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旅日記①横浜→岡山→香川

6/21 19:40 横浜近辺

バイトが終わる。本当なら20:30までだったところを、力技で19:30に切り上げた。普段なら2人(生徒)対1人(先生)の指導を、3人対1人にしたのだ(ちなみにコロナ前は3人が基本だった)。その理由は、夜行バスに乗る前にジムに行ってシャワーを浴びたかったからだ。以前アメリカを横断するyoutuberがエニタイムでシャワーと洗濯をしていると言ってて、全国ジムはそういう使い方があるんだと関心していたところだった。20:30に終わる想定で分刻みのスケジューリングをしていたが、かなりの時間セーブに成功したため、調子に乗ってケバブサンドを食べた。月曜にちょうど、パーソナルトレーナーを目指す友達にタンパク質は腹持ちがいいと聞いていたから、山盛りチキンは嬉しかった。そしてなぜかサービスでくれたチョコは、キンキンに冷えていた。

6/21 22:00 横浜駅

横浜発、岡山行きのバスに乗った。思い出す、「留学前に散財するな」という父からの苦いお言葉。鈍痛のように体にしみて、少しの後悔が頭をかすめる。でも、決めたことはしょうがない。自分の稼いだお金だ、心が動くものに使おう。自分の心を動かした数少ない画家である鴨居玲の回顧展に行くと、数ヶ月前から決めていたのだ。
カーテン仕切りの4列バス。私の席は通路側だった。隣の人は終始不機嫌で、トイレ休憩は必ず外に出て、その度に私を跨ぐ形になった。そのはずみにカバンが結構しっかりぶつかり、思わず「えっ?」て声が出た。

6/22 7:20 岡山駅

夜行バスは、次の日がきついという定評がある。例に漏れず、朝到着した時は「生き延びた」という心地がした。車内で、朦朧とする意識の中で考えついたサバイバルスキルは、靴を脱いで足を少しあげ、体育座りもどきをしてシートベルトでくるむと、圧倒的に安定するということだ(同時に血も止まる)。こう書いてて、読む人からしたらちょっと御行儀悪いと思うだろうけど、夜行バスって、少しでも眠るために全神経を注ぐためのゲームのようなものだろう。

6/22 8:00 岡山駅マクドナルド

岡山駅東口のマクドナルドに向かう。夜行バスは大体早くつきすぎるから、チェーン店はありがたい。京都でも仙台でも、最初はマックだった。パンケーキとナゲット、そしてホットコーヒー。このマックは、作戦会議の時間だった。というのも、夜行バスで、自分の計画性のなさにようやく気づいたのだ。今回の旅の目的地は、高梁市成羽美術館・豊島・豊岡(・ちょっと京都)だ。問題は、豊島が想像よりも離れていたことと、そこから豊岡には思ったよりお金がかかること、そして豊島が想像以上に面白そうなことだった。先に調べろし案件すぎるけど、”なんとかなるっしょフリーズ”が発動して、思考停止していた。(とりあえずバスでは、豊岡で止めてもらう予定だった友達に事情を説明して寝ようとしたが、案の定うなされた。)

パンケーキにメープルシロップを垂らしながら、google mapで繰り返し検索して最良のルートを決めていく。今回の旅のもともとの目玉は成羽美術館なので、3時間くらいいれるよう、スケジュールを組んで行った。

でもここで問題が起こった。右と左隣の女子高生の会話が面白すぎて、全く手が進まない。右の二人組は、体育祭でポニーテールにどんなアレンジを加えるかをディスカッションしていて、左の二人組は、好きな男の子の返信の素っ気なさについて悪態をついていた。特に左の二人組は、ラインの内容を読み上げてくれるので驚くほどついていけた。仮に、マックで悪態をついている女の子をA、その相手をBとしよう。ラインの内容は以下の通りだ。

A「最近声聞けてなくてさみしい」
B「そだね」
A「でも電話してくれないんでしょ?」
B「だってするって言ってできないの嫌でしょ?」

出典:マックの盗み聞き

これが沼らしい。いや〜ないでしょ、とか思ってしまう。Bは、電話をするかしないかという話の中で、絶妙に相手を気遣っている風に論点をすり替えている策士に見える。これに加え、Bは1週間未読無視とかするらしい。Aよ、attentionが欲しい、という気持ちは100わかるけど、もっと大事にしてくれる人はいると思うな、と、彼女たちより6年くらい長く生きている私は思うのであった。てか、岡山の朝マックはアツい。他の地方の駅で、こんなに学生の登校前の集合場所になっているところを見たことない。あと高校生が朝からカフェラテなんか飲んじゃってよ、おしゃれかよ!

そして、夜行バス後にマックに行く理由の一つとして、地元の人のトークを盗み聞きすることで、その場所の方言やトピックを軽く掴めるというのがある。岡山駅では、標準語に近い関西弁、時々、語尾に「〜が」とか独特の語句が出てくる、という印象だった。

6/22 9:00 高梁バス

岡山駅から内陸に向けて北上し、備中高梁駅からバスで成羽に向かう。眠すぎて変な首の角度で寝て、後ろに立てかけてあったホウキをぶっ飛ばしてしまった。旅あるある、バスの乗り方がわからない。この整理券の仕組みがいまだによくわからず、あたふたしてしまう。横浜のバスはICが使えてお釣りが出るけど、京都のバスはお釣りが出ないし、長崎の路面電車は先に両替をしとけと言われる。岡山はどのパターンだ?正解は、降りる時に両替できるパターンだった。知らない土地でバスから降りた時、まるで「はじめてのおつかい」で1人で買い物に出かける子どものように立ち尽くしてしまうこの現象に、いつか名前をつけたい。

6/22 10:00 高梁成羽美術館

安藤忠雄がデザインした高梁成羽美術館は、コンクリート建てなのになぜか周りの緑と違和感がないところが不思議だ。ぽっかりと開いた穴の中に自然が入り込んでくるような、それを許す懐があるような、そんな感じ。ふきふけになっている湖には、モネにゆかりのある蓮が浮かぶ。そういえば、2年前長崎の壱岐島でお世話になった直美さんは、いつか蓮の上に立つ自分の絵を描いて欲しいと言っていたな。でも、その時はそれってなんか冥土っぽくって嫌だなと思った。今なら描ける気がする。
ひとまず、身なりをきちんとしようと思って、トイレで夜行バス用のスウェットからチノパンに着替えた。

展示は、死を見つめた画家・鴨居玲を、人物画・デッサン・彼自身の写真などのいくつかの視点から掘り下げる内容だった。正直彼の人となりが知りたかったから、そこは後ほどショップで買った本で満たした。実際に鴨居玲の絵の中の筆跡や、(自ら命を絶った時の)遺書、愛用していたソファなどを見てみると、時が止まったかのように息を飲む自分がいた。写真で見る彼の目は、すごく開いて輝いているのに、ひとたび自画像になると、虚ろで窪んで見える。エゴン・シーレでも感じたが、画家は、自画像の中に自身を見出そうとするし、そこに彼自身の自意識が立ち表れるのだろうと思った。

鴨居玲は、誰よりも、悲しみに素直だったんだと思う。例えば、日露・日清戦争で傷ついた兵士を表す「廃兵」という作品。弱い立場の人を見つめ、人間の尊厳を、人の儚い部分に見出そうとした。それって実はすごく難しいことだ。だってしんどいもん。生きやすくなるためには、そういう抱えきれない悲しみを塗り替えたり、見ないフリしたりする必要がある。彼の写真や絵から醸し出される一種の「疲れ」のようなものは、そこから来ている気がした。そして、そういう経験を経て疲れている人は、きっとやさしい。人に寄り添う優しさを与え、人は彼に惹かれる。

後から読んだ彼についての本では、彼は結婚するも、結婚式の日の夜に相手をほったらかしにして友達と飲んだくれたり、新婚旅行を友達グループ旅行にしちゃったりと、結婚に向かないタイプで、今で言う"コミットメント・イシュー(ひとりの人と相互的で深い関係性を築くことが難しいこと)"を持っていたようだ。正式に離婚したのは50代になってだけど、その間に別の女性と共に暮らした。その相手は、鴨居玲の写真を多く残した写真家だ。自分が1人で決めた道に、ついてきてくれる女性がいいと思っていたらしい。そして亡くなる時も、幾度も自殺未遂を繰り返した末の絶命だった。読んだ本の著者は鴨居玲と親交のあった評論家なんだけど、彼女は鴨居玲を受け入れつつも、しっかり言うことは言っている。「芝居を地で行こうとするタイプ」とか、「ナルシストなのである」とか。

だからこその、彼のカリスマなんだと思う。あー、違う時代に生まれていてよかった〜、と心底思う。大好きで憧れているからこそだ。近くにいたら、振り回されてぐちゃぐちゃになってしまうだろう。そのくらい引力が強いからこそ、彼の亡くなった(1985年)の15年後に私が生まれた(2000年)くらいがちょうどいいのかもしれない。

6/22 12:00 高梁成羽美術館 テラス

息を飲むほどに美しいテラスを見た。まるでコンクリートに守られ、そして空に解き放たれるような、そんな不思議な空間だった。その空間に魅了され、売店のお姉さまにテラスに出れるのか聞いてみる。雨でもよければと言われ、決して動かなさそうに見える自動ドアを抜けて外に出る。SFみを感じさせる灰色の世界は、曇天の空と相まってこの世のものとは思えなかった。そして静かに流れる雨音が、さらに現実味をかき消していく。

この夢の中で、先輩に葉書を書いた。葉書の最後に「岡山より、心を込めて」と書いたが、正確には「夢より、」の方が正しい。この感覚、実際にここに来なければ伝わるはずもないが、断片でもいいからシェアしたい、そう思った。

テラスから出ると、売店のお姉さまがさっき建築について少し話したことを覚えていてくれて、わざわざパンフレットを手渡してくれた。こういう小さい思いやりに胸が温かくなる。

6/22 13:00 成羽 ラーメン二番目

美術館の外に出ると、まだ小雨が降っていた。「ラーメン・コーヒー」という看板と、地元のマキシマリズム全開っぽい内装に惹かれ、「二番目」に入った。ツーンと鋭い匂いがする。鼻が慣れてきた頃に、醤油ラーメンを頼み、背表紙がオレンジの本を読み進めた。そして友達がお勧めしてくれた、岡山出身の藤井風を聴き始める。醤油ラーメンは出汁がきいたさっぱり薄めの味付けで、にんじんとゴボウが入っていて新鮮だった。漬物は味が濃いめで、ラーメンと一緒に食べるとちょうどいい。こりゃ、"漬物"の"付けもの"にラーメンやないか、というツッコミは置いといて(最近本当にジョークが酷いと言われる笑)。

食べ終わった頃、ハンサムなおじさまマスターが、「コーヒーは飲まれる?」と聞いてくれた。ちょうどコーヒーを頼もうとしていたので、思わず顔が綻ぶ。ささっと出てきた小さめなコーヒーは、今まで飲んできた中で一番なくらい、すっきりとした風味で飲みやすかった。多分速さ的にインスタントかなと思うど、それでも驚くほどの美味しさだった。後ろの鳥籠には、ぴーちゃんと呼ばれる黄色と青のインコが動き回っていた。ちょうどいいから、軽くデッサンする。コーヒーのサービスのお礼にでも、と思って、お会計の後にマスターに見せてみると、素敵な笑顔を見せてくれた。隣のマダムたちも集まってきて、こしょばいような、嬉し恥ずかしな時間だった。名前を書いてよ、と言われたので、「横浜より、さり」と書いて、店を出た。

これをして初めて、この度は、お世話になった人に絵を描いて渡す旅だ、と気づいた。そうすることで、自分の心の一部を、いろんな場所に置いていくような、そんな心地だ。それは自分をすり減らすことでもあるけど、相手に何かを与えることでもある。キリストの教えじゃないけど、「与えることで、与えられる」というのはわりと本当だと思うのだ。

6/22 15:00 瀬戸大橋線

乗り換えの岡山駅で、トイレが水洗なことに安心した。というのも、ラーメン二番目はぼっとんトイレだったのだ。うちの母はぼっとんトイレがトラウマらしい。
少し前から、瀬戸大橋に謎の憧れがある。海を挟んで陸があり、それを繋ぐことで、人々の生活が広がったということのロマンだ。あと、瀬戸大橋の内側に入って橋を点検する仕事の番組を見たからだと思う。岡山の宇野港から豊島には行けるけど、あえて香川の高松港から向かうことにした。

JR瀬戸大橋線は、物凄いスピードで田んぼを超えてゆく。今は田植えの時期なのだろう、小さな苗たちが、水の張られた田んぼに所狭しと並んでいた。農業は地中の中の二酸化炭素を放出してしまうから自然破壊につながっているという記事を見たけど、車窓からの景色を見ていたら、その記事の内容はあんまりしっくり来なかった。流れる田園の風景は、圧倒されるほどに、ただただ美しいと思った。

ワクワクしすぎて、Google mapの画面を握り締めながら今か今かと待ちわびる。そして現在位置が中国地方の陸から離れた瞬間、眼下には碧い海が広がった。うォォ瀬戸大橋なうだ!!心の中で叫んだ。隣の女の子たちは、眠ったりスマホでドラマを見たり。この大橋で、海の上を遥々旅することが日常になっているんだなと思った。以前バイト先の近くに新しい駅ができた時に思ったけど、インフラを作ることは、そこに住む人たちの日常を作ることだ。それがそれが特別じゃなくなればなくなるだけ、人々の生活に溶け込み、活用されているということだ。今日私が感じた胸の高鳴りは、"ビギナーズラック"ならぬ"旅人ラック"なんだろうなと思った。あと腹が減った。

6/22 16:25 高松港

高松駅は、降りた瞬間に潮の香りがした。来たことはないはずなのに、なんだか懐かしい、不思議な場所だ。空いた腹を抱えながら、乗船口に走り、「すいません、酔いにくい席どこですか?」と聞いて船に乗り込む。隣には、現場勤務のおじさまがた2人が、缶ビール片手に、もうすぐ行われるらしきパーティーの打ち合わせをしている。小さな高速船、操縦士は女性で、レーダーを前にして舵を切る姿はめちゃくちゃカッコ良かった。船酔いするかもと思えば思うほど、酔ってる気がしてくる。いったんトイレに行こうと思ってデッキに出たら、一気に気分がよくなった。船が進んだ後には、独特の波が残る。波を切り開いて進んでいる、そんな感じがした。顔に当たるしぶきが気持ちいい。お団子にしていた髪をほどいて、全身で"風"を感じた。でもずっとここにいると"風邪"を引きそうなので、船室に戻って藤井"風"を聴いた。(ふぅ)

6/22 17:00 豊島 家浦港

島につくなり迷い、入り込んだ売店でパンフレットをもらって可愛いポストカードと芋けんぴ(レモン風味)を買った。ポストカードは友達に出す用で、芋けんぴはこれで空腹を耐え忍ぼうと思ったのだ(予想以上にレモンだった)。

6/22 17:20 豊島 民泊

お邪魔した民泊は、同じ大学の友達が教えてくれたお宅だった。自分の祖母が生きていたらこのくらいの歳かな、と思うおばあちゃん・ハナエさんが迎え入れてくれた。ふわっと、畳のいい匂いがした。手続きの紙をちゃぶ台で書いている間、日本茶を出してくれた。いいな、私も茶葉買って、誰か家にきたら出してあげられるようになろうと思った。あとiPadの写真アプリがホーム画面から消えて悲しんでいたので、長押しして戻してあげた。そういうところはちゃんとおばあちゃんだった。少し会話が噛み合わなくて沈黙になることもあるけど、それも一興だわさ。

諸々の説明を受けた後、少し部屋でゆっくりした。なんと、部屋には縁側がついていた。憧れの縁側。映画「海街ダイアリー」でどれだけ焦がれたものか。亡くなった旦那さんは大工で、彼が作ってくれたのだと、嬉しそうに話していた。そんな話をしていた時に、ふと思い出したように、「明日の朝はたけのこの炊き込みご飯を炊くわ」と言われた。しかも、「バターも入れて」という言葉で、私の幸せゲージは限度を超えた。「あ、小田和正はあながち間違っていないや、幸せすぎると、言葉にできないんだ」って。ハナエさんにバレないように、縁側に座って静かに泣いた。その間も、キッチンで何か作業する物音が亡き祖母を思い出させて、また胸がいっぱいになった。

6/22 18:30 カレー屋 異邦人

いい名前。そしてめっちゃ評価高いし、金土曜はお隣小豆島でお店をやっているっていうんだからもうとても素敵。塩麹入りのチキンカレーに、コロッケを追加して注文した。畳の席で、友達に葉書を書いて待った。その時、その友達のお母さんたしか香川出身じゃなかったっけって思い出した。あれ、高知だっけ、それは元家庭教師先のお母さんか。

出てきたカレーは、スパイスの効いたホロホロチキンと、黄色いライスのさっぱり系だった。コロッケが異常にうまくて、じゃがいもの甘さが爆発している。コロッケだけ40個食べれると思った。食べ終わる頃に、明日行こうと思っていた豊島美術館の予約を完了し損ねていたことに気づき、しかもクレジット決済しかオプションがないことにちょいパニクった。

お会計をしようとして、財布を民泊に忘れたことを思い出す。店主さんに事情を伝えて戻り、ハナエさんに予約できんことを言ったら、何やら電話をかけ始めた。そして、〇〇さんの電話番号教えて、という具合に、島の人に軽やかにコンタクトを取っていく。多分ハナエさんの中にはでっかい相関図のようなものがあって、オンライン予約ならこの人、港に勤めている人ならこの人、のように常に頼る先があるのだ。坂口恭平の提唱する態度経済を思い出した。それぞれの人の得意分野があり、苦手分野があればお互いに補えばいいのだ。ハナエさんはiPadやスマホを使いこなすことはできないけど、ガラケー一つで私なんかよりも多くの情報と関係性を使いこなすことができる。そして、こんな感じで電話で用件について話した後に、電話先の相手とお互いの近況報告が始まる。「ほいであの後どうなったん?」みたいに。とても素敵な世界線だと思った。

6/22 19:30 民泊

お風呂の栓の閉め方がわからず、5分くらい格闘したら、栓を動かすんじゃなくて、スイッチだとわかった。ハイテクやん、なんやて。毎晩、ハナエさんは、息子・娘たちとiPadでビデオ通話をずっとしている。なんならお風呂の時までつけっぱなしで、向こうの部屋から息子さんらしき人の咳が聞こえて来るのはちょっと怖かった。そして、それはまるでカップルがつなぎっぱなしにしとくみたいなノリなのだ。ハナエさんがお風呂から上がった後は、家族三人で一緒にテレビでバレーボールの日本対ブラジルを観戦していた。仲良いな〜、そして家族全体で、島で一人暮らししているハナエさんを助けている感じがする。きっと、ハナエさん自身が家族思いなんだろう。

共有スペースのちゃぶ台でこの日記を書いていたら、ぶどうと桃とさくらんぼをミックスしたみたいな果物どっさりと、冷たい麦茶をくれた。ひ〜、おかげさまで、実家ぐらいくつろいでます。そして、ハナエさんのいびきや寝言が少しだけ聞こえるのに少しだけ安心感を覚える、そんな夜1時。どうぞ、よく寝てください。

(自分でも読むの億劫になるくらい長くなってしまった、記録用ということで、載せておきます。)

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