クラシック音楽の話(21)
モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』
モンテヴェルディといえば、かの大バッハより100年も前に活躍したイタリアの作曲家で、その高い才能は、バッハ研究家でさえ「残念ながらモンティベルディには敵わない」と評するほど。ヴェネツィア音楽のもっとも華やかな時代のひとつを築いたとされ、その彼の宗教曲の最高傑作が『聖母マリアの夕べの祈り』でありますね。題名のみならず、比類のない美しい音楽です。
私ごときが言葉を尽くしてもその感動をお伝えすることはできませんので、ここで作曲家・音楽評論家の菅野浩和さんの言葉を引用させていただきます。
―― こんなに深い味をもった、滋味尽きない音楽を、私はそれまでに全く知らなかった。ずいぶんいろいろな音楽を聴いてきたつもりだったが、これほど感動的な名曲があるのかと、私はその日からこの曲に夢中に なった。それ以来、しばらくの間は、寝ても覚めてもこの曲のどこかの部分が耳に残り、この曲以外のどんな音楽も虚ろにしか響かない日々が来る日も来る日も続いた。まさに中毒症状である。
この中毒症状から脱したのは、およそ1ヵ月くらいたってからだろうか。だからといってその後の私は、この曲に感動しないというのではなく、やはり相変わらずこの音楽は、私の最もたいせつな、いわば「魂の音楽」である。
全部の曲を通すと3時間近くもかかるこの大曲の、終末に置かれている2曲の「マニフィカート」の壮麗さ、深遠さはどうだろう。「マニフィカート」は古典派時代にいたるまで、何人もの作曲家によっていくつもの名曲が書かれてきた。しかしこの2曲のマニフィカートの前には、他の総ては色褪せてしまう。――
「マニフィカート」とは”崇める”の意味で、ローマ・カトリック教会の典礼において晩課(晩の祈り)の中心をなす歌のことです。この曲をまだお聴きでない方がいらっしゃいましたら、ぜひとも静かな夜長の時分にお聴きになってくださいな。私のような者には、この音楽の宗教上の役割や歌詞のもつ意味、歴史上の背景などを実感することはできませんが、間違いなく、心が洗われるような、まさに「魂の音楽」です。
愛聴盤は、ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイスツによる1989年の録音です。作曲家が楽長を務めていたというサン・マルコ大聖堂でのライヴ録音ですが、とてもライヴとは思えない一糸乱れぬ完璧な演奏、また、ライヴならではの緊迫感あふれる名演であると思います。
ライブ!
芸術監督のルネ・マルタンさんは、ライブ音楽についてこんなふうにおっしゃっています。
「ライブというのは、最も美しく、最もいい経験だと思います。なぜなら、アーティストというのは不思議な存在で、これから演奏を始めようという時、自分の目の前にいる人たちを知ろうとするんですね。会場の聴衆を把握しようとする。いわば、演奏者が真っ先に考えることは、『自分は誰のために演奏するのか』ということなので、観客の『人間的な質』を、彼らは即、キャッチするのです」
なるほどですねー、片や聴衆は、アーティストが奏でる最初の一音をとらえようと全神経を集中させる。両者の間に、いわば独特の緊張関係が醸成されるわけです。さらに、「たとえば、小さな音、ピアニッシモを弾くとします。その時ピアニストは、観客の集中力を量っています。会場に静けさや沈黙を生み出すことによって、聴衆が自ら音を探しに行くよう導くのです」
うーん、一期一会の真剣勝負というべきか、ライブって本当に素晴らしい!