創作大賞感想【花畑お悩み相談所/穂音】
「あ、位相がズレた」
そう思った時からもうこの物語から逃れられない予感がした。
「そこのスイッチ押してきやがったか」というぞくぞくする感覚。
第一話、誰もが知っているであろう童話が少し内容を変えられて提示される。実はもうここから位相のズレが始まっている。
その童話たち(改作童話は複数ある)が主人公のもとへメールとして届くのだ。送り主は意識不明の孫。
昏睡状態にある孫からの、届くはずのない不思議なメールをめぐる冒険の始まりである。
そして主人公(祖母)の前に当たり前のようにバクが現れる。動物のバクである。夢を食べると言われているあのバクである。動物であるはずのバクが営業マンとして庭先に現れ、夢ではなく「悩みを食べて解決する」と曰うのである。
この時点で、
「バクが喋るって。マレーバクとかアメリカバクだとかどうでも良くて、あり得ないでしょ。無理無理」
と思う方もいるかもしれない。
しかし私は、冒頭の「位相のズレ」スイッチを押されているので、主人公同様、その状況を受け入れてしまう。
ある種の状況に陥った人間は、自分でも気づかないうちに信じられない事を考えるし、思うし、見えるし、やってしまう事もある。
どこかでそんな風に私が個人的に思って生きてきたという下地があるからかもしれない。
これは感想文だし、超個人的な事を書いてもなんにも悪くはないだろうと思っていた矢先、偶然手元にあった「めくらやなぎと眠る女」の日本語版アニメのフライヤーを開くと、
「どんな物語も映画も多かれ少なかれ、現実と想像、外界と内面、現と夢とのあいだにいつのまにか建てられてしまった門を開けてくれる装置である~省略」
という、米文学者・翻訳家の柴田元幸氏の言葉が目に入ってきた。
ああ、と思う。もしかしたら、位相のズレとは「門」が開いたことを意味するのかもしれない。
この『花畑お悩み相談所』は見事に現実と想像の門を開けてくれているし、門をくぐった先の世界へ進む快感も与えてくれている。
物語がクライマックスを迎えた時に、どうして「バク」が現れたのか。どうしてかえるや羊じゃなくて「バク」じゃなければいけなかったのか。その答えがきちんと用意されている。
もちろん、不可思議なメールが送られてきた理由も明らかになる。しかもバクの存在が密接に関係しているのが判明するのである。
私はその答えを用意できる著者に畏れに似た感情を頂いた。
物語のラスト、主人公を含めた大切な人達の心のズレが矯正され、物語の位相のズレも感動の涙でぼやけていき、あとには希望が残される。