#339 寛容であると生きやすい

澤円さんのVoicy澤円の深夜の福音ラジオ 【第445回】「真面目ってなんなんだろうという話。」を聴いたことのアウトプット。
日本人の真面目さを押し売りするのではなく、寛容であると生きやすいという話。

朝9時に出社というのであれば、「5分前に行くのが常識である」「若いんだったら10分前でなければダメだ」それが真面目に出勤することだ、なんていう定義があると、これは違うんじゃないかなと僕はつい思ってしまう。
9時に出るというルールがあるんだったら、それに従うというので充分かと思う。
5分前とか10分前とか見えないルールを作って、それをやらないのは不真面目であるというレッテルを貼るというのは、これは僕はちょっと違うかなと思っている。
あくまでも、自分の価値観を他人に押し付けるってことをやってしまうと、これは真面目の押し売りになってしまうので、これは生き方妨害になるかと思う。
自分が真面目にやってそれを遵守していく、大切な価値観として生きていくのは多いに結構でどんどんやればいいと思うが、他人に対してまでそれを押し付けるのは、違うなかと思う。
これを僕は「不寛容」という言い方をしていて、「もういいじゃん、他の人はどうでも」と気にしなければいい。
直接的に自分にものすごい迷惑がかかるのでなければ、放っておけばいい。気になるんだったら見ないようにする、関わらないようにするのが一番いいんじゃないかと思う。
「自分が真面目にやっているのに」というのと「その人が自分の意図と違うやり方をしている」のは相関関係にないので、放っておけばいい。
「お前は不真面目だから俺が直してやる」というのは違うんじゃないかと思う。それを許容することができるのであれば、許容する方が結果的に物事が上手くいくんじゃないかと思う。
もちろん、社会通念上や社会生活を送る上で、ものすごい阻害要因になるルール違反は窘めた方がいいとは思うが、ちょっとした自分の中の真面目なラインを超えたり、無視したり、外れたりが許せないと思ってしまうと、生きるのが窮屈になってしまう。「いいじゃん、別に」というマインドセットが持てると、いろいろと暮らしやすくなると思う。
「なんであいつはあれなんだろうな」とすごく気になるタイプだったが、「まあいいや」と思うようになって、結果的に僕はすごく楽になった。
寛容さをどんどんみんなが持つようになると良くなるんじゃないかと思う。

「真面目の押し売り」は、先輩として後輩にやってことがある人は少なくはないのではないでしょうか。
相手に対して押し付けるのは「べき論」でも同じようなところがあると思います。
自分の真面目なラインから外れることに都度反応していたら、生きるのが窮屈になるのは想像できますね。
人はそう簡単には変わらないので、言っても変わらない相手に反応するより、澤さんがおっしゃるように「別にいいじゃん」「ま、いいか」と寛容でいることが、結果的に自分のためになるように思いました。

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