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お茶派のにわか珈琲研究、コーヒーミルも購入。
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2~30年ほど前までは、コーヒーが飲めてあたりまえであり、有無を言わさず打ち合わせ先ではコーヒーが出てきていた。お酒が飲めてあたりまえ、というのに近い気がする。
ウチの実家では母がコーヒー派で、豆を挽いてネルドリップで抽出して家族はみんなコーヒーを飲んでいた。確かにとてもいい香りで、カウント・ベイシーとかオスカー・ピーターソンが流れるなか、たばこの煙とコーヒーの香りというのがウチの休日の午後の記憶だ。オトナでオシャレ、なのかもしれないが、幼い子どもとしては「コーヒーもたばこも苦手」。それでも拒否権はなく、そんなもんなんだろうと思っていた。コーヒーが苦手なのはいつか克服できるのではと願っていたけれど、どうもいくつになっても苦手。飲めることは飲めるけど、あんまり好きじゃない。実家では唯一の非喫煙者であり紅茶派として認識されていた。
最近は個人の嗜好の自由は浸透し、取引先であろうとも、紅茶だろうがコーラだろうが好きなものを飲め、という気風。よかったよかった。そんななか、先日お祝いにコーヒーをいただいた。
「コーヒー大丈夫ですっけ?」
と聞かれたけど、お祝いに選んでいただいたものはありがたい。
「大丈夫です! ありがとうございます!」
と受け取った。なんでもそのかたのお気に入りの専門店のおすすめらしく、それはぜひ試してみたい。喜んでいただいた。コーヒーでも自分にとって飲みやすいモノもある。水だしコーヒーはかなりいける。以前猿田彦珈琲のかたに淹れていただいた一杯も美味しかった。
ちなみにつれあいはコーヒー派で、毎朝コーヒーを淹れて、私にもおすそ分けが回ってくる。牛乳を入れると飲みやすいので、コーヒー牛乳にして毎朝飲んでいる。カフェオレじゃない、コーヒー牛乳ね。
いただいたコーヒーをつれあいに渡したら、複雑な顔をした。「これは豆のようだ」。ああ、ウチはアンチコーヒーの私のせいで電動コーヒーメーカーもないしミルもない。不思議な道具はたくさんあるのに、豆を挽くミルはなかったのだ。お互いの実家からミルを持ってこようか、という話にもなった、豆を家庭で挽くのは我々が子どものころにはふつうだったから。でも家のどこにあるか、探すのも面倒だ。
散歩に行ったついでに、蔦屋家電でコーヒーミルを探してみた。かなりの種類があって選びきれない。便利な項目別対比表があったので撮影して、あれこれつれあいと相談して選んでみた。探すのは蔦屋家電で購入はアマゾンという、あるあるの購入導線。すみません蔦屋さん。
それ以降、つれあいがゴリゴリとコーヒー豆を挽き、おこぼれにあずかっているが、なんか毎回味が違うんだよね。面白いものだ、だからコーヒーは沼るんだろうな。
ちなみにわたくし紅茶派、中国茶派、緑茶派といたしましても、それぞれの淹れ方がございますれば、きちんと配慮しないとそれぞれの茶葉のポテンシャルを引き上げることはできないのでございます。コーヒーもそうなのでしょう、きっと。試行錯誤の研究も楽しいものだ。
もちろん、いまだコーヒー好きというにはほど遠いのだけど、コーヒーを飲む楽しみは増えた。この豆がなくなったらなにを試すか、粗さを変えたものを比べて飲んでみたい、アテにこれを合わせたらどうか。そういえばしまってあったコーヒーカップを使おうか。
にわかコーヒー派、爆誕。