本と不登校と。
リビングに、大きい方の息子氏の本が2冊置いてあったのでお先に読ませてもらいました📚
2冊ともストーリーに入り込んで涙なみだ
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)でした。
数日後に息子氏が読みはじめていたので、泣くか泣くか?😙と思ってチラチラと観察していたら、なんと笑っているではありませんかー🙄
2冊目も読み終えて。
👩『どうだった?』と聞いたら
👨「2冊ともおもしろかったよ」と。
2冊とも主人公は子供なのだけど、
登場人物は主に家族。と、主人公にとってのメンターのような存在。
えー泣かないどころか面白いってドイウコト??
どういう所がおもしろかったのか聞いたら、私にとっては背景でしかなかったシーン。
えー!そこっ?!そこに注目したんだ?!
👨「ママはどこが悲しかったの?」
👩『悲しいとか感動とかじゃなくて、感情が動かされて勝手に出てきた涙だよ。』
👨「へー。それってママが母親だからじゃない?僕は子供だから。」
ハッとしました。
確かにー。
私は【わたし】だから【母親】とか【妻】って日頃からあまり意識して生活していないのだけど、家族の物語りに入り込んだとたんに意識が勝手に【母親】になって読んでいたんだ。
なるほど、そーかそーか。
逆に息子氏はまだ子供だから【主人公(子供)】の意識で入り込んでいたんだね。
となると、主人公の子供に対しての大人側の感情は本当に勝手なものなのだな。
可哀想だとか。本人は思っていないのに、周りが可哀想な子だと勝手にレッテルを貼ってるってありがち。
学校に行かない/行かれない子供達のことも、何目線かによって見えているもの、感じていることが全く変わると思う。
本人目線、母親目線、父親目線、祖父母目線、兄弟目線、先生目線、カウンセラー目線、先生(学校)目線、医者目線などなど。
不登校の理由は千差万別で、本人にもわからない場合もある。
外野が自分目線で、または勝手に本人目線になって何かしてあげようは、多分からまわりになるのだと思う。
小学生だろうが中学生であろうが、自分(本人)がどうしたいかが大切と思う。
だけど、本人置き去りな感じが結構見受けられるのだな。。。
本は昔から好きだから、息子達に読み聞かせした後にあーだこーだ話してはいたけど、息子が小説を読むようになってからは、私も息子の本を読まないし、意見交換的な事をした事がなかったから【目線】に気がつけた事は、私にとって目からウロコでした。
どちらの本も最後は完結ではなくて、読んだ人それぞれの想像の世界だったので「きっとあの後はこうなったと思うな。」とか「あの人はこんな性格だからこの後はこうしたはずだ」とか、そこら辺の考察は母子同じで盛り上がった😆
本て、読む人の立場によって、見え方感じ方が全く違うものになる。
だけど、違う道に進んだけど最終的に同じ道に出たね!みたいなこともあって面白い😊
本てホントすごい(笑)
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