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生徒たちの居場所を示すベツレヘムの星:先生となって ブルーアーカイブ感想
ずいぶんnoteを更新していなかった。
ハヤカワSFコンテストに応募してからずっと、凄まじい風邪を患いながら(ただしご時世のアレでもなく、インフルエンサーにもなれなかった)、ブルーアーカイブをやっていたからだ。
こんなにぼろぼろ泣きながらやったゲームは、いままでなかったかもしれない。
年々涙もろくなっているのは事実だ。
大人になっていくにつれ、さまざまな人の出す回顧録をはじめとする本を通していろんなことを学べば学ぶにつれ、暴力や恐怖、支配に怯えることのない場所をつくりだすことの、基本的人権というものを守り抜くことの難しさを、思い知らされているからだ。
アリスのように自らの手で自らの運命を定めることの難しさを、僕は思い知らされている。僕がどんなに勇者になりたいと願っても、魔王のほうが本質に近く、適切な権限分散をできないITシステムの独裁者だからだ。
アズサのように、モモフレンズが大好きで、補習授業部のような、自分が傷つけられず、自分らしくいていい場所に居続けることの難しさを、僕は思い知らされている。かつて僕は、絵も小説も書いてきた事実をほとんどの会社の人に伏せて生きていて、側からは超然とした様子と評されかなり訝しまれてきたからだ。僕はいまいる場所を自分が信じる理想の場所にすると決めるその時まで、何者でもない、異邦人だった。
ミカやサオリのように、はじめは純粋な願いだったのに、結局は罪を背負うことになり、それでもなおもう一度誰かのために立ち上がることの難しさを、僕は思い知らされている。僕はそんなふうに立ち上がれず、数年の同棲から一人暮らしになってしまったからだ。
なによりもあのシロコのように、支配や暴力、恐怖に怯えることなく暮らせるようにするということの難しさを、僕は思い知らされている。この仕事につき、自分なりの指針に至るまでの間、さまざまな大人の支配や暴言、恐怖に怯えながら暮らしてきたからだ。
けれど生徒たちは、必死になって自分らしく生きようとがんばる。この結果をつくりあげたのは生徒たちだが、そこまで導いた先生の存在は避けて語ることはできない。
そんな先生は、不可解な存在かもしれない。ときには生徒たちを救う運命、機械仕掛けの神のようにみえるかもしれない。外なる世界の力を抱くほどの、あまねく奇跡の終着点かもしれない。
けれど先生の願うことは、あくまで生徒たちが願うことを手助けすることだけだ。生徒たちの願いを土足で踏みにじり、自分の醜い自己実現の夢を押し付ける子供などではない。そんな矮小な存在が、こんな人間讃歌を語れるはずがないのだ。
「責任は、私が負うからね」
「それが、大人のやるべきことだから」
「君がなりたい存在は、君自身が決めていいんだよ」
「生徒たち自身が心から願う夢を」
「いつもがんばってくれてありがとう」
「ミカは魔女じゃないよ」
「いってらっしゃい、いざというときは責任取るから」
「この先に続く未来には、無限の可能性があるんだから」
これが、大人としての、責任と義務。そしてその延長線上にある選択。
生徒たちの居場所を示す、ベツレヘムの星。
あまねく奇跡の始発点。
これが、生徒を導く星、先生であるということなのだ。