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学校の勉強はできるけど

 友人のM子は幼いときから勉強ができて、頭がいいので同級生からも一目置かれていた。成績はすべての科目で常にトップクラスだった。顔もかわいく、見るからに利発そうでもあった。
 後に関東某県の堅い業種の会社に就職した。そしてしっかり蓄財し、無事に職位定年を迎えて生まれ故郷へ帰ってきた。独身であったために単身での帰郷だった。

 そして。

 あるとき私は、M子からある講演を聴きに行かないかと誘われた。よく知られた大物料理人H氏の講演会だった。
 M子は講演のなかでH氏が言ったひと言が気に入らず、終わって会場を出てから、あの言い分は女性蔑視だとか差別だとかと言いだした。どんな言葉だったか覚えていないが、私は女性蔑視などとは思えず、「え? 全然そんなことねえだろ」と答え、理由を説明した記憶がある。
 後でまた考えたが、なぜ女性蔑視へ結びつけたのか、結局わからないままだった。

 M子が帰郷して数か月後、私に「あたし、これまで働き詰めだったから自分への褒美として、もとの仕事仲間と海外旅行へ行ってくるわ」と言った。
 当時私は、世間一般で言う自治会長のような役をしていた。M子は「凡筆堂くんが役員でちょうどよかったわ。留守中に何かあったらお願いね」と言い、私にあれこれ頼み込んで南半球の某国へ出発した。

 2週間後の帰国予定日を過ぎても、帰ってきたという連絡はなかった。連絡があったのは数日過ぎてからの電話でだった。「帰国してから友だちのところへ行ったり雑用で忙しくていまごろになっちゃった。おかげで無事に楽しめたわ。留守中ありがとうね」と、ただそれだけ。
 出発前は直接訪ねてきてあれこれ頼み込み、帰国したら電話で簡単に、しかも数日遅れての報告だけ。一人前の大人ならおみやげの一つくらいは買ってくるのが常識だろうけどまったくなし。

 日常では、M子は趣味と心身の健康維持が目的だと言ってフラダンスの愛好会とコーラスのグループに入って充実した日々を送っている。
 あるとき、コーラスの発表会があるから券を買ってと頼まれたのでしかたなく買った。自営業の友人二人は、券を買わされたうえにプログラムに載せる広告も協賛させられた。
 発表会後に感想を訊かれたときのことを考え、律義に聴きに行った。演目はほとんど知らない曲ばかりだった。

 発表会が終わった日もその翌日も、M子は私や友人のところに顔を出さなかった。
 数日たって会ったときも、発表会が成功して嬉しかったことをしゃべりまくったり、「ねえ、私、どうだった」などと感想を訊いただけで、券を購入してもらったことやプログラムへの広告協賛のお礼の言葉はなかった。

 高齢になった恩師が病気で入院したので、同級生としてお見舞いに行くかどうかという話があった。
 しかし、その恩師の現状をよく知る一人が、「先生は病気でだいぶやせ細ったうえ認知症を発症した。本人としてもつらいから、みんなにお見舞いを遠慮してもらっているそうだ。だからお見舞いはやめよう」と言った。
 ところがM子は、「え? そんなこと気にしなくていいんじゃないの? 私、全然平気よ」と、まるで明後日の方を向いたような、信じがたいことを口走った。恩師の心情をまるで理解していないのだ。

 M子に関しての話はほかにもたくさんあるが、もうやめよう。いつもより字数も多くなってしまった。
 M子はなぜこんなふうになってしまったのか。友人の間でも「前からこんなだったっけ?」などと首をかしげる人が少なくない。
 たぶん、M子は変わったのではなく、潜在していた芽が吹いただけのことだと思う。つまり、持って生まれた性格だ。社会に出て、本来の性質が出てきただけのことなのだ。子供ときは影を潜めていたものが。

 私の友人には、学歴は中学卒業だが後に会社を起こして成功したり、高校中退ながらも、支店を二つ持つ立派な会社を起こしたりした人物もいる。
 ほかにも、学校での成績はふるわなかったが社会で成功したという人物はわんさかいる。もっとも、勉強はできなかった(しなかった)が、頭脳そのものはもともと優秀だったということは考えられるが。

 世間を見渡せばひどい人たちがたくさんいる。一流大学でいい成績を残したが、社会に出てから失敗したという人物は少なくない。
 政治家、官僚、警察官、弁護士、教育者その他、そういった立派な職業に就いた人たちのなかにも、人生を踏み外した〝学校の勉強はできるけど〟という人はいる。汚職、不倫、暴力、詐欺、窃盗その他諸々。
 学校の勉強も必要だが、人間としての勉強はもっと必要ではないか。





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