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第1話 escape :エンジェルスクール・オンライン 週刊少年マガジン原作大賞 連載部門

epigraph

 君も、ゲームに参加していいんだよ。

 あるゲームが大好きな先生は、ズルばっかりしてきた犯罪政権の、その兵士だった私にそう言いました。
 そのゲームは、理想と違わぬ現実をつくる、大規模多人数同時参加型ロールプレイングゲーム、MMORPG。
 誰もが平等に機会をあたえられて、
 誰もが自由に考えて動き回って、
 誰もがみんなのためにルールを守って楽しく、なりたい自分になっていくゲームです。

 先生はそれを、民主主義と呼びました。 

 だからあのとき以来、何度も空を見上げます。
 そのゲームを続けるために、祖国の政権を裏切ることになったとしても。

 もしも天使に、なれたのなら。

 アンジェリーナ・ルクス 国連総会議事録より
 

title: angel school online

prologue

lux:

 私が小さい頃から、空を飛ぶ航空機を見つけるたびに、母は言ったものだ。
「ほらみて、私たちの天使よ」
 憧れと共に笑いかけてくる母。政権が侵略犯罪を始める直前の、航空機にただ憧れを抱いていた頃のゲームプレイヤーの母を思い出す。そして、父の言葉も。
「僕たちのゲームは最後の自然、空で繋がっている」
そして、無垢だった私の姿も。感嘆の声をあげ、ゲームプレイヤーだった私はふたりに言った。
「私も、天使になる!」
 母は、そして父は、そのたびに微笑んでいたものだ。

 あれから数年が経過した。
 私はiPadとゲームパッドを抱え、自宅のルーフバルコニーの扉を開く。ロシアの古くからの街並みが私の周囲を包み、その遠くでは、巨大なビル群もみえた。都市部の常套句《クリシェ》のような景色だ。
 私たちの家の小さなバルコニーには、アンテナとハンモックだけがある。私はハンモックに身を任せ、寝転がる。そうして空を見上げた。
 すると、周囲の街並みも、ビル群もみえなくなる。残っているのは晴れ渡った空だけ。ずっと遠くに見える雲と、空の青だけが、私を見下ろす。父から言われた言葉を思い出す。
「空は最後の自然、か」
 そこに、旅客機が横切っていくのがみえた。そうして、アンテナを見つめる。そして、iPadで起動した画面を見つめる。
 エンジェルスクール・オンライン、と書かれている。
 ゲームを起動し、自分のアバターの背中がみえたとき、ゲーム内メッセージがちょうど届いた。おなじ中学を卒業した友達たちからだった。
「ねえ、私たちは大丈夫なんだよね?」
 私もiPadのMagic Keyboardで打ち返す。
「きっと、何かの間違いだよ」
「そうだよね。そうなんだよね……」
 私はいろんなことを書きそうになったけど、感情を抑えてこう書いた。
「きっと大丈夫」
 車の音に気づく。私はハンモックから降りて、バルコニーから下を見下ろした。そこには、見慣れない車と、見慣れない人が私の家のチャイムを押していた。

 私が家の中に戻り、玄関に向かうと、来訪者はちょうど去ったのか、扉が閉められたところだった。両親たちはそれぞれに書類を手に抱え、立ち尽くしている。母が振り返ってくる。けれど何も言おうとしない。私は訊ねる。
「なにがあったの」
 父が、私に書類を手渡してくる。そして言った。
「国民総動員だよ」
 母は言った。
「子供を誘拐する仕事なんて、いや……」
 父は母をただ抱きしめる。そして言った。
「君がデモに行って暴力を振るわれるのをみるのも、もうごめんだよ」
 そしてiPadを抱える私に振り返る。
「僕たちが向かえば、うちの娘が国連高専に行ける。彼女に未来を託そう」
 私はiPadを抱きしめる。そんな私に、父は言った。
「いずれここを発つときが来る。リーナも一緒に準備しよう」

 私たちのみっつのリュックが出来上がっていた。
 両親はそれぞれのリュックを背負い、玄関の扉を開けようとする。
 私はどうにかふたりを止める。
「行かないで」
 母は涙を堪えながら、微笑んでこう言った。
「リーナ。私たちの天使になってね」
 そして抱きしめてくれる。私は抱きつく。
 けれど、彼らの持つ書類をみて、体を離してしまう。
 父もその様子に小さく頷く。そして言った。
「ここまでの責任は、僕たち大人が取る」
 そして、扉が閉められる。

 この一軒家には、父と母がゲームで興味をもって買い集めた人工衛星と戦闘機の本、そして様々なフィクションの本が溢れる。本たちは、なにかを語りかけてくれている。けれど自宅には、私一人しかいない事実は変わらない。
 私は父と母がしていたように、iMacの画面から、アメリカのニュース記事を見ていた。そこに書かれたコメントを見つめる。
「やつらの政権は、自分たちを悪魔祓いを宣っている。本当の悪魔を誰なのか、奴らを誰が選んだのか、よく考えるべきだ」
 つぶやく。
「わたしたちが、選んだんじゃないのに」

 私はまた、バルコニーのハンモックにいる。iPadで繰り返してきたゲームのストーリーモードをまたしていた。
 それは、実在する本物の天使の物語。
 彼女こそが両親たちの、そして私の、現実とは思えない自由と平等の夢の世界、ゲームのフィールドへ導いてくれるウクライナの天使だった。スラヴ系の端正な顔立ちと金色の髪を結えた彼女は、ゲーム内でのインタビューで、冷静に答える。
「君も、ゲームに参加していい。そう先生から教わったんです」
 私は、わずかな希望を抱き、遠い雲たちを見上げてつぶやく。
「もしも天使に、なれたのなら……」
 このウクライナの天使こそが、私を導く星だった。
 このゲームストーリーを何周もしてきたから、よく覚えている。
 ミシェル。国連軍の航空機パイロットにして、ロシア政権に侵攻された地域のウクライナ難民。侵攻された地域でロシア政権による未成年連れ去りに遭遇するものの、国連軍に保護され、先生と運命的な出会いを果たす。のちにウクライナ軍と共に戦うために国連の制度に志願。いまや伝説の航空機パイロット。
 彼女は、国連安全保障大学高等専門学校の学生。この星の犯罪政権を撃滅し平和維持に参加する国連軍としての義務を与えられる代わりに、難民としての保護を受け、生活と教育の場を提供される、国連の高等教育機関にして、軍産議複合体。
 人はそこを人類史上最大の民主主義の実験場にしてゲームフィールド、エンジェルスクールと呼んだ。
 エンジェルスクールのプレイヤー、すなわち学生でもありこのオンラインゲームのプレイヤーでもある彼女とその部隊が示す、史上最高の撃墜記録と撃墜対被撃墜比率《キルレシオ》は、数多のゲームプレイヤーをこのオンラインゲームを参加させ、それでもなお数字はそう簡単に覆ることはなかった。そうした兵士向けの実用性を要求し続けるシミュレータとしての運用のおかげか、このゲームは娯楽性を確保しつつ、あまりにもリアルな操作性やカスタマイズ性を実現させていると評されている。
 彼女の実力はパイロットとしてだけでなく、エンジニアとしての技能にもあった。国連高専において国連によるこの星全てに情報通信インフラを無償提供する衛星通信サテライトコンステレーション:レゾナンスを戦闘機にくくりつけたロケットで実現させるプロジェクトにもテストパイロットとして参画。地球規模の通信技術の発展に貢献している。地球儀のマークが戦闘機の尾翼につけられている。
 私の隣にあるアンテナも、そのレゾナンスと繋がるためのものだ。こちらにも、地球儀のマーク。
 ゲームストーリーにおいても、ミシェルの乗る戦闘機が空に向かってロケットを発射している。そのロケットがやがて、小さな人工衛星の仲間になり、オンラインの世界を普く広げていき、同時にかつては国家機密とまでされたミサイルや戦闘機の設計やパラメーターすら公開され、ゲーム内では様々な人たちがゲーム内通貨をかき集めて設計を組み上げ、製造し、ロケットを飛ばしている。ゲーム内でダイヤや核兵器、配達物を無限にどうこうする人々がかつていたので、世界にとってはなんら不思議なことではなかったようだ。
 そんな空想と現実のどちらにも生きる私たちゲームプレイヤーの代表者でもあるウクライナの女の子は、国際法違反の犯罪政権、ズルばかりする私たちの行政と真っ向から戦うウクライナの希望でもあり、全世界からの祈りを空で抱く、天使へと至っていた。
 天使がもたらしたのはこのエンジェルスクール・オンラインのプレイ人口だけではなかった。この学校そのものの多大な宣伝効果をもたらし、国籍を問わず様々な人たちが入学を希望している。募集定員を設けないのは、それだけ本物のエンジェルスクールでも仕事がたくさんあるせいでもある。
 だから私も、エンジェルスクールの書類と、航空券と、そしてパスポートを持っていた。
 これから入る学校の書類たちを見つめる。
 この学校でやることはわからない。だからこそ、さまざまな本を買い集め、映像を見続けて、そして空を見上げる。
 そのとき、めずらしくチャイムが鳴った。私は走り出す。そして扉を開けた。
「お母さん、お父さん!」
 けれどそこにいたのは、両親ではなかった。知らない大人だ。彼らは私を見下ろし、口を固く結びながらも、言った。
「君のご両親は、お亡くなりになられた」
 そして彼らは、紙を手渡してきた。それは、私の両親の名前が載せられ、政権の署名が施されている。母の言葉を思い出す。
「リーナ。私たちの天使になってね」
 その書類を持つ私の手は、震え始める。目の前の大人は、さらに言った。
「君の番が来てしまった」
 そして私はもうひとつの紙を受け取る。そこに書かれたのは、私の動員を促す書類だった。父の言葉を思い出す。
「ここまでの責任は、僕たち大人が取る」
 私は大人を見上げる。
「ふたりは、どうして……」
 私の様子をみて、大人が答える。
「革命のさなか、亡くなった。君を召集するのも、報復措置のようだ」
 震える私に、大人は言った。
「衛星通信を使えるようにしているはずだ。あれと一緒にいますぐ空港へ出発しよう」
 そうして新しい航空機チケットを手渡される。今日の日付が書かれている。
「なぜです」
「アンテナとルーターは君を守るための保険でもあると、君の母から聞いている」
「あなたは、父と母の……」
「それ以上は言うな。いますぐ行こう。四分で支度を」
 私は家の中に戻り、アンテナとルーターをしまい、荷物を抱えて出てくる。彼は言った。
「四十秒だったか」
 彼は私が手に持つiPadに気づいた。
「それは?」
「最後のつながり」

 空港まで車を走らせ、私たちは車を急いで出る。大人は言った。
「悪いが時間がない、早く」
 私がどうにかアンテナを下ろしているとき、そして彼は私の代わりにアンテナを抱えてくれる。私たちはほとんど全力疾走で空港を走っていく。するとその先には、たくさんの人たちでごった返している。大人はため息をつく。
「予約をまだ取れていない人たちだな」
 通してくれ、そう大人がいいながら、私たちは人の垣根を通っていく。不安げな私に、彼は言った。
「君はあの学校に行けるよ」
 私は頷く。そうして保安検査場にたどり着く。荷物を置こうとしたが、検査員たちは首をふった。
「検査は済んでる。先に行ってくれ」
 私たちは頷き、そして検査場を通って走り出す。その走り出している人たちは知らない人たちだったけど、みんな必死にゲートを目指していた。
 そうして遠く遠く離れたゲートへと向かう。息があがりながら、私は言った。
「極東って、こんなに遠いの……」
「しかたがない、日本への直行便なんてほぼないんだ。みんな、あのゲームの学校を目指している」
 振り返ると、年齢を問わない様々な人たちだった。けれど、たしかにみなどこか若々しい。
 そうして受付員の人に航空券を私たちは見せる。受付員の人はすぐに頷き、
「どうぞ、良い旅を」
 私たちは出発ギリギリのほぼ誰もいない回廊を走っていく。そうして飛行機の中に入り込む。キャビンアテンダントさんはうなずき、どこかに連絡をする。
 私たちはたくさんの人たちが乗り込んでいるのをみる。誰もがほっとしてはいたものの、唇を硬く結び、窓の外を見つめている。
 私たちも客席に座り、ほっとする。大人は微笑んだ。
「そうだな。僕たちも、この国に別れを告げるときが来てしまった」
 私は窓の外を見つめる。小さく、雪がちらつきはじめていた。
 そして、飛行機が動き始めると、さらに安堵の声が聞こえた。そして、すすり泣く声が聞こえる。私も唇をかたく結ぶ。
 滑走路に辿り着き、徐々に加速していく。そして、離陸していく。そして、私の故郷が見えた。
 誰もが自分たちの故郷を、じっと見守っているんだろう。私はそう思いながら、自分の家のあったであろう場所をみつめる。
 これから、あのゲームの世界に自分もいくんだ。
 そのとき、なにか別の轟音が聞こえた。大気を吸い込みながら燃やした時のあの音だ。私はすぐに窓の外にその轟音の何かをみつける。
 それは、私たちの国の戦闘機だった。それが、一目散で私たちのもとへと走ってきている。わたしはつぶやいた。
「なんで……」
 やがて戦闘機が私たちの横へと張り付く。そして、なにかのサインを出している。
 私たちの乗る飛行機は、急旋回を始める。
 そうしてやがて、先ほど旅立ったはずの空港がまた見えてきた。
 全員が息を飲んでいた。なぜなら、その空港には、さっきまでいなかった大量のヘリや兵士たちが現れていたからだ。
 そうして航空機が着地していく。誰もが視線を泳がせ、それでいながら固まっていた。
 先ほど出たはずの元のポートに辿り着き、そして兵士たちが入ってくる。彼らは誰もが無表情だった。そして何を言うまでもなく銃をつきつけ、私たちにそこを出るように指図してきた。
 私の隣の大人は、うなだれていた。
「なんでだ……」
 そうして外に出ると、今度は手錠をかけられた。そして、国民総動員の紙を手渡される。
 私は空を見上げていた。そして、奥歯を噛み締める。
「私は、ゲームに参加できそうにないよ」
 その空に浮かぶ雲は黒く、空の光も衛星通信の電波も、通してくれそうになかった。


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