中1 登下校を歩きにしたら
私の通う公立中学校は家からバスで15分ほどの所にあった。
当時は1学年に13クラスあって、全校生徒が1700人ものマンモス校だった。周辺のいくつかの小学校から集まっていたが、私の住む地域から学校までは遠いので、みんなバスで通っていた。しかし、バス停で待っていても乗る人が多いため、あっという間に定員オーバーで乗れなくなってしまう。次のバスを待つのだが、それに必ず乗れるとも限らなかった。だから、かなり早くからバス停に並ばなくてはならなかった。
ある日、友達と二人で歩いて学校に行くことにした。バス通りではなく車の少ない裏道を通るので一時間もかかったが、静かでのんびりして気持ちがよかった。
帰りは部活動などで帰る時間が違うので、バスに乗れないということはなかったが、友達と一緒に帰りたくて結局行きも帰りも歩くことにした。
帰りは急ぐ必要もなく、友達とのおしゃべりに花が咲いてなかなか家にたどり着かず、二時間かかることもあった。時には、送りっこと称して、友達の家の近くまで送って、それでは悪いからと友達が私の家の近くまで送って、その繰り返しをしているうちに、さらに帰宅は遅くなった。いつまで一緒にいても話は尽きなかった。
そして、家に帰ってもまた電話でおしゃべりだ。
さっきまでずっと話していたのに、それに、また明日会うのに。
今の子供たちが時間を忘れてLINEでやりとりするのがよくわかる。
当時の通学カバンは、男子が厚い布製の白い斜め掛けバッグで、女子は皮の黒い手提げカバンだった。手提げカバンは長い時間持つには向いてなく、重くて手が痛くなると、右に左に何度も持ち直さなくてはならなかった。男子は肩掛けカバンだったから歩きやすそうだった。
また、サブバッグは今のエコバッグのような折りたたみの薄い生地でできているので、重いものを入れると縫い目が簡単に破れてしまう。さらに毎日その袋にお弁当も入れるのだが、お弁当箱も今のようなハイブリッドではないので汁もこぼれて、学校に着くころには、なんだか煮物の匂いが漂ってくる。
今はどうかわからないが、私の中学校は給食がなかった。生徒数も多く、自校で給食の準備をするには相当大きな設備を作らなければならず、かといって、給食センターからの運搬には車の渋滞という問題もあって、弁当ということになったのだろう。
歩いての登下校はそのまま中学校卒業まで続いた。
先日、「体力」について、ある大学教授の講演を聴いた。
その話の中で、
「大人の体力は中学生の時にどんな生活をしていたかによって大きく違ってくる」というものだった。
私はスポーツは苦手だが、体力には自信がある。足は太いし、歩きも早い方だ。これは、まさに中学生の時の毎日の登下校で鍛えられたに違いないと、その時確信した。
今は人生100年などと言われているが、現在、元気でいる後期高齢者の人たちが子供だったころは車もなく、私たちよりも、もっともっと歩いたのだろう。だとしたら、これから続く高齢者である私たちは、世間で言われているほど長生きはできない。
私のように地方で車の生活をしていたら、長生きしても歩くことは難しくなるだろう。外を長く歩くということがほとんどないのだから。
地方で車の生活から足を洗うのは、そう簡単な話ではない。
先日、私の軽自動車がいよいよ寿命を迎え、買い替えなければならなくなった。車屋さんで次の車の相談をしたところ、「何歳まで車の運転をしますか?」と聞かれた。
私は当分車の生活をやめるつもりはないから
「体が動く間はずっとしますよ」と答えた。すると車屋さんは、
「じゃ、もうこれで買い替えるのは最後ですね」と言った。
その言葉に結構ショックだったが、そういう年齢なんだと納得せざるを得ない現実を突きつけられたのだった。