
ゲテモノ、下手物。ああ下手物食い
どうでもいいことを大まじめに考えてしまう私の能天気なアタマは、なんでも食う〝悪食〟(あくじき)な人間にとって〝ゲテモノ〟とはどういうものかと、これまでしばしば考えてきた。
下手物というのは、「一般から邪道、風変わりと見られているもの。奇妙なもの。いかもの。げて」(日本国語大辞典)だ。そして、そういったものを食うのが下手物食いだ。
ただし、下手物の定義は曖昧だから、どれとどれが下手物などと特定することはできないし、正常や一般などと分けることもできない。
私が住む関東地方(の一部だけかもしれないが)ではイナゴを食う。現在では見かけなくなってしまったが、私が子供のころは、田んぼでイナゴを捕まえて布袋などに入れる光景をよく目にした。私自身もイナゴ取りをした記憶がある。
イナゴはかつて全国的に食用とされていたというが、いまでは関東や東北の一部地域、長野県などでしか食されていないらしい。
イナゴには蛋白質やミネラルが豊富に含まれていて、食糧が乏しかった時代にはけっこうな栄養供給源となっていた。
このイナゴ、現代の若者たち(たとえば、とりあえず30代くらいまでで区切って)はどう受け止めるだろうか。たぶん下手物と思う人が大半だろう。
こういう話題になったとき、私がよく俎上にあげるのがタコだ。寿司種やら年末年始に出回る酢だこやら、日本人にとってはきわめてポピュラーな食材だ。
しかし、タコを食わない欧米の人たちからみれば、日本人は下手物食いということになるだろう。なにしろ欧米では、タコはデビルフィッシュなどと呼ばれていて、食材などとはかけ離れたイメージをもたれている。
ヨーロッパなどの外国では、イタリア、スペイン、メキシコ、ギリシャなど、一部の国を除けばタコを食べる食習慣はない。
それにしても人間はいろいろなものを食う。雑食だ。調理という技術をもっているからこそと思うが、ふだん平気で食っているナマコ、エビ、カニなどだって、改めて考えてみればグロテスクだったり不気味だったりする。
フグに毒があろうが意に介さず、スッポンの生き血を飲み、マムシを漬けた酒を飲む。江戸時代には犬を食っていたこともあるそうだ。
ぬらぬらと海底や岩場を這うナマコやアワビの姿、あるいは、くねくねぐにゃぐにゃと身をよじりながら絡まりあうタコの睦みあいなどを見たとすれば、たいていの人は「まあ、なんておいしそうなタコなんでしょう」などという感情は湧いてこないだろう。
しかし、それらがいったん食卓にのぼればまったく平気。“おいしそうなタコ”や“珍味”になってしまう。食い物に限ったことではないが、慣れというのは恐ろしい。
タコや納豆を食う日本人を、フランス人は異様に思うかもしれない。しかし、日本のカタツムリの親戚筋にあたるエスカルゴ(カタツムリとは異なる)を食うフランス人は、私からみれば下手物食いとなる。
世界には、日本人の感覚では信じられないようなものを食っている国がたくさんあり、食われるものの種類もまたさまざまだ。
一般的に考えて下手物といってもいいだろうと思うものを、私の個人的な基準の範囲内で拾い出してみよう。なかにはただの興味半分で食っている場合もあるだろうし、いまは発展する途中段階という国のように、「まずは身近なところから食材を得なければならない」という、必要に迫られた事情もあるだろうけど。
では、おもだったものをいくつかあげてみよう。
サルの肉や脳、ブタの脳、ツバメの巣、ハチの子、アリ、クモ(タランチュラも)、セミ、カメムシ、イモムシなど昆虫の卵や幼虫、ゲンゴロウ、タガメ、ワニ、ゾウやラクダなどの大型獣、ヤギ、オットセイ、アザラシ、ウミヘビ、ニシキヘビなど大型の蛇類、ウミガメ、カエル各種、ネズミやモグラ、ムカデ、サソリ、ナマズ、コウモリその他諸々。
ほかにも、ここで書くのははばかれるような異様なものまであって、バラエティーに富む。
何を基準に下手物とするか。当然のことながら答はない。その国やその地域の文化や食糧事情、生活様式などに違いがあるからだ。
そんな意味でも、下手物はなかなか「味わい深い」と言えるが、それにしても人間は悪食だと思う。野生動物は生命を維持する必要があって捕食するが、人間の場合は興味だけで食っていることも多い。そのへんについては微妙な思いが脳裡をよぎる。
さて、ここから先は付録のような話。
このての話になると、私はよく「世界で初めてタコやナマコを食った人は、どんな状況下で、どんな心境で食ったのだろうか。なんらかの事情で、いやだけど食わざるを得なかったのか、飢えていたのか。ただの好奇心や研究心だったのか」などと話のタネにしていた。
ところが、あるときある人が、「昔から、たとえば古代とか原始とかの時代から普通に食ってたんじゃない? だから、いまもただの延長で食ってるだけなんじゃないのかな」と言った。
ガーン! 私は目から鱗が落ちるどころから、目が落ちる思いだった。
なるほど、そうか。きっとそういうことだな……ああ、おれはまだ修業がたりない、と思ったのだった。