4歳 私だけ入れない見世物小屋
四歳の頃、お祭りの時期になると、家の前の道に山車が置かれた。
山車がそこにある間は、小さい子どもはいつでも上に乗って太鼓を叩くことができた。
誰も怒る人はいなかった。私は大人のマネをして、ドーンドーンドンカタカッタ、ドーンドーンドンカタカッタと叩いてよく遊んだ。
お祭り本番には大人が大勢で山車を引っ張り、子どもは親と一緒に山車につながっている縄を持って歩き、町内を一周まわる。最後までついていくと、子供はお菓子とビニール袋に入ったジュースがもらえた。
私も姉にくっついて歩き始めるがすぐに飽きてしまい、その一団から抜けてどこかに遊びに行ってしまう。そろそろ一周して戻ってくる頃になると、すっと姉のわきに並び、知らん顔してお菓子をもらっていた。姉は私より三歳大きいので何も言わなかったが、
一つ年上の従妹は「マーちゃんずるい」と言って、お菓子をもらうときにおじさんに言いそうで、私はびくびくしていた。
私のたった1つのお目当て「ハッカパイプ」
神社にはアンズあめや綿菓子、くりぬき、ヨーヨー、金魚すくいなど出店がたくさん立ち並ぶ。
中でも私のお目当てはたった一つ、首にぶら下げるハッカパイプだ。
小さなお人形のプラスチックの入れ物に綿と一緒にハッカの粉が入っていて、パイプのように吸うとスースーして気持ちがいい。首からぶら下げるのでアクセサリーみたいできれいだった。男の子用に飛行機やロケットの形もあった。小さな子供が買うものにしては値段が高かったので、それを買ったらもうほかのものは買えなかったが、私はそれさえ買えれば大満足だった。
お祭りの神社は坂を下って大崎駅の方向にしばらく歩くので家からは遠く、姉と二人で行くのは許してもらえなかった。従妹たちと四人なら行かせてもらえた。従妹と言っても五歳と八歳で私たちとほとんど一緒だが、大勢なら安心ということだろう。
神社の催しで私だけ入らせてもらえない場所があった。
それは、見世物小屋だ。
鼻から入れて口から出すとか、オオカミに育てられた人間とか、看板を見ただけで恐ろしそうな出し物をしている小屋があった。
令和の時代にはあってはならないものだ。
中ではどんなことをするのか知らないが、姉たちがウキウキした顔で中に入っていくのをいつも見ていた。
しばらくして、
「すごかったね」とか
「あれ本当かな?」とかなんとか言いながら姉たちは出てきた。
「マーちゃん、行かなくてよかったよ、すごく怖かったもん」
四歳の私と五歳の従妹との違いはそんなに大きいのか、と小さいながらに思った。
まあ、私はハッカパイプのハッカがあるうちは気分は最高だから、見世物小屋なんてどうでもいい。
ハッカパイプがあんなに魅力的だったのは、もしかしたらハッカには中毒性があったのかもしれない。