一度上手くいかなくなると俯いて全てをシャットダウンしてしまう。
子供の頃はムラがあって当然と思いつつも、彼の将来のために時に厳しく、時に何度も話し合って行きました。しかしそんな彼を変えたのは練習ではなく「試合」でした。
初めての練習試合。前日から楽しみにしていたSyuuの気持ちとは裏腹に、打席に立てば見逃し三振の連続、守りではエラーと散々な結果で終わってしまいました。試合中も監督さんから叱咤激励をいただき、泣きながらグラウンドを後にした光景は今でも忘れられません。恥ずかしかっただろうし、悔しかっただろうし、どうしていいか分からなかったと思う。
家に帰って風呂に入りながらSyuuと色んな話をしました。
試合後に周りの友達や先輩が声を掛けてくれたこと、コーチが親身にアドバイスしてくれたこと、Syuuはチームの大事な一員なんだ。と。
「諦めた僕が悪かったと思う。」
言葉数少ないSyuuが風呂の中で汚れたユニフォームをゴシゴシと洗いながらボソッと言った言葉が僕の胸にグサリと刺さりました。正直色んな意味で僕もSyuuもこの練習試合で打ちのめされましたけど、でも人を成長させるのも経験なんだなと改めて感じさせられた一日になりました。
継続して続けていた練習。いつも僕とSyuuだけの時間。知っているのは神様と雑木林から時々覗きにくる猫くらいだと思ってましたけど、ある日「いつもみているよ。頑張ってるね。」とチームの監督さんが声を掛けてくれました。何度か声を掛けようとしたけど、邪魔しちゃ悪いなと思ってと、遠目から時々見ていてくれたそうで…
その話を聞いていたSyuuの誇らしげな表情。あんな顔見たの初めてだよ。
兎にも角にも監督さんのその言葉がきっかけで、あの日以来飛躍的にSyuuが成長していったと記憶しています。
始めてマウンドに立たせてもらったのはそれから程なくしてから。
丁度、最近キャッチボールで投げてくる球が変わってきたなと感じていた頃でした。
「球威はまだまだだがコントロールはチームでナンバーワンだな」
と評価していただけるまでに成長したSyuu。
先輩が卒団し自分が最上級生になる頃、彼は子供から大人になっていました。Syuu自らが自分で決めた週に何度かのランニングを始めてから更に体力が付き、喘息も殆ど出なくなり、気が付けばピッチャーになるという夢を叶えたSyuu。今では立派に社会人になり、子供の頃心配していたことなんてどこ吹く風、稼ぎも上々、東京で彼女と同棲しております。
毎回自信を持って先発マウンドに立つ姿、チームがピンチの時にリリーフで力一杯投げる姿を見た時は「やっと夢が叶った」と言う感情より、もっと良くなるにはどうすればいいんだろうと二人で試行錯誤しながらどんどん野球に夢中になっていった、と言う感じでした。
自分自身の事を振り返ると、例えば僕自身癌を克服した時もそうだったけど何か達成する時って感傷に浸るとかでなく意外とあっさりしているというか、今振り返ると辛い練習を乗り越えて良くやったなと褒めてあげたい気持ちも生まれますが集中している時って今と未来だけを見据えているからなのか振り返るって事をしないので案外そういうもんなんだなと。
初めていただいた”努力賞”の盾から、卒団時にいただいたのは”最優秀選手賞”のトロフィ。そのことでさえ「気が付けば」と言う表現がピッタリなほどのことでした。
長男が卒団を迎えると同時くらいに僕の癌が発覚するわけなんですけど
困難を克服して成長していく長男の姿が僕自身の闘病で大きな影響を与えてくれたのは言うまでもないところですが、でも本当にSyuuがあんなに頑張ってきたんだから俺も負けられない!と言う気持ちがあったのは確かです。
大人になると頭で分かっていても実践できてないことなんて山ほどある。
当然子供の頃みたいに誰も自分を指摘してくれないし、全て自分の選択次第良くも悪くも成るという自由が与えられているというのに、諸々を後回しにしたツケが回って僕は泣く泣く癌という病気に向き合うことになったわけですが、このことはSyuuにあれやこれやと偉そうに小言を言ってた自分が恥ずかしくなる出来事でもありました。癌も、色んな病気も先天的なものでなければ予防はできたはずなんですよね。つまりはSyuuに課していたような日々の練習が、自分のことになるとできてなかった、ってことになる。
追い詰められないと自分の体と向き合えないなんてなかなか大人としてダメじゃん。と思ってた頃もありましたけど、それだけ「継続」が如何に大切で大変なことかっていうのを思い知らされた期間でもありました。冒頭でも触れましたけど大人も子供も何かを継続するためにはエネルギーが必要で、そのエネルギーの根っこにあるものって
自分自身とマジで向き合えるかどうかだと思うんですね。自分がどうなりたいかがはっきりしてないと、例えばダイエットだったりトレーニングだったりも続かないわけで。人って何かを始めた瞬間からいつでも辞められるという選択肢が常にあるんだけど、辞めようかなってマインドになった瞬間
「なんの為に?なんで始めたんだっけ?」っていう原点回帰できる部分があると「よっしゃ、もういっちょ」っていう継続するパワーが生まれるんだなと思っていて、いつしかそれが当たり前になるんですよね。やらないとなんか気持ち悪いというか、そうなれば継続なんて言葉も必要ないほどどんどん積み重ねていける。
で、癌になってみてほんとに自分が強く願ったことはやっぱり
「生きたい、健康でいたい」ってことだったんで、余命宣告されてようやく明確な目標が生まれたんだろうなぁ…
余命宣告されてからやっと本気になるってかなりヤバい大人だよね笑。
まとめるとPeeちゃんの全力サポートで食事や生活習慣を見直して2年ほど継続中の16時間ファスティング、甘いものを控えること、食べ過ぎないこと、キックボクシング、禁煙…は無理でしたけど、とにかくそういったこと含めて色んな取り組みを継続できてるのは生きる為という至極当たり前だけど、日々の満たされぬ欲求の中で忘れがちなことをちゃんと捉え、向き合いながら、当たり前が一番大事なことなんだと腹の底から思えたからこそ継続できてるんだろなってことなんです。
50になって事の真意の気づくとは…私もまだまだですな。
Syuuに教えられたよ、嫌ってほど。
お前の方が心は強かった。
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