大学3年生で毎月4500円を支援するチャイルドスポンサーになったわけ
誰かのために寄付や支援をしたことはありますか?
私は小さい頃から寄付(お金以外にも切手やプルタブなど)が好きで、国際協力を学べる大学へ進んだ。
青年海外協力隊とか、そういう仕事に就きたいと思っていた。
でも大学で深く学んでいくうちに、現地に行くのは私には無理かもという気持ちもでてきた。
それから洋服が大好きだったからファッション関係の専門学校に行きたいという思いが出てきてしまい、将来どうしようか悩んでいた。
そんな大学3年生の時、ゼミの先生にこのことを相談した。
この先生のゼミに入った理由は『みんな違ってみんないい』とゼミの案内に書いてあったからだ。
直感で選んだ。
先生は知り合いがワールドビジョンジャパンというところで働いていることを話してくれて、チャイルドスポンサーというものがあるという話をしてくれた。
現地に行かなくても支援ができるという。
なんだろう??
すぐに検索してみた。
これだ!!と思った。
現地に行かなくても支援する方法があったなんて!!!!!
先生ありがとう!!!!!!
すぐに申し込みをした。
地域を選べるのだが、私は大学でスペイン語を専攻していたので習っていることを活かそうとエクアドルを選んだ。
どんな子が私のチャイルドなんだろう。
楽しみ。
数日後、チャイルドの情報と写真が送られてきた。
彼女は5歳で、名前はソフィアちゃんという。
最初に送られてきた彼女の写真は笑っていなかった。
写真の時だけでも笑うことが普通だと思っていたけど、彼女は険しい顔をしていた。
それをみて心が痛む。
それから彼女と数ヶ月に一度文通を始めた。
文字が書けないから、家族が代筆してくれているようだ。
たわいもない話を数ヶ月に一度することが楽しみになった。
スポンサーをしてから4年くらい経ったある日、彼女から写真付きの手紙が届く。
私の写真を持って笑っているソフィアちゃんの写真だった。
お誕生日にプレゼントしたハンカチとラメペンも一緒に持ってくれている。
私は彼女が笑顔になっていることがすごく嬉しくてウルウルしてしまった。
今までワールドビジョンから送られてきた成長報告書にはこんな風な写真が年に1回貼ってあるのだけど、
成長報告書以外で写真もらったのは初めてだったし、何より私の写真持って笑顔でいてくれてるところに感動した。
字も書けなくて家族が代わりに書いてくれてたのに、手紙もちゃんと書けるようになっていた。
私が支援を始めた頃のエクアドルの状況は結構ひどかった。
病院にも学校にも行けてないと書いてあった。
でも支援を続けていくうちに「風邪をひいたときに病院に行けるようになりました、ありがとう。」とか、「学校に通えることになりました、ありがとう」と手紙がくるようになって、すごく嬉しかった。
大学3年のときに始めたので、学生だったし正直毎月4500円援助するのはきつい時もあって、支援がすごく遅れてしまったりしたこともあったし、学生ではなくなってからも4500円は結構厳しいと思うときもあった。
でもこうして嬉しいお手紙が届いたりすると、やっててよかったな~と心から思うし、チャイルドスポンサーを始めてから4500円の価値について考えるきっかけにもなった。
大学生のとき毎日自動販売機でジュース買ってて、150円を1ヶ月毎日使ったら4500円。
学食で2日に1回300円のご飯食べたら月に4500円。
駅から大学までのバス代往復340円、2週間で約4500円。
これを考えてぜーーーんぶやめてみた。
ジュース買わないように麦茶を作って水筒で持っていって、学食使わないようにお弁当毎日作って、バスもやめて往復徒歩。
学生のときはこうやってお金を浮かせてソフィアちゃんの地域の支援をしていた。
結果的にこれは自分のためにもすごくなって、こういう無駄遣いをしていたことも、チャイルドスポンサーにならなかったら気付かなかったかもしれない。
今もこうしてnoteを書くことによって、お金の大切さについても改めて考えて、感謝した。
この記事を読んでくれている人は、人にお金を与えてるの?と思うかも知れないけど、チャイルドにお金をただ与えていたわけではない。
それでは根本的に何の解決にもならないので、現地のワールドビジョンスタッフがその支援金で学校や病院などの施設を建てたりしている。
その地域が自立できるように、手助けをしてくれている。
こういう形での支援もあるということを知ってもらえたら嬉しい。
日本にいながらこうして支援することができる。
ソフィアちゃんはいつも私に手紙で「ありがとう」と何回も言ってくれたけど、嬉しい気持ち、幸せな気持ち、大切なことを気付かせてくれるきっかけを与えてくれた。
今でも感謝している。
寄付や支援というのは自己満足だと言われてしまえばそれまでなのだが、私は自分が困っている時ほどするようにしている。
私たちの当たり前が当たり前じゃない人たちがいる。
私たちのお金で、救える命がある。
もう彼女への支援は終わっていて会うことはできないが彼女のことを娘のように思っているし、今も笑って元気でいてくれたら嬉しい。
この経験は“人の役に立ちたい“という私の心の土台になっている。
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