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6歳 毎日が日曜日
私が小学校入学まであと半年というところで、私たち一家は江戸川区篠崎というところに引っ越した。
江戸川の土手から百メートルほどのところに新築の二軒続きの平屋が二棟あり、四世帯が入っていた。隣に大きな屋敷の家が一軒あるだけで、ほかには畑しかなかった。車の往来もほとんどなく、道に蝋石でいくらでも絵が描けた。蝋石で描いた線にそってケンケンパをしてよく遊んだ。
その四世帯は、私の家族、大人ばかりの家族、母と子、独身のバッグ職人、という構成だったが、お互いにおかずをおすそ分けするなど、いい関係を保ちながら暮らしていた気がする。
そこに引っ越す前に住んでいたところは、品川といっても大井町駅と大崎駅の中間地点で、一番低い場所に戸越銀座があった。そこから上った平和坂商店街には、銭湯から魚屋、肉屋、八百屋、薬屋、パン屋、電気屋、花屋、お茶屋、布団屋などがびっしりと並んでいた。
賑やかな下町にあったのは人、人、人。家の前は商店街に買い物に来る人でいつもいっぱいだった。戸越公園に行かないと土や草や花を見ることはなかった。家もほとんど隙間なく建てられていて、外で遊べる場所は隣の家との狭い通路の一坪ほどの所しかなかった。そこでおままごとをして遊んだ。
私は一人遊びが好きだった。
また、一人でどこにでも行ってしまう子供で、私は覚えていないが、何度か交番のおじさんに連れられて帰ってきたこともあるそうだ。
江戸川に引っ越したのは8月だった。
「小学校入学まであと半年だけど、幼稚園行く?」と母が聞いてきた。
「・・・え? 行かなくてもいいの?・・」
「行かなくてもいいよ、あと半年だし」
「・・・じゃ行かない。だって、幼稚園に行ったら、そのままずっと学校が続くんでしょ?」
ということで、幼稚園には行かず、私にまったく自由の時間ができた。
私がそれまで通っていた幼稚園は音楽学校の付属幼稚園で、朝から帰りまでミュージカルのように歌を歌いながら活動していた記憶がある。朝は母が早くから行かせるので、毎日早すぎて門が開いてなく、園長先生が来るまでずっと待っていなければならなかった。幼稚園は必ず行かなくてはいけない場所だと思っていたので、幼稚園に行かなくてもいいなんて、とてもうれしかった。
一日中好きなことして遊んでいていいのだから。
姉はその時小学校三年生なので、私だけに与えられた特権だ。
昭和三十九年頃の江戸川の土手は、映画「男はつらいよ」に登場する散歩したりするような見晴らしのいい場所ではなく、子供の背丈よりも雑草が高く伸びて前が見えなくなってしまうから、ちょっと怖い感じがした。草が生い茂ったままの自然そのままの土手だった。そんな土手は格好の私の庭となった。
高く伸びた草の先にジュズダマを見つけて、お手玉の中に入れてもらったり、いっぱい取って糸でつなげてネックレスにした。オシロイバナの季節には、種の中にある白い粉を人形の顔につけて正におしろいにして遊んだりした。一人でもいっぱい遊べた。時間を気にせず土や草と思い切り遊んだ初めての場所だった。
一日中遊んでいるから、四軒の住人ともすっかり仲良しになった。朝出かけて夕方帰るサラリーマンは私の父だけだった。昼間だけ家にいるおばさんは、金属の茶筒を枕にテレビを見ていたと思ったら、夕方になるときれいに着物を着てお店に出かける。茶筒なんか使って痛くないのかな、と姉とよく話していた。皮のバッグ職人のお兄さんは水槽の中にタニシをたくさん飼っていた。タニシはあまり動かないし、色も黒くてどこがいいのか私にはわからなかった。母から仕事の邪魔をしないようにと言われていたが、毎日玄関の上がり縁に座って作業を見るのが好きだった。
家から歩いて行けるところに、お煎餅を作っている所があった。雨でなければ、焼く前の白いお煎餅が金網の上にびっしりと並んでいた。乾いたらそれを一枚づつ押さえながら醤油をつけて焼いていくのだ。こんがりと醤油の香りがしておいしそうだが、きれいな丸いお煎餅は買ったことがない。欠けたり焼きムラが出たはじきものを安く売っていたので、母に頼まれて時々買いに行った。形は悪くても味はいいから、はじき物が売り切れている時は本当にがっかりした。
農家に野菜もよく買いに行かされた。そこにしかない人差し指ほどの細くて短いキュウリを母は好んだ。いつもあるわけではないが、それがなければほかの物は買わなくていいとまで言った。私は母の喜ぶ顔が見たくて、細いキュウリありますようにと願いながら歩いたものだ。
その頃から少しずつ、両親は持ち家の計画を立てていたようで、江戸川の向こう側、千葉県に引っ越すこととなった。たった二年間だったが、初めて自然と思い切り遊び、新しい人たちに出会った思い出深い場所だ。
大きくなってからも、東京方面へ行く電車で江戸川の土手が見えると、あの人たちどうしてるかなとよく思ったものだ。