阿佐田哲也著『麻雀放浪記』名言集〜シノギかた篇〜
「いや、聞かねえよ、健さん」と私はいった。「せっかくだが、僕も、誰とも手を握りたくないんだ。手を握ったって、僕に平和なんぞ来ないんだろう」
思わずペコリと頭をさげて、私は又、屈辱感のようなものを胸に昇らせた。
(一匹狼のつもりが、人に頭を下げてるぜ)
これでチン六は、もう私の勢力範囲の男だった。小さな恩を売って大きく利用する。それができなければ勝負の世界を泳いではいかれない。いつか此奴を、うんとこき使ってやらなければならぬ。豚同然にだ。
「不幸じゃない生き方ってのは、つまり安全な生き方って奴があるだけだな。安全に生きるために、他のことをみんな犠牲にするんだ」
「片端者と思うのはかまわねえ。それから、博打しか能のねえ虫けらだと思ったっていい」
虎はそこで真顔になった。
「だが、いっとくぞ。博打で、俺をなめるなよ。そんな顔つきして、えれえ目にあう野郎がよくいるんだぜ」
「いいわよ。博打ぐらいさせとくわ」
「博打ぐらいっていったなーー」私は車をおりながらいった。「その考えはやめといた方がいいぜ。手前に何かを軽蔑する権利なんかあるもんか」
私は無性に牌が握りたくなった。打って、そうして勝つことだけが、この惨めな気持ちを解消させてくれるように思えた。
以上、『(一)青春篇』より
「そういうやりかたもあるな。でも俺はそうしないんだ。だって、そんなら他の商売やった方がずっと楽だよ。俺が麻雀やめられないのは、俺より強い奴がいるからさ。なんとかしてそいつ等に勝ちたいんだ」
「ぎっちょはしくじったんだ。俺は罠をかけた方だ。そりゃ悪いのは俺だが、善い悪いでものごとをきめるんなら、普通の世間と同じじゃないか。この世界は技をかけた方が勝ちなんだ。勝った方をいたぶるなんて法はないぜ」
いけないことに、ドテ子はすぐに反省した。勝負中に反省したってなんの足しにもならないのに。
「儂は裸になるまでやった奴を勝負の相手として認めてるのじゃ。これを返したら、儂が奴に同情し、軽蔑したことになる。儂は奴を軽蔑したくないよ。奴だって軽蔑されたくないだろう。それが勝負の世界での人間的な関係というものだ」
「自分の手だけ考えて、他人の手も見ずになんでも捨ててくるような人は、麻雀打ちとは認めないんだ」
あとは新宿駅の改札を体当たりで突破すればよろしい。それでとにかく東京まで帰りついたわけだが、帰ったところで、どうってこともないのさーー。
以上、『(二)風雲篇』より
私は、しきりにドサ健がなつかしかった。一度として他人と馴染んだことのない、あの性格破産の博打打ちドサ健が、今どンな顔をして暮らしているんだろうか。
(健さんーー、俺たちゃ、ギャングだものな)
私は感傷的に、胸の中で呼びかけた。
(ーーギャングで生きようと、いったん定めたンだから、転向なンかできないよな。俺たちのやり方で、勝っていかなきゃしょうがねえンだ)
これが博打だ、と思った。こうやって、他のすべてを捨てて、勝負に首まで漬かっていく。これが我々の博打だ。お互いに死ぬまでこうやって打っていくのだ。
「やってみなけりゃわからない。それに、死んだってかまいません」
「儂みたいに長生きしたらどうする」
「だったら、這いずってでも博打場に行きますよ。月給取りになろうなんて二度と思いませんーー」
自分は誰の助けも拒絶する。そのためにも彼女を助けない。
遠からず、私も衰えて悲鳴をあげるときがくるだろう。きっと来る。そのときは覚悟して獣のように飢え死のう。
しかし自分に力が少しでもある間は、勝手に生き散らしてやろう。
私は、彼女を喜ばせようとするいつもの衝動を辛うじて押さえた。
「家だの会社だの国家だのなんて、みんな小汚ねえや。立派そうな顔して結局手前等のことしか考えてない。僕は、家も会社もいらない代りに、偉そうな顔もしないのさ」
「勝てないわよ。このリュックがある限り、勝てっこないわ。貴方は、今のところ何にも賭けてないんですもの。あたしにはよくわからないけど、賭け事ってそうしたもんじゃなくて?」
ばれて、総なぐりの目に会ったっていいではないか。何故、イカサマを使わないのだ。(中略)それもやらずに小手先だけで常識麻雀をやっていて、負ければ他人の金を出すのではあんまり虫がよすぎる。弥栄のいうとおり、失敗したとき、自分が傷つく条件をどこかに作らなければ、博打じゃない。
「ーー阿呆」と私はいった。「強いも弱いもあるもんか、ただ勝ちゃァいいんだ。博打ってのはそういうもんだよ。それがいやなら博打に手を出すなよ」
(ーー恨みっこなしだな。弱い奴が負けるんだ)
勝負の世界に入った以上、他人には優しくしない。どんなことをしても勝つべきだ。だから、その逆に、何をされても不服はいわない。困ったからといって、人の情など当てにしないこと。それが私たちのたったひとつのルールだ。
お前だっていずれはこうなるよ。麻雀打ちには暮らしにくい時世になったって、お前もいつかいってたじゃないか。暮らしにくけりゃ、暮らさなきゃいいんだ。
世間の人は、暮らしていくことで勲章を貰うが、俺たちは違う。俺たちの値うちは、どのくらいすばらしい博打を打ったかってことできまるんだ。
「博打は、出る目に理屈なんかねえ。張りざまに理屈があるんだ。張るか張らねえか、決めるのが、勝ち負けの分かれ目よ」
以上、『(三)激闘篇』より
私が恐縮し、卑屈になり、重罪人のような心境になるのは、腹の中の糞の塊に対してであって、私自身を含めた現世の人間に対しては、単に喰うか喰われるかの関係でしかないと思っている。表面にその二つがごっちゃになって出るだけである。だから私は、十代の未熟期をのぞいて、女を深く愛したことはない。いつも不幸だが、不幸であることを不服に思ったこともない。
「奴はカモなのか」
「ああ、そうだよ、カモでない奴なんか居るかい」
「チェッ、調子いいぜ、未来のお前に頭をさげているだけじゃねえのか」
「いや、駄目だ。俺ァもう野っ原じゃ生きられない」
「月給取りは面白えか」
「面白ぇかって?」と私はいった。「俺ァこういってるんだぜ。もう面白え生き方をする力がなくなったんだって」
「俺もその点は似てるんだ。人のいうことなんかきかねえよ。人を喜ばすことなんか大嫌えだ」
とドサ健はいった。「俺の商売に必要なとき以外は、お前なんかにツバもひっかけねえからそう思え」
健はおとろえようとする心気を一心にかきたてた。
(ーー昔の俺を思いだせ! 負けるなんぞと思わなかった頃の俺を!)
「だが敵にはものを頼まんだろう。俺は友達として、ここへ来たよ。ーーどうだい、俺は友達かい、それともオヒキかい」
ドサ健は、ペッと唾を吐いた。
「友達なんかであるもんか。ーー奴等も、それからお前もだ、お前たちはカモよ! ようし、俺は一人で行くさ!」
「だけど、あンたは一人だよなーー」と森サブがいった。「決して誰にも優しくなんかしない。生意気いうようだが、そこがあンたの魅力だよな」
「そうはいかねえ。俺は上野(のがみ)の健ーー」とドサ健はいった。「駅の売店で新聞を買って、そいつを毎朝どこのベンチで読むか、公衆便所はどこそこの何番目を使うか、ウエイトレスとイタすにゃどの店がいいか、一から十まできまってたんだ。もう十年もあそこに居たんだからな。手前なんぞにゃわかるめえが、住めば都ってのは、そうなってからの話よ」
以上、『(四)番外篇』より
「性格破産者だったが、えらい奴だった。ドサ健は、どんなときでも、いつも身体を燃やしていた。そうして、もうこれでいい、なんて金輪際思わない男だった」
「ムチャクチャだけど、ぼくはイカサマはしないよ。一生懸命働いて、一生懸命遊ぶ。そうしてぼくの好きな人たちを一生懸命愛そうと思う」
「おじさんはどうなの。なぜ、いつまでそんなことをしてるの。さっさとやめて、もっと平凡な、誰でもしているようなことをして生きればいいじゃないの」
「うんーー」
今度は私が、言葉をつまらせる番だった。
以上、『新麻雀放浪記 申年生まれのフレンズ』より
私も、少年の頃から一人で独立国を守っているようなしのぎ方を続けてきて、そのためどこにも無駄な敵をつくらず、どの方角とも相和すような構えで生きてきた。そうしているうちに、本当に人間同士が睦み合うことがどういうことだか、忘れかけてしまっていた。
『黄金の腕』収録「夢ぼん」より
「お前等は外で道具でも、親もとへ帰れば道具じゃなくなるだろう。俺はそうはいかない。独立国だ。俺みたいな奴は自営しなけりゃ生きてる意味がねえさ」
「独立戦争で、戦死することがある」
「ああ」
「それでもやるか」
「もちろんだ──」と奴はいった。
『東一局五十二本場』収録「快晴の男」より
「お前だけじゃねえよ。深まになるってのはそういうものだ。こいつァもう病気さ。(中略)人より強いってのがすでに病的なんだ。病的に深まにならなくちゃ、これで飯は喰えねえんだよ」
『雀鬼くずれ』収録「末は単騎の泣き別れ」より